山本一郎が“炎上”の一般化に寄与…「朝日記者ブログへの批判殺到」現象を“野球用語”で表現し定着した

個人や企業が不用意な言動などから“炎上”した例は、枚挙にいとまがない。かつては時間が経てば忘れ去られたような出来事でも、インターネットの登場によって拡散される範囲が広がり、そのスピードも加速した。働き方改革総合研究所株式会社代表取締役の新田龍氏が、“炎上”の発端や炎上によって企業が失うものについて語る――。全3回中の1回目。
※本稿は新田龍著『炎上回避マニュアル』(徳間書店)から抜粋、編集したものです。
目次
日本最古の“炎上”事件
我が国における「炎上」はまず、不祥事に起因する批判とは無関係の「野球用語」として用いられ始めた。
現在においても、「打者から猛攻され、投手が大量に失点した状態」のことを「炎上」と表現するが、これがインターネット上で用いられた現存最古の記録が2001年のこととして残っている。大手掲示板「2ちゃんねる」(現「5ちゃんねる」)のプロ野球板において用いられたものだ。
この「投手がボコボコに打ち込まれて炎上する」状態を表現する用語が、「ネット上の発言者が自身の発言を批判されてボコボコに叩かれている」状態に重ね合わせて用いられたものが現行の「炎上」の元祖といえよう。
野球用語から派生して、言論による批判の意味として「炎上」が登場した最初期の記録は、2002年まで遡さかのぼることができる。当時我が国における個人Webサイトといえば、文章をメインコンテンツにした個人日記調の「テキストサイト」が主流であった。
そんなテキストサイト間で発生した諍いのことを「炎上」と称したものが、現在確認できる範囲では最古とする指摘が多い。
「ヘタな自尊心を守ろうとするなら結局は灰も残らぬまで戦って消え去るしかないんだよね。最近はちょっと減ってきたみたいだけど、後のことを考えないで他サイト言及でもしようものならあっというまに炎上しちゃったりするんだよ個人サイトなんてさ」
「斬鉄剣 雑記 ラピュタ」(更新日:2002年12月12日(木)01:19:14/現在、閉鎖)
その後、テキストサイトよりも気軽に開設・投稿でき、現在でも主流となっている「ブログ」システムが生まれ、日本語版のサービスツールが一般化したことから2004年頃より我が国でも急速に利用者が増加。それに合わせて「炎上」という用語も一般化してきたものと思われる。
そして、現在の意味で広く知られるようになった契機は2005年のこと。ブロガーであり著作家の山本一郎氏が自身のブログにおいて、当時発生していた朝日新聞記者のブログへの批判殺到事件を「炎上」と称したところからであろう。
これは同記者が投稿していたブログにおいて、当時発生していた「イラク邦人人質事件」について述べたもので、人質として拉致された被害者へのバッシングを批判する内容であった。
その際、直前に起きていた「スマトラ沖地震」を引き合いに出し、「津波の被災者とイラクの被害者は、本質的に違わない」と述べた意見に対して批判・反論が続出。投稿者が寄せられたコメントに対してぞんざいな扱いをしたことからさらに批判がエスカレートし、批判的な発言をしたネットユーザーが投稿者の過去記事を調べたところ、投稿者が朝日新聞地方局の記者であったことが判明したものである。
一連の騒動を山本氏がブログで取り上げ、それを「炎上」と称したことが定着したものと捉えられている。