回りまわって「新聞回帰」に困惑するメディア業界…バカ丸出しの新聞記者が知らないベタ記事の価値

日本はデジタル分野で各国に後れを取っている。岸田文雄政権はDX化を担うデジタル人材の育成に積極的な姿勢を見せているものの、まだその効果が現れているとは言い難い。では、私たち日本人はどのように溢れる情報と向き合うべきなのか――。「デジタル」と「メディア」の関係を紐解く全5回のうちの5回目。
※本稿は、小倉健一『週刊誌がなくなる日 「紙」が消える時代のダマされない情報術』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです
第1回『自業自得…秋篠宮・小室圭問題の「いい加減報道」で言論規制が一気に加速したネットメディアの末路』
第2回『なぜ反ワクチン陰謀者はプーチンを擁護するのか…政府高官が噴飯した「東京ロックダウン」のフェイクニュース』
第3回『週刊誌はあと5年で消滅する…限界に到達した無料メディア、新聞電子版にマスコミから悲鳴が聞こえる』
第4回『42歳劇団員のヤフコメ民「私が炎上させる理由」…秋篠宮・小室家を匿名でタコ殴りする暴力ビジネス』
「2025年の崖」日本を待ち受ける巨額損失
スイスのIMD(国際経営開発研究所)が発表した国別の「デジタル競争力ランキング2021」によると、日本は64カ国の中28位。前年から1つ、前々年からは5つも順位を落とし、過去最低となっている。特に「人材」領域は47位、「デジタル・技術」領域は62位と深刻なレベルにある。
最近、IT業界で「2025年の崖」という言葉が用いられることが多くなった。経済産業省が2018年9月に公表した「DXレポート~ITシステム『2025年の崖』の克服とDXの本格的な展開~」は、この問題解決の重要性を説いている。
この中では、多くの経営者が競争力強化のためにDXの必要性について理解しているものの、既存システムが事業部門ごとに構築されて全社横断的なデータ活用ができなかったり、過剰なカスタマイズがなされていたりすることによるリスクを指摘。
老朽化した既存システムの運用・保守から抜けられず、最新技術を習得した人材も足りないままDXを実現できなければ、爆発的に増加するデータを活用できず、業務基盤そのものの維持・継承が困難になり得る、と警告している。
これらの課題を克服できない場合に生じる経済損失は、2025年以降に年間最大12兆円。もはや国家の重要問題だろう。鍵を握るIT人材の不足は2015年に約17万人だったが、2025年には約43万人まで拡大するという。
だが、システムを刷新する必要がある2025年までは約3年しかない。超スピードで進化するデジタル時代に対応するためには、デジタル技術を活用したビジネスモデルを創出するための経営層のマインド変化と、それに基づくシステムの再構築に向けて資源を「全集中」するしかない。
急速に進むデジタル時代の変化。柔軟かつ迅速に対応できなければ、たとえ優秀な企業であったとしても「デジタル時代の敗者」になってしまうリスクを抱えている。
「情報を捌く力」カギは新聞
デジタル時代に対応する「IT人材」の養成は、時代の要請である。しかし、それは必ずしもエンジニアを意味しない。デジタル化に適応する人材、すなわち高速かつ大量に駆け巡る情報の中から価値を見出し、自らの能力を向上させることを可能にする人を養成することも時代の要請なのである。
デジタル化に適応できる人とは、情報を「捌く」ことのできる人を意味する。教育現場では学べない情報の捌き方とは何かを見極めるためのヒントは、「AI」にある。
20年後には「日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能」になる、と言われる時代だ。では逆に、代替可能性が低い「51%のなくならない仕事」はどのようなものか。
野村総研は、医療ソーシャルワーカーや教員、コンサルタントやカウンセラー、クリエイターといった職業をあげる。0から1を生み出すクリエイティブな業務や他者とのコミュニケーションを活かすことが欠かせない業務はAIに不向きであることがわかる。
将来においても人間が担う職業、つまり「人間にしかできない仕事」に必要な能力こそが、デジタル時代に求められる「デジタルを使い倒す」力であり、情報を「捌く」力につながる。
