プロ野球引退後「1億円稼ぐ人」と「メンタルになる人」の決定的な違い…元ロッテ・里崎が現役時代にやらなかったこと

ロッテの日本シリーズ優勝、WBCでの日本代表の優勝に貢献した元ロッテの里崎智也氏。そんな里崎氏は、現役時も引退時も「年に1億円」を稼ぐことにこだわり、実現させてきた。「お金の心配をしたことがない」と話す里崎氏が、お金の貯め方と稼ぎ方に対する考え方を語る――。 全3回中の1回目。
※本稿は里崎智也著『YouTube『里崎チャンネル』はなぜ当たったのか 再び1億円プレイヤーになるまでにしたこと全部』(徳間書店)から抜粋、編集したものです。
第2回:なぜゲストに頼るYouTuberはつまらないのか…「引退後も1億円」元ロッテ・里崎の野球解説ハック
第3回:仕事は常に”相手の言い値で動く”が正解な理由…自分を過大評価せずに「適正価格」を見つける方法・元ロッテ里崎
「1億円」にこだわりつづける

「1億円」。僕はこの数字を常に目標にしてきました。おかげさまで、僕の収入は引退後もずっと右肩上がりをキープすることができています。やはり、「どんな仕事でも引き受けてきた」ことが大きかったと思います。
一流選手の年俸というと、1億円という線引きがありますけれど、僕が1億円プレイヤーになれたのは、現役時代の2007年。引退後もこの金額を目標にやってきたわけですけれど、選手として圧倒的な成績を残したわけじゃなく、プロ野球の中でもマイナーなロッテ出身の僕が、「引退しても1億円!」と公言するなんて、鼻で笑っていた人もいたことでしょう。
そんな大方の予想を裏切り、僕は21年に1億円を突破しました。それまでの年収の変遷ですけれど、引退した翌年の15年はガクンと下がるものなので、まさに「来るもの拒まず」の状態で仕事を受けてましたが、どうにか年収2000万円くらいでした。
16年は前年に引き続き、来た仕事は原則すべてこなしていたところ、それらに加えてテレビやラジオのレギュラー仕事も入ってきて、収入が上昇気流に乗ってきたんです。
そうして17年から19年も仕事が順調に入っていき、20年もさらに頑張るぞ……と思っていたところに、新型コロナウイルスの蔓延でプロ野球の開幕が延期。数カ月間ですが、いつもの解説の仕事がキャンセルになったため、引退後初めてと言っていいくらい自由な時間ができました。
この空き時間に僕は何をしていたのかというと、これまでもやっていた「株」をさらに独学で勉強してみたところ、おかげさまでグッと儲けが出たんです。
そして株と同様に、力を入れ始めたのがYouTube。動画投稿自体はやってはいたし、YouTuberが結構稼いでいるということは知ってはいたものの、それほど傾注していたわけではなかったんです。
どうせならこの機会にもっとやってみるかと思い、『里崎チャンネル』の定番となった「12球団全試合総チェック」とか、「プロスピA」や競馬の動画を上げていったんです。結果的にこれが当たって、3年経った今ではチャンネル登録者数が55万人を超えるまでになりました。
これでメディアの前に出ての仕事や、講演会、野球教室にYouTube が加わって、21年にはとうとう年商が1億円を突破しました。引退から7年が経っていました。現役で1億円に到達するまでに9年かかっていますから、引退後のほうが早かったというのも嬉しい話ですね。
プロ野球界で唯一?の積立貯金
皆さんはプロ野球選手の金銭感覚というと、本業の野球で稼いだ分、夜は派手に使う。億の単位の一戸建てを購入する。あるいは都心のタワーマンションの高層階に住む。サラリーマンでは決して買えない外車を現金一括で手に入れる――。こんな印象をお持ちの人は少なくないでしょうね。
僕は普段から浪費する習慣がなく、お金の使い方をこう考えていました。「どんなにプロ野球の世界で稼いだって、それが一生続くわけじゃない」。昔のプロ野球選手は豪傑揃いだったと聞きますが、僕にはとても無理ですね。
さらに、こんなアドバイスを税理士からもらっていました。「40歳まで現役を続けたとして、持ち家がなかったら4億円、持ち家があったら2億円の貯金を作りなさい」。
僕がロッテに入団した1998年に球団から受け取ったお金は、契約金が1億円、最初の年は年俸1300万円でした。ここから源泉徴収で2000万円引かれ、母校を含めてそれまでお世話になったところに寄付などもしました。
そして、約1300万円する高級車を購入したのです。それでも契約金と年俸を合わせたお金は、数千万円以上が僕の手元に残りました。また、入団直後から僕は積立預金を始めました。毎月10万円を自動引き落としで入金していたのです。
