石油王ゲティが誘拐犯の要求を値切り倒した深い理由「身代金を1ペニーだって払いたくない」

1973年、世界一の富豪と呼ばれた石油王J・ポール・ゲティの16歳の孫がローマで誘拐された。過去の言動から「狂言」と疑われ交渉が難航する中、届いたのは切断された孫の耳だった。交渉の末、支払われた身代金は約300万ドル。しかし、祖父が負担したのは税金控除の上限となる220万ドルにとどまり、不足分は実の息子へ「年利4%」で貸し付けられた。元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏が、大富豪の決断の裏にあった税務ロジックと、過酷な事件の構造的背景を検証する。
みんかぶプレミアム連載「一握りの大富豪だけが知っている世界の真実」
1700万ドルの身代金要求 大富豪ゲティ家に走った狂言誘拐の疑い
母親に届いた手紙には「狂言誘拐だと思わないでほしい」とあった。
書いたのは16歳の息子である。「誘拐された」「殺されないようにしてほしい」「警察を介入させないでほしい」…1973年7月、米誌『タイム』は、助けを求める少年の文面を紹介している。
ジョン・ポール・ゲティ3世は、7月10日、夜遊びに出ていたローマで誘拐された。祖父は石油王、J・ポール・ゲティ。長い髪を伸ばして画家を目指す少年には、「黄金のヒッピー」というあだ名がついていた。16歳にして、新聞で素性を知られる身だった。警察や友人たちは、初めから誘拐と信じていたわけではない。少年が以前、自分の誘拐を仕組めばカネの問題が片づく、と冗談を言っていたためだ。『タイム』は当時、そうした友人たちの話を伝えている。手紙にあった「冗談だと思わないでほしい」という訴えには、こんな事情があった。
犯人側の要求は1700万ドル。母親のゲイル・ハリスは、別れた夫と、その父親に助けを求めたが、家族の間でも狂言誘拐ではないかと疑われた。息子の居場所は分からず、その息子から届く手紙まで疑われる。事件は、そんなところから始まった。
単なる守銭奴ではないビジネスの足跡 23歳で100万ドルを稼ぎ出した石油王の原点
祖父のゲティは80歳。イギリスのサットン・プレイスで暮らしていた。若いころから油田を探し、巨額の取引を重ねてきた男である。父親も石油事業を営む実業家で、その資金と事業を足場に、息子は23歳で100万ドルを稼いだ。いったん引退したあと、再び仕事に戻っている。
大きな成功を収めたのは中東だった。1940年代末、サウジアラビアとクウェートの間にある中立地帯で、30年にわたる石油の採掘権を手に入れた。これは、その地域で石油を探し、掘るための権利である。権利を買えば油田がついてくる取引ではない。その地域では、まだ石油が見つかっていなかった。
1950年代に石油が出ると、この投資が巨額の利益を生んだ。1957年には『フォーチュン』誌が世界で最も裕福な人物として紹介した。成功の保証がなくても、カネを投じるだけの度胸はあった。使わずに貯め込むだけで財産を築いた老人ではなかった。ゲティ財団の人物紹介にも、その事業の歩みが記されている。
そのゲティが、孫の身代金は出さないと表明した。
「私には14人の孫がいる。身代金を1ペニーでも払えば、14人の孫が誘拐される」
米ABCが伝える発言である。払えば、ほかの孫まで狙われる。ゲティは、支払いを拒む理由をそう説明した。当時のイタリアでは、富裕層を狙う誘拐が相次いでいた。『タイム』によれば、1973年には身代金目的の主な誘拐事件が16件起きている。翌1974年1月にも、ベルガモで実業家の17歳の息子が誘拐され、父親に身代金の交渉を求める電話がかかっていた。