竹「 生活保護とベーシック・インカムは何が違うのか」…嫌な仕事にNOと言える優しい世界
ベルギーの政治経済学者フィリップ・ヴァン・パリースによると、ベーシック・インカムは3つの要素によって厳格に定義づけられるという。ベーシック・インカムを考える上で理解しなければならない3つの要素とは何なのか。ヴァン・パリースらが「生活に干渉されるような屈辱的な手続きを強いられる」と話す生活保護といった既存の制度との違いも併せて、ベーシック・インカムとは何かを語る――。全4回中の2回目。
※本稿は フィリップ・ヴァン・パリース、ヤニック・ヴァンデルポルト著、竹中平蔵監訳『ベーシック・インカム〜自由な社会と健全な経済のためのラディカルな提案〜』(クロスメディア・パブリッシング)から抜粋、編集したものです。
第1回:大量失業の未来…竹中平蔵・監「雀の涙ほどの賃金しかもらえぬ人が劇的に増加する」稼ぐ能力の二極化
第3回:竹中平蔵・監「どうやったらベーシック・インカムの財源を確保できるのか」少額なら”全住民が貨幣を引き出せる”
第4回:竹中平蔵・監「人間としての自由を得るために…」ベーシック・インカムを実現させる3つの戦略
要素①:「個人」単位の所得
21世紀現在の状況に鑑みると、私たちが主張する無条件ベーシック・インカムと、既存の条件つきの最低所得制度という形で具体化されている公的扶助との間には、根本的な違いがある。ベーシック・インカムと既存の最低所得制度の違いを明確にしながら、3つの無条件性に順番に焦点を当てよう。それは「個人」に、「普遍的」で、「義務を課さない」受給資格が与えられるというものであった。
現行の生活保護制度など多くの条件つきの最低所得と同様、ベーシック・インカムは現金で支払われる。しかしそれらとは違い、ベーシック・インカムは厳密に個人単位で給付されるという点でも、無条件なのである。
「厳密に個人単位で」とは、論理的に独立した2つの特徴の両方を意味している。個々人に対して、そしてその個人の世帯の家計状況とは独立した基準で支払われるのだ。
ベーシック・インカムは、世帯全員分の給付金が「世帯主」1人に支払われるものではない。世帯の成人した構成員の全員に、個別に支払われるものだ。未成年者もこの制度の対象になる場合は、大人より少ない額をその世帯の誰か1人に渡す必要がある。母親に渡すのがよいだろう。
個別の支給に反対し、世帯主1人への支給に賛成するときにまず挙げられる根拠は、その簡便さだ。もしベーシック・インカムが税額控除の形をとる場合、すなわち、受給資格のある人の数に応じて増えるベーシック・インカムの額だけ、その世帯の税負担を減らすという場合、簡便さという利点は特に有効だ。
現行の条件つきの最低所得制度では、個人にいくら給付されるかは、その世帯の構成に左右される。一般的には、成人2人の世帯、あるいは成人が3人以上いる世帯よりも、成人が単独で暮らしている世帯のほうが、かなり多くの額を受給する資格があるのだ。
生活の最低限の必要を満たすためにかかる1人あたりのコストは、住宅費やそれに従ってかかる光熱費、家具代、台所や洗濯の用品代などの関連費用を、他人と分担しないほうが高額になる。その結果として、単独世帯の人のほうが貧困から抜け出すのにより多くのお金が必要になり、世帯の構成によって給付額に差をつけることは道理に適う。
にもかかわらず、この2番目の意味においてもベーシック・インカムが厳密に個人単位でなければならない、説得力のある根拠が2つ存在する。
1つ目は、同居しているかどうかを確認するのが難しいということだ。今日では、結婚は長く続かないし、正式に離婚するずっと前から関係が事実上解消している場合もよくある。それに加えて、書類上登録されていない同居がより一般的になっている。
理由の2つ目は、さらに根本的な話だが、世帯の構成によって給付額に差をつけると、人々が同居を避けるようになることだ。世帯単位の制度で、人数に応じて給付額が減っていく場合、孤独の罠(わな)、すなわち孤独から抜け出せない状況を作り出すことになる。同居を決めた人たちは給付の減額によって不利になるからだ。
すると、さらなるよくない効果も現れる。人々が一緒に暮らすことによって起こる相互扶助と、情報や人脈の共有が弱くなるのだ。空間やエネルギー、冷蔵庫や洗濯機など、貴重な物的資源が十分に活用されなくなる。そして、人口に対して世帯の数が多くなれば、人々が密に暮らすことがなくなり、移動においても課題が大きくなる。
要素②:「普遍的」な所得