これには理由がありました。高額な契約金を手にしたものの、もしプロ野球選手として大成しなかった場合は、球団からクビを言い渡されます。例えば、5年でクビを切られたら、積立貯金の金額は600万円になっているし、10年だったら1200万円になっている。
このお金を元手に資格を取るとか大学で勉強するとか、プロ野球界から引退して次のチャレンジに備えるための生活費にするとか考えていたのです。
結果的に2014年まで現役を16年間続けられたので、積立貯金は1920万になっていました。それまでには年俸もそれなりに稼がせてもらっていましたから、積立貯金のお金には一切手をつけることなく、引退まで過ごすことができました。
引退したからといって退職金が出るわけじゃないので、この2000万円弱の貯金は支えになるんです。
自分の中で、一つだけ思い返すことがあります。それは「お金の心配をすることがほとんどなかった」ということ。年俸でいっぱいもらってたからということじゃないですよ。
そもそもプロ野球選手というのは、現役として活躍する時期は平均9年。ドラフトで入団した人たちで生き残っていけるのは約10%程度という統計もあるそうです。それだけシビアな世界なんですね。
だから僕は「通用せずに数年でクビを切られることもある」と覚悟を決めていました。そうなったときにちゃんとリスタートが切れるのか。そのために「セーフティネット」を張って自分自身を守らなくてはならないと考えていた。それが積立貯金だったんです。
入団当初から今に至るまで、他のプロ野球選手で積立貯金をしていた人の話を僕は直接聞いたことがありません。他の方法で蓄財しているんでしょうかね。
「働かずに1億円」が目標
答えがあったら教えてほしいと思います。働かなくても1億円稼げるんでしょうか?「そんなこと無茶だ」と言う人は多いでしょう。「何を馬鹿なこと考えてるんだ」とも。でも僕はいたって真剣に考えているんです。
なぜなら、プロ野球選手引退から7年で「働いて1億円稼ぐ方法」を見つけたからです。実は、元プロ野球選手の中でも、引退後に1億円プレイヤーに返り咲いた例は稀なんです。
例えばイチローさんや松井秀喜さんといった大物野球人であれば、CM収入などだけで1億円稼ぐことは可能でしょう。けれども、僕のようなプロ野球での実績がそれほどない人間が、引退してから現役選手のような稼ぎを手にするなんて、恐らく誰も予測できなかったはずです。
現役選手が引退すると、大半は指導者に、まずはコーチとしてユニフォームを着ることを目標にするものです。けれども、コーチの年俸の相場はチームにもよりますけど、800万〜1500万円で、ヘッドコーチで2000万〜3000万円くらいなんです。
契約内容にもよりますけど、日本一になった翌年に降格とか切られるコーチもいたりしますから、必ずしも成果主義的な査定をしてもらえるわけでもない。選手の年俸交渉とは違って、基本、球団からの言い値で年俸が決まるケースが多いらしいんです。
低い年俸でも受けざるを得ないのは、コーチの枠という需要に比べて、コーチになりたい(再びユニフォームを着たい)という供給が多すぎるからなんだと思います。しかも、契約更改前の11月あたりからはクビと隣り合わせになるわけで、来季のことを考えて眠れなくなるコーチって多いみたいですね。
ちなみに、監督は年俸6000万円くらいの人もいるようです。以前は最低1億円と言われた時代もありましたけど、世知辛い世の中ですね。選手の年俸の相場は上がっているんですけど、指導者は厳しい現実なんです。
だいぶ話が逸れました。再びユニフォームを着ることの旨味のなさを考えた僕は、外の世界に飛び出しました。再び1億円プレイヤーになるまでに稼げるようになったのは、ズバリ、「馬車馬のように働いたから今がある」。僕のスケジュール帳は、おかげさまで引退後からずっと予定が埋まっています。
けれども、こんなことも考えるのです。もし僕が今、大きな病気で倒れてしまったら、その後の稼ぎはどうなるのか――。当然、収入はゼロになりますよね。収入がなくなった状況で、再び1億円稼ぐための、気力と体力を持ち続けて勝負できるのかということです。
そこで思うのが、「働かずに1億円稼ぐ方法はあるのか」。
僕にとっては、とてつもなく高いハードルです。正直なところ、今はまだその方法さえ見つけられていません。どうあれ、新たな仕事に挑戦していくのが僕のモットー。単純に考えれば、不動産収入、株式投資などがパッと浮かびますが、それ以外にも不労所得ってこれから出てくるのかもしれませんからね。
