第7回 深瀬さんの回想、苦渋の選択とライフプラン
※ FP=ファイナンシャルプランナー。 ※「みんかぶFP相談室」は実在しません。本記事の個人名、固有名詞などは全てフィクションです。
人生は一つ一つの選択の積み重ねで出来上がっていて、過去の選択を変えることは絶対にできません。
自分に変えられるのは、今から未来への行動のみ。
過去を悔やむ気持ちにしっかり向き合ったら、前を向いてライフプランと一緒に進みたいですね。
【登場人物】
- 私(深瀬さん) ………… 本日の相談者。みんかぶFP相談室の室長、アラフィフの女性
- 風間さん(Gさん)…………深瀬さんの元上司。Fさんの夫
- Fさん………… 深瀬さんの元部下。Gさんの妻
※今回は、全て深瀬さんの回想シーンです。
私が初めて結婚したのは25歳のことだったわ。
一般事務職で就職した会社で、同い年の彼(同期)と社内恋愛した後、職場結婚して寿退社した。
ちなみに寿退社とは、職場で相手を見つけて結婚したら、女性は自発的に会社を辞めていくという不文律のことね。昔は女性の退職には典型的なモデルケースがあって、みんな暗黙の了解でそれに従っていたから。
終身雇用は男性だけの制度だ。女性は20代のうちに結婚相手を見つけて依願退職しなくてはいけない。そういう理不尽な空気に、20代の頃は何の疑いも持っていなかったな。
結婚の翌年、26歳で娘を出産した私は、昭和っぽい「家庭像」に従って、専業主婦になって子育てをしてた。お気楽に「そんなもんだ」って思ってたからね。
夫は何を考えているのか分からないところもあったけど、すごく優しかった。不器用な私を責めず、娘を可愛がって、いつもニコニコとしていた。
そんな夫のために、私は苦手な家事を一生懸命続けたわ。自分の時間のほとんどを育児と夫の世話に使っていたけど、ぜんぜん嫌ではなかったの。
この頃が人生で一番ほのぼのとしてたな。厳しい現実も知らなかったし、それはそれは幸せな時間だった。私は一寸の迷いもなく、この幸せがそのまま続くと信じ切っていたから。
◇ ◇ ◇
ところが娘が5歳になった時、最初の結婚は突然終わってしまった。
ある朝、いつものように家を出た夫はいきなり駆け落ちして、そのまま消えた。相手は、名前も存在もどこで知り合ったのかも知らない女だった。
私は家庭での彼しか知らなかったの。だから彼が何を思って駆け落ちしたのか全く分からない。
その後、夫は行先知れずのまま、話し合うこともなく、記入済みの離婚届だけが送られてきたわ。
私は突然のことでどうしたらいいのか分からないし、悲しいやら怒りやらいろんな感情が溢れてきて、ただただ泣いて一日を過ごしていた。
するとある日、精神的に弱り、家事もできず、娘を放置気味の生活を送っていると知って、見かねた両親が、訪ねてきてくれたの。
夫が突然いなくなったことに腹を立てていた母が「うちに帰ってきなさい。近所は知り合いばかりだし、安心して幸せに暮らせるわよ」と言うので、私は言われるがまま実家に帰ることにした。
だけど実家では、毎日のように近所の人が夫に逃げられた私の顔を見にきて世間話をしていくので、母の考えとは真逆の落ち着かない日々を過ごすことになったのよ。
2度目の結婚と生活保護
程なくして、田舎のつながりでお見合い話が舞い込んで、再婚することになった。
この時の私は「再婚するしか選択肢がない」と思い込んでいたわ。20年くらい前の田舎では「女も男も、とにかく結婚しなければいけない」っていう同調圧力があったからね。
私は「今度こそ、細やかなコミュニケーションを取って仲の良い夫婦になろう」と考えていた。
「あそこの角の小林さん家の次男だから、安心だな」と両親は言っていて、私も「地域のつながりがある信頼できるご縁だ」「今度は大丈夫だ」と思っていたのだけれど、やっぱりこれも外れくじだった。
2番目の夫は気性が荒い人で、幼い娘に手をあげた。2回目の結婚は暴力から逃れることに必死だった。
この結婚のことを周囲に訊かれると、私は「あっという間に終わったから、2回目の結婚はカウントしてないの」と笑って答えているけど、本当は記憶がほとんどないのよ。娘を守ることだけで頭がいっぱいだったから。
私は無我夢中で荷物をまとめ、気づいたら幼い娘の手を引いて家を出ていたわ。
◇ ◇ ◇
実はこの時、私は生活保護を受けたの。
着の身着のままでDVシェルターに避難して、それから生活保護を申請して、生活を立て直した。
生活保護のお金を使って、まず娘が安心して小学校に通えるように生活環境を整えなければならなかった。わずかなお金しかないのに新しい住居を見つけられるだろうか。それだけを考える日が続き、全てが慌ただしく過ぎていったわ。
1年ほど生活保護の扶助を受けながら暮らしたわね。肉体的にも精神的にもボロボロになり、大きな病気が発覚して入院する期間もあったっけ。
住む家が決まり、娘も小学校に通い慣れた頃、私は何とか働き口を見つけることができた。
最初はレジ打ちだった。
親族にはもう助けてもらえなかった。
自分でも「ああ、ここが人生のドン底ってやつか」と絶望を感じたことは忘れられないわね。
逃亡生活は辛いと思う間もないくらい忙しかった。疲れ切って寝入る直前にふいに悲しさ、悔しさ、夫への恨み、家族への怒りが湧き上がり、泣いた夜も数え切れない。
毎日必死だったし、病気もした。休みなく働き、家事をし続ける生活は、できればFさんに経験してほしくないと思っているわ。