羽生結弦と雪肌精は共に「新次元へ」そして私たちも…羽生結弦をめぐるプロポ 第6回「美」

目次
21世紀のフィギュアスケートが羽生結弦によって新次元を迎えた
2022年北京、そしてプロアスリート宣言――コーセーは変わらず羽生結弦を支え続けた。
『PROLOGUE』そして『GIFT』『RE_PRAY』と、変わらず雪肌精の名は羽生結弦と共にあった。
羽生結弦のフィギュアスケートにおける革新の刻が動き出す、雪肌精もまたそこにあった。
フィギュアスケートの先にあるアイスストーリーという革新、21世紀のフィギュアスケートが羽生結弦によって新次元を迎えた。コロナ禍も2023年の五類移行により感染症法上は「日常」へ戻った。
ずっと羽生結弦と雪肌精は共にあった
コロナ禍ばかりの長かった月日、ずっと羽生結弦と雪肌精は共にあった。私たちもいた。
歴史上、芸術には常に現代で言うところのスポンサーである「パトロン」という王族や貴族、商人、知識人といった存在がいた。14世紀末から16世紀のルネサンス、16世紀末から18世紀初頭のバロック、18世紀のロココといった芸術運動はこうした人々によって支えられた。
そうしたスポンサーはコーセーだけではないが、美のスペシャリストであるコーセーと伝統の雪肌精、そして「みやび」はまさに羽生結弦のコロナ禍、競技時代の苦しい時期を支え、そして誰の採点にもとらわれない自由な世界で「成功しかない」興行を見守り続けた。
何度も書くが、興行とは残酷なものだ。
踊る神、ヴァーツラフ・ニジンスキーもバレエ・リュス退団後にニジンスキーバレエ団を立ち上げるも「セゾン・ニジンスキー」公演が失敗、やがて精神に異常をきたした。銀盤の女王、冬季五輪フィギュアスケート三連覇のソニア・ヘニーも第二次世界大戦前からアイスショーや映画で活躍するも南米公演の失敗でそのプロ生活に幕を閉じた(もっとも、その時すでに彼女は40歳を超えていたので驚異的には違いない。さすがは女王)。だから駄目だ、とかでなく興行とは本当に残酷なのだ。
実力ばかりでない要素に満ちた、禍々しい世界
興行失敗、それこそ一瞬で破滅する。実力ばかりでない要素に満ちた、禍々しい世界だが、ある意味、芸術=「美」とはそういうものとも言える。
綺麗事ばかりでないから美しい。