「notte stellata」羽生結弦が歴史上の人物になる「伝説」のマスターピース…ジャージ姿の偉人の「歴史の中に私たちはいる」
被災者として羽生結弦青年が見上げた星々の「希望」
それは、「notte stellata」から始まった。
2011年の東日本大震災から12年、羽生結弦はプロフィギュアスケーターとして2023年3月、約束の地、宮城に舞い降りた。
アイスショー『notte stellata』(満天の星、あるいは星降る夜)はまさしく、イル・ヴォーロ「notte stellata」の演舞から始まった。
あの日、2011年3月11日。電気もつかず真っ暗な震災直後の仙台、被災者として羽生結弦青年が見上げた星々の「希望」そのままに。
羽生結弦の滑りは命を慈しむかのように「儚く」美しい
思えば2023年2月26日、東京ドーム『GIFT』のラストも「notte stellata」であった。しっかりと羽生結弦の想いは繋がっている。私たちとも繋がっている。星は命の輝きであり、羽生結弦の滑りは命を慈しむかのように「儚(はかな)く」美しい。
それにしても、ダイナミックな滑りに磨きがかかり、キャメルはまさに原曲であるサン=サーンス『動物の謝肉祭』の優雅に佇(たたず)み、そして大いなる翼を広げて羽ばたく「白鳥」そのものだというのに、なぜ「儚い」のか。キャメル・サイドウェイズからキャメル・フォワードによって表現される白鳥には、以前にも増して「儚さ」があった。「儚」とは「淡く消えてしまいそうな」ことを指すが、同時に「人」偏に「夢」とあるように「人の夢」でもある。そしてこの国では、儚いことは美しいことでもある。