「自分の言葉で語れ」という同調圧力をどう受け流すか。吉田豪が説く、“誤読まみれ”の時代における「SNSの付き合い方」
2017年の監督作『ヘドローバ』で過度な暴力演出があったとして、2022年にXで炎上。そして今年3月、当時の炎上が再度取り上げられ、ふたたび厳しい批判に晒されている映画監督・小林勇貴。SNS上が「私刑」の場と化すなか、プロインタビュアー・吉田豪氏の視点は、その騒動の背後にある「情報の不透過性」と、Xというツールの危うさに向けられている。
着目するのは、個人の是非を超えた、発信者に「正義の表明」を強要する同調圧力の問題だ。なぜ著名人含めた多くのアカウントはイデオロギーに飲み込まれていくのか。表現者としてのSNSとの距離感、そして爆笑問題・太田光という稀有なケースを例に、インプットと発信の切実な関係をひもとく。
みんかぶプレミアム連載「吉田豪の月イチ気になる話。」
目次
「間違いだらけの拡散」に、丁寧な経緯説明が追いつかないーーSNSという“私刑”の現場
小林勇貴監督の件、ボクも本人のYouTubeの解説動画をリツイートしたんですけど、あれを観れば事情は結構わかると思うんですよね。かなり冷静かつ最後はかなりエモーショナルに語っていて、あれはすごくいいと思ってすぐに拡散しました。
小林監督は、もともと本物のアウトローを役者として起用するヤバい人として話題になったんですけど、本人自らそこに乗っかってキャラクターを作っていた部分もあると思うんですよ。で、ボクはその感じがすごく苦手でした。
その後、暴力的な演出が問題視されるようになったわけですけど、ちょうど榊英雄監督や園子温監督が性加害疑惑で叩かれるようになったタイミングだったので、その渦に巻き込まれた感じもありました。行為自体は他の2人と比べたらそこまで悪質じゃなかったかもしれないけれど、その映像が作品として残っていたのが大きかったですね。映像の持つインパクトと、キャラクターとして当時はそこに乗っかって「恐ろしいものが撮れてしまいましたが、すごい良かったです。児童虐待が撮れました」とか言ってた映像も、いわば動かぬ証拠だったわけですから。
ただ、その炎上騒動が起こった後に、アイドル兼映像作家の「しののめしなの」さんから話を聞いて、かなり印象が変わったんですよね。彼女、小林監督の現場で助監督をやったり自分の作品に小林監督が協力してくれたりで仲良くしてたから「本人は全然そんな人じゃない」って知って、彼女が作ったZINE(個人誌)での対談とかを読むと、騒動後の小林監督の「ちゃんとしてるっぷり」がすごくて普通に感心したんですよ。いろいろ反省して、ほかの映画関係者よりもまともなぐらいになってたので。
そもそも本人が当時出した謝罪文にも今回の動画同様、「役者がアドリブで突然ビンタして、それに対応しきれなかった」という経緯が書いてあった。でも、そこがちゃんと伝わっていなかったんですよね。未だに「監督がやらせたもの」として糾弾し続ける人がずっといて、被害者側にもいろいろ迷惑がかかってしまっている。それで小林監督も耐えかねて、表立って意思表明するに至った……という流れみたいなんです。
「なぜ一緒に戦わないのか」意思表明を強要されることへの不快感
今のTwitter(現X)を見ていて感じるのは、正しさを追求するあまり、つるし上げのレベルが明らかにひどくなっている怖さですよね。情報の真偽を確かめる前に、とにかく即座に動いて叩き潰そうとする。どれだけ丁寧に釈明をしても、結局は「初手のインパクトのある間違い」の方が圧倒的に拡散されてしまうし、どんなに火消しをしようとしても声が届かない。その残酷さは、今のSNSの至るところに通じる問題だと思っています。
ボク自身の話をすると、少し前にとある俳優さんから、かなり強い言葉で怒られたことがあったんですよ。園子温監督の問題についてはかなり前からいろんなところで言及してきた人間ではあるんですけど、Twitterで告発したりはしていなかった。それは自分が当事者なわけじゃなくて知人の話だったので、その相手に迷惑を掛けるかもしれないので、クローズドな場では何度も言っていたんですけど、「Twitterで言及していない=何も言っていないのと同じ」って判断する人もいるみたいで。「Twitterでちゃんと言及しろ!」とかは大きなお世話だし、「なぜ一緒に戦わないのか」的なことを言われても、それぞれのやり方があるってだけの話ですからね。