偏差値35ド底辺、2年連続不合格の崖っぷち「それでも僕は東大に合格したかった」第1話

社会現象にもなったドラマ日曜劇場『ドラゴン桜』(TBS系列)の脚本監修を務めた、現役東大生作家・西岡壱誠(にしおか・いっせい)さん。中学時代の成績は最下位、スポーツもダメ、おまけにずっといじめられっ子で偏差値35のど底辺だったそう。そんな「僕」が、ある教師の一言がきっかけで東大合格という途轍(とてつ)もない目標に挑んだ――。自身の受験の日々を描いた初小説をお届けする。(第1回/全3回)
※本記事は、西岡壱誠著『それでも僕は東大に合格したかった』(新潮社)より抜粋・再編集したものです。
第2回:なぜ多浪生が”優等生”を演じだしたら偏差値35→70に爆増したのか「それでも僕は東大に合格したかった」第2話
第3回:東大合格者が守った3カ条。数字にこだわる、志望校公言、そして…「それでも僕は東大に合格したかった」第3話
3月4日 合格発表まであと6日――3年間、勉強し続けた “ガリ勉” の末路
「人は、なりたい自分になってしまう」
いつか師匠からオススメされた漫画に書いてあったセリフだ。
人間は人から求められるように演技をして、演技をしているうちにそれが本当の自分になっていく。
相手が思う理想の恋人になろうとすれば、いつの間にかそういう理想の相手になれる。
親が思う理想の子供になろうとすれば、いつの間にかそういう理想の子供になれる。
演技しているうちに、演技していることも忘れて、なりたい自分になっていく。だから、できないと思うことでも、そうできる自分を演じてみればいいのだ、と。
「師匠、それって本当にいいことなんでしょうか?」
僕は暗闇に向かって聞いた。
「だってそれって、本当の自分にはなれないってことじゃないですか」
どうあがいても、そう演じているだけ。本当の、根っこの部分は変わらない。ということは、人間はいつまで経っても、根本的には変わらないということなんじゃないか。
「ねえ、師匠―」
僕は虚空に向かって話しかけ続ける。
「答えてくださいよ」
いつもの部屋で、いつも通り起きる。さっきの夢には、師匠は出てこなかった。ふと部屋を見渡す。この部屋で自分は、この3年間ずっと勉強しかしてこなかった。机に向かって、参考書を開いて、ノートを書いて……。おかげで本棚は参考書・プリントの束・ノートでいっぱいだ。
しかし最近になって、本棚の奥やベッドの下を漁って、昔買った漫画やライトノベルを取り出した。久々に読むと、「ああ、こういう作品だったな」と懐かしく思う反面、「こんなシーンあったっけ、やっぱり面白いな」と新鮮な喜びに包まれる。
ずっと勉強道具しかなかった机に漫画やラノベが置かれていると、なんとなく変な気分だ。そういえば僕はオタクだった。忘れてた、と1人で笑う。自分がオタクだったことに笑っているのではなく、自分がオタクだったことすら忘れたということを笑っているのだった。
高校3年生になった時に、僕は二次元オタクをやめて、ガリ勉キャラを演じるようになった。そしてつい最近まで、それを続けてきた。
「なりたい自分、ねえ」
それはなりたい自分になるために、つまりは東大生になるためにやったことだったのだが。
「僕は本当に、なりたい自分になれたのかな」
そういえば、師匠も、昔、そんなことを話していたなあ、と思い出す。
東大生は “頭が良くてモテる奴”。女子にも東大にも振られる哀れな僕
「東大に行きたいなら、恋愛をしろ」
「何言ってるんですか。恋愛と勉強は関係ないです。恋愛している暇があったら勉強します」
呆(あき)れ半分で返答した。僕はすっかり受験生モードになっていた。
目指すは東大だ。いまだに実力は伴っておらず、まだまだ全然ダメダメだった。恋愛なんてもってのほかだ。「それがあるんだな―」師匠は言う。