情報は、誰でもアクセスできる公開情報であれ、秘匿された情報であれ、どのように扱うのかによって「価値」が大きく変わる。単に読み流せばいいだけの情報かもしれないし、実は大変貴重な情報かもしれない。その「捌き方」には、絶対にこれが正しいというものもない。だからこそ、AIでは代替できない能力になるのだ。そして、これこそがデジタル時代に求められる能力といえる。
情報のプロが大事にしている「新聞」
デジタル時代に欠かせない情報の「捌き方」を養う鍵は、実は新聞にある。デジタル化の波に押され、アナログ時代を代表するような「新聞がなぜ?」と不思議に思われるかもしれない。しかし、「アナログ」だからこそ、デジタル時代に求められる能力につながるのである。
政府機関で情報の「捌き方」を最も大切にするのは、内閣情報調査室や公安調査庁といった情報セクションだ。彼らは日常的に新聞から雑誌、ネット上の情報にも目を光らせている。新人職員が上司から真っ先に学ぶことは何かと言えば、毎日掲載されている「ベタ記事こそ大切に読む」ということである。
ベタ記事とは、新聞社の編集長やデスクらが「新聞に掲載しておく必要はあるものの、大々的に扱うニュース価値はない」と判断した記事を指す。紙面で言えば、下の方に申し訳なさそうに掲載されている短文の記事だ。価値があまりないとされる記事なのに、重要視されるのはなぜか。その理由は、ベタ記事には「価値がある」ものも紛れている点にある。
新聞は、ビッグニュースが飛び込んできたり、「今日はこれを特集する」と決めていたりすれば、紙幅の都合で構成を変える。現場の記者がその判断に納得しなくても、当番編集長ら幹部の好みや気分で記事の大小や掲載ページが変更されることがしばしば生じる。「ブンヤ」と呼ばれる職人気質の彼らは、時に怒鳴り合って自らの部署から出稿された記事が最大化されることを求めるが、実は属人的な部分も多いのだ。
新聞の紙面構成や記事の大小はニュースを伝える側が決めているのに、読み手側がベタ記事まで大切にするというのは矛盾しているように感じるかもしれない。しかし、共通しているのはどちらも「属人的」ということだ。つまり、その部分は「アナログ」に頼らざるを得ないことを意味する。
仮に、ここで「デジタル」だけでニュースが決まる世界になればどうなるだろう。その性質上、アクセスが集中するのはネット空間で「注目された記事」となる。それは必ずしもニュース価値が高いと「アナログ」の世界で判断されたものではなく、「面白い」「素晴らしい」「いい加減にしろ」といった心の内側で決まる側面も否めない。
ツイッターのトレンド機能を見てもわかるように、影響力のある人が取り上げるものは、それが瞬く間に拡散され、ネット空間の「トップニュース」になる。芸能人の話題やテレビ番組での人気タレントの発言、不愉快なシーンがトレンド入りすることは多いが、それらは一部を除き新聞で大きく取り上げられることは少ない。
ネット上で意図的なフェイクニュースが広がり、それが事実ではないと明らかになった後も訂正がなければ「歴史」となってしまう怖さも生じる。
多様性が尊ばれる時代、ネット上でメディアが「マスゴミ」と呼ばれ、国民の肌感覚との乖離も指摘されることはあるが、そこには「アナログ」が介在することがやはり重要なのだ。伝える側にも、読み手側にも情報を「捌く」ことが求められる。
「デジタル一辺倒」は思考を凝り固める
情報の「捌き方」を養う―。デジタル時代に報道機関と無縁の人々が養うべき方法とは、ニュースの「裏側」を読むことにあることがわかる。アクセス数やトレンドに流されず、「なぜ、この記事が1面で報じられているのか」「このニュースの背景には何があるのか」を考える。記事の大小に限らない。
論説記事やコラムなどにおいては、「自分ならば、こう考える」と思案するのもいいだろう。賛否両論が掲載される特集記事を読む時は、自らの考えに近い方だけではなく双方の主張を読み込み、スタンスに違いがあることを受け入れることも大切となる。
デジタル時代がどのように加速しても、人の「心」までデジタル化されることはない。それはAIの代替可能性が低い「なくならない仕事」からも明らかだ。ネット空間では自分の関心が高い記事やウェブサイトが次から次へ表示され、その「逆」に触れるためにはわざわざ検索し直す必要がある。
だが、デジタル時代にその手間を惜しむことがあれば、思考や関心が凝り固まってしまう危険性をはらんでいることは理解しておく必要がある。

小倉健一『週刊誌がなくなる日 「紙」が消える時代のダマされない情報術』(ワニブックスPLUS新書)