羽生結弦の研鑽という名の「地獄」はかくも残酷な道だった…冷静と狂気こそが天才の所以

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私が戦士である、という絶対的な誇り
「矜持」とは、相対的でない、絶対的な価値観である。
誰とも比べない。ただひたむきに自己と向き合い、自己の研鑽と自分の思う「道」を歩み続ける者の自負、それが矜持である。
かつて古代中国の戦士は矛を持ち、敵と対峙する時にこの矜持を胸に戦った。これが武士道にも通じる「矜持」の語源とされるが、己のみを信じる、己のこれまでを信じる。
誰でない、私が戦士である、という絶対的な誇り。でなければ己の命をかけることなど無理だろう。それこそが「矜持」である。
何と肉体的にも、精神的にも残酷な日々を自らに課しているのだろう
ゆえに、羽生結弦は「矜持の人」だ。
それにしてもこの「矜持」という言葉、いい。
日本テレビ系列、NNNドキュメント『「職業 羽生結弦」の矜持』のタイトルは秀逸だと思う。