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倒れ、もがき、苦しむ。残酷で美しき、その希望『Happy End』ーー『羽生結弦 notte stellata 2026』紀行(4)

(c) AdobeStock

日野百草 ファンしか知らない羽生結弦

目次

美しく、思えたから

 羽生結弦の切迫が、まさにそのエッジに顕れている。命がけと愛他が自己の死の先にある。これまでもずっとそうだ。

 その姿勢が、自覚が『Happy End』の表現につながっているように思う。

 命がもがく、命が天を仰ぐ、死の切迫にあるエッジは氷上を高く飛ぶことすら許さないように、いや許されないのだ。それが「死」なのだから。

 なぜ困惑したのか。

 美しく、思えたから。

 苦しみ、もがき、死の切迫にある羽生結弦という存在が、とても美しく思えたからだ。

 不謹慎と思うかもしれない。それでも、美しいのだ。

 そうだ、古代ギリシャの哲学者プラトンは〈できるだけ自分自身の魂を肉体との交わりから浄め、魂自身となるように努めなければならない〉としてこう説いた。※1

〈魂という、この目に見えないもの、自分と同じように高貴で、純粋で、目に見えない場所へ行くもの、真実の意味で目に見えない場所であるハデスへ行くもの、善く賢い神のもとへ行くもの――間もなく僕の魂も、神の旨とあれば、そこへ行かなければならないのだが――このわれわれの魂が、本性的にこういう性質をもっているのに、肉体から分離されてしまうのか。とんでもない〉

〈なぜなら、魂は、その生涯においてすすんで肉体と交わることがなく、むしろ、肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことを魂はいつも練習していたのである。そして、この練習こそは正しく哲学することに他ならず、それは、また、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。それとも、これは死の練習ではないかね〉

切迫のエッジを以て

 生きたかった命の懸命な美しさが、羽生結弦を通して伝わり来る。

 いまを生きる命と共に、その切迫のエッジを以て。

 私たちは何人であれ限りある命にある。震災しかり、疫禍しかり。アメリカのミサイルでイランの女子生徒が何百人も消える。死は理不尽だ。いや、死は平等であり、死をもたらす「なにがしか」が理不尽なのだ。その坂本龍一の恐れと不安が『Happy End』にあった。

 私の困惑は、恐れは、不安はこのセルフコレオがまるでこの世のすべての死を、死の切迫を引き受けてしまうような、そうした儀式めいたものを覚えたからに他ならなかった。これほどまでに羽生結弦は死を受け入れている。彼には死も愛他なのだろう。でなければこれほどの苛烈な、ある意味において悲劇的なHappy Endになろうはずがない。

 白鳥、アンナ・パヴロワはバレエのために命を捨てた。実際、捨てた。彼女は命より魂をとった。治療すると踊れなくなると彼女は治療せず、瀕死の白鳥は49歳で天に羽ばたいた。死が彼女を永遠にした。白鳥は永遠になった。

 道徳的な意味で、倫理的な意味で言ったらそうした行為(日本の俳優でいえば松田優作もそうだ)を美化するのはどうか、という意見もあろう。ネット論客かしましい昨今「ロバの論理」でなんでも難癖をつける連中はどこにもいるしそれは以前より可視化され、社会の憎悪そして敵意を膨らませている。ロシアのウクライナ侵略、アメリカとイスラエルのイラン侵略もまたそうだろう。悔しいかな、いまのところ私たちはどうすることもできない。

 死もまたしかり。どうにもならない、大きな災禍、疫禍、戦禍はもちろん小さな個人間の諍いも、死も私たちは容易く乗り越えることなど不可能だ。それはみんな知っている。もちろん、羽生結弦も。

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この記事の著者
日野百草

1972年生まれ。日本ペンクラブ広報委員会委員。出版社勤務を経て国内外における社会問題、政治倫理を中心に執筆。大学院で芸術学を専攻、修士(芸術)、芸術修士(MFA)。文芸論、人物評伝および比較史におけるポップカルチャー、またフィギュアスケートなど舞踏芸術に関する論考も手掛ける。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。著書『評伝 赤城さかえ 楸邨・波郷・兜太に愛された魂の俳人』他。

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