「恋愛というのは、理想を押しつけ合う行為だ。自分の理想を相手に求め、相手はその理想を自分に投影する」
正直、よくわからない。
「わからないか? 例えば好きな人が『優しい彼氏が欲しい』と言ってきたら、お前ならどうする?」
「その人に優しくします」
「だろう。優しい自己を演じ、優しい人間になろうと努める。お互いにそれをし合って、相手に理想を求め相手の理想に合わせるのが恋愛だ」
「なんというか、お詳しいですね、先生」
師匠は見た目かっこいいから、恋愛経験は豊富なんだろうか。
「でも、それと勉強にどう関係があるんですか?」
なんとなく話はわかるが、全然勉強との関連性が見えてこない。
「わからないか? 東大生というのは、頭が良くてモテる奴のことだ。ってことは、モテるくらい優等生になろうとすれば、東大に合格できるってことだ」
「本末転倒じゃないですか?」
電車はいつもどおり空いていた。角の席に座り、ふう、と息を吐く。
恋愛。僕はとことん、女子と縁がない。というかはっきり言って苦手だ。女子と接するのが、過去のトラウマから、本当の本当に苦手なのだ。(……恋愛らしい恋愛は、本当にしたことがないなぁ)
20年の人生なので、そりゃ何度か、告白したことがないわけではない。だが、その度にこっぴどく振られてきた。(そう考えると、僕って女子にも振られるし東大にも振られるし、そういう星の下に生まれてしまった哀れな奴なのではないだろうか)
だとしたら嫌だなあ、と思う。これから先も振られ続けるということだし、東大にも合格できないということだ。電車の天井を見上げる。なんの変哲もない、荷物置きと吊革があった。(まあでも、そんなもんか。僕ってそういう奴だよなあ)
僕の人生は99パーセント、女子とは無縁の人生なのだ。そういう人生なのに、どうして恋愛なんてできようか。そう思っていたのだが。(マジかよ、流石にそれはないだろう)
2浪生の憂鬱「今は大学生?」と聞いたら、自分の近況を話さざるを得ない
いざカフェに入ってみて、驚愕(きょうがく)する。ありえないと思っていた。そんなことはどう考えてもないと思っていた。
「あ、西岡くん!」
「星川、さん?」
まさか、99 パーセント女子との出会いがない人生のうちの、残り1パーセントが来ると誰が予想できるだろうか?
「久しぶりだね。卒業以来かな?」
彼女は同級生のクラスメイト、星川佳奈。もう会わないと決めていた人だった。
「つかぬことをお伺いするんですが」
カフェで向かい合って座る。向かい合って座るが、直視できずに彼女の飲んでいるコーヒーに目線を移す。勘弁してほしい。こっちはまともに女子と話せないのだ。そっぽを向きながらの会話になってしまう。
「どうして、ここに?」
目を合わせられないながらも、どうにかして今思っている質問を投げかけた。なぜこの人が、ここにいるのか。それをきちんと問わなければならないのだった。
「え? どうしてって……」
彼女が戸惑いながら口を開く。
なんというか、懐かしい声色だ。2年ぶりに声を聞いたなあ、と思った。
「渋谷先生から連絡があって」
そりゃあの人の仕業だよな。ここまでは想定内だ。だが次の言葉は想定外だった。
「『西岡が、君に話があるそうだから』って連絡が来て」
(おい師匠! 何してんだあんた!)そう叫ばなかった僕を褒(ほ)めてほしい。心の中だけで留めた僕の理性を、誰か称賛してはくれないだろうか。
僕は、彼女に話す話題なんてないし、合わせる顔なんてないのだ。いや、会いたくなかったわけじゃないのだ。だがしかし、会って話すという踏ん切りが付かない。突然目の前に現れたって、対処に困る。そして僕は、女子と話すのが苦手だ。それもわかっててやっているのだとしたら、師匠は本当にただのドSなんじゃないか。