現行の最低所得制度はどれも、何らかの資力調査と紐(ひも)づけられている。そして、資力調査の対象となる資力が受給者の所得の範囲を超えていようといまいと、このような給付の諸手続きはどれも事後的に実施される。
ベーシック・インカムは反対に、事前的に実行され、資力調査も行われない。ほかの収入源からの所得、所有している資産、親類縁者の所得とは関係なしに、裕福な人にも貧しい人にも同じように先払いされる。
ベーシック・インカムの普遍的性質は、一見すると痛ましいほど資金をむだにしているようにも感じられる。それでも、普遍的なベーシック・インカムのほうが好ましいと言えるはっきりした理由が3つある。
1つ目の理由は、普遍性それ自体、つまり給付が貧困と認められた人だけではなくすべての人に対して行われること自体にある。普遍的な給付制度と的を絞った給付制度、どちらがより効率的かを比較した研究の多くでは、まさにこの点で、普遍的な制度のほうに軍配が上がっているのだ。
2つ目の理由は、受給者が稼ぐかもしれないほかの所得と関係なくベーシック・インカムの受給資格が保持されるという普遍性そのものには、人々をお金の欠乏から救ってくれるという点を超えた、さらなる重要性があることだ。その人たちが労働市場から締め出されないようにするという役割も持っている。
資力調査がある制度のもとでは、不安定でも所得があれば給付金の受給資格が失われたり、部分的に削減されたりする。働き始める際、これからどれくらいの収入が得られるか、職場でうまくやっていけるか、あるいは、いつ仕事がなくなって、再び給付金の受給資格を得るために煩雑な行政手続きを行わねばならないのか、なかなか見通しが立たない。
普遍的なベーシック・インカムのもとでは、仕事を得たり自営業を行ったりする際の恐怖は少ない。この、簡単に職に就けるようになるという普遍性の利点は、それと密接に関わるもう1つの特徴の効果によってしっかりと強化される。
その特徴とは、人々が生み出すどんな利益も自分たちの純収入を増やすために使われるという事実であり、これが普遍的な制度が好まれる3つ目の理由である。
典型的な公的扶助制度では、貧困世帯が自力で稼いだ分だけ、給付金が必然的に返還されるという形になっている。この状況は一般に、貧困の罠もしくは失業の罠と呼ばれている。
資力調査を伴う給付金が収入に連動して減額されたり停止されたりすることで、給料の低い仕事から得られた収入は相殺されてしまうか、仕事に関連する支出のせいで結果的にさらなる損失となってしまうのである。
直接税の税率が100%にはならないという穏当な想定のもとでは、普遍的なベーシック・インカムは、そのような罠を作り出さない。受給者がわずかな収入を得たとしても、給付金は停止されたり削減されたりせず、全額支払われるからだ。
要素③:「義務を課さない」所得
ベーシックインカムはいわゆる「ヒモつき」ではないという点でも、条件つきの最低所得制度とは異なる。受給者には、就労や労働市場への参加意思といった義務はない。この厳密な意味において、ベーシック・インカムは義務を課さないと言える。
現行の条件つきの制度では、一般に、自らの意思で仕事をしない人、積極的に求職していると証明できない人、地域の公的扶助を管轄する機関が内容・場所・労働時間に鑑みてふさわしいとみなして提供したり何らかの形で「斡旋」したりする仕事を断った人は、給付金を受け取る資格がなくなる。
反対に、ベーシック・インカムでは、受給にその種の条件は何も課されない。受給者が本当に仕事を探しているのか、あるいは怠けているだけなのか、調査する必要はない。こうしたことから、ベーシック・インカムの普遍性という性質が失業の罠の解消に役立つのに対し、義務を課さないという性質は雇用の罠の解消に役立つのだ。
ベーシック・インカムの普遍性は当然ながら、当座の経済という意味では生産性の低い仕事のための潜在的な助成金となるが、その義務を課さないという性質ゆえに、劣悪で屈辱的な仕事への助成金となることは防がれる。
この2つの無条件性が結合しているがゆえに、ベーシック・インカムが賃金を押し下げるという主張と、逆に押し上げるという主張の両方に説得力があるのはなぜなのか、わかるだろう。
ベーシック・インカムの普遍性によって、労働者は給料の低い仕事、さらにはほとんど無償に等しいくらい給料が低かったり当てにならなかったりする仕事にまで就きやすくなる。資力調査つきの最低所得制度によって設定されていた下限がなくなるからだ。こうして、すぐに稼ぐ能力が低い人でも労働市場から締め出されなくなる。