羽生結弦の歴史が偽りとなることだけは避けなければならない。これだけは譲れない… 羽生結弦と共にある人の見識の高さ
(前編はこちら)
明白な事実を歪めることは史実とそれを創り続けた先人を冒涜
残念ながら、それを疎かにする人もいる。これもまた、現実だ。
本人の意図しないところで誰かが不必要な、あるいは不用意な持ち上げ、いわゆる「アゲ」行為をされてしまうことはある。著名人や人気者なら尚更だろう。
そして不用意な持ち上げに対して、曖昧な回答どころかその場の空気に流されて「偽史」を肯定してしまうことも。そこはメディアの人々はもちろん、持ち上げられてしまった当人の矜持というか、人間性が問われるようにも思う。先人に対するリスペクトと、史実の積み重ねを大切に思うかどうか。
大げさと思う人もあるかもしれないが私はそう思わない。多少の見解の相違やうろ覚えによる誤りならまだしも、明白な事実を歪めることは史実とそれを創り続けた先人を冒涜するだけでなく、歴史を歪めて後世の人々にも悪影響を及ぼしてしまうからだ。それに対して声を上げる。誹謗や中傷でなく事実を、史実を挙げる。これは記録という歴史に対する誠実な行為である。