「西岡くん?」
彼女に声をかけられて、思考をストップさせる。
「大丈夫? すごい顔色だけど」
「心配をおかけして申し訳ありません」
「というか、なんでさっきから敬語なの?」
「気にしないでください。すいません」
どんな風に話せばいいのかわからず、敬語になってしまっていた。落ち着け、落ち着け。流石(さすが)にダメだろう。ちゃんと普通に、話をしなければ。
「ええと、星川さんは、今は大学生?」
まずは近況を確認しよう。とにかく会話を続けていけば何か見えるかもしれない。
「あ、うん。大学生」
まあ、そりゃそうだ。そしてこう聞かれる。
「西岡くんは?」
しまった。何やってるんだ僕は。「今は大学生?」なんて聞いたら、自分の近況を話さざるを得なくなるじゃないか。2浪して大学生活なんて送れてないです、って本当のことを言わなければならなくなるのだ。
チラッと彼女の方を見る。顔は見られないが、服装は女子大生っぽい、明るめの服を着ていて、おしゃれだ。そういえば、彼女の私服姿を見たのは初めてかもしれない。
僕はこの人と、ずっと会わないつもりだった。一生、会わないでいるものだと思っていた。だから、彼女からどう思われたとしても、関係がない。もう、そう割り切ろう。どう思われるかとか、何も考えずに話そう。そう、腹を括(くく)った。
東大を3回も受験してるなんて、すごいのか。ただ頭が悪いのか。
「僕はまだ、浪人中なんだ」
「そうなんだ」
声色を聞いて、さほど驚いていないな、と感じた。もしかしたらどこかで聞いて知っていたのかもしれない。
「じゃあ、今は、もしかして」
「ああ、合格発表を待ってる身だよ」
「うわ、ドキドキだね」
そう言って彼女はコーヒーに口をつけた。
「わたしなんて、合格発表の待ち時間が嫌で嫌で仕方がなくてさ」
めっちゃわかる。僕も嫌だもの、と思う。
「即日で発表して欲しいよね。生殺しみたいな状態で10日も放置されるのなんて」
「まあ、それは確かに」
「西岡くんは、いつ発表なの?」
「あー、6日後の、10日だね。26日に試験が終わったから、まあ10日間くらいか」
「うわ、そうなんだ。長いね」
「まあ、採点に時間がかかるのは仕方ないよ」
東大は全問記述式という珍しい大学だ。マークシートでパパッと採点することはできない。
「そっか、東大だったもんね」彼女はそう言った。
「東大を3回も受験してるなんて、すごいよ」
すごくはない。頭が悪かっただけだ。すんなり東大に合格できる人だっているわけで、そんな人と比べたら僕なんて――。まして、まだ東大に合格していない身の上なのだ。でも、彼女は僕のことをすごいと言ってくれる。
「わたしは現役の時に落ちちゃって、そのまま第二志望の大学に行ったんだ」
初耳だった。彼女は第一志望をずっと目指し続けると思っていたし、そもそも合格すると思っていたからだ。本当なら、こういう会話は卒業する前にするべきなのに、3年越しになったことに違和感を覚える。まあ、彼女を避けていたのは僕なのだが。
「第二志望の、医学部?」
「ううん。普通に理工学部」
これまた意外だ。彼女は医者を目指していたはずだ。理工学部に行ったということはきっと、その夢を諦めたということだろう。もっと詳しく聞きたかったが、そんな勇気はもちろんないのだった。
「だから、西岡くんのことはすごいと思うよ」
彼女は僕のことを、すごいと言ってくれる。それは高校時代からそうだった。だが、それは偽りなのだ。僕は彼女の前で演技をしていて、だから僕は彼女の前から逃げたのだった。
「あのさ」
僕は、その演技を今日で終わらせなければならない。
「話さなきゃいけないことがあるんだ」
