ルポ池袋チャイナタウン…日本人との軋轢、マフィア抗争、豊島区の10人に1人は中国人「ガチ中華の本音」(特集:丸わかり中国経済 第8回)
2000年代初頭、東京・池袋の一角に在日中国人たちが集まり、独自の文化圏を形成し始めた。通称「池袋チャイナタウン」。みんかぶプレミアム特集「丸わかり中国経済」第8回は、バイオレンス小説さながらの混沌(こんとん)の時代を経て、いまや東京の新名所として定着したこの街の住人たちの本音に、気鋭のルポライター・廣瀬大介さんが迫る。
目次
バブル崩壊と歌舞伎町浄化作戦により池袋に在日中国人が集結
日本にいながらリアルな中国の食生活を疑似体験できる場所として注目を集めている東京・池袋。特に池袋駅北口には中国各地の料理が現地のテイストで味わえ、メディアでも “ガチ中華” として頻繁に紹介されている中華料理店が軒を連ねている。
「池袋チャイナタウン」とも呼ばれる現在の池袋北口だが、その変容のきっかけは1980年代後半にさかのぼる。1978年から始まった「改革・開放政策」をきっかけに、中国は海外資本の受け入れを開始するとともに、徐々に海外留学をする若者が増加していった。当初は国費留学が主流だった中国人留学生だが、80年代後半からは、規制緩和によって私費留学生の数も急増し、当時バブル経済に沸いていた日本を目指し、多くの中国人が東京にやってきたのだ。
当時、高田馬場や池袋東口には多くの日本語学校があり、留学生たちは日本の大学への進学を目指していた。この頃、池袋に集まる留学生のために誕生したのが中華物産店(中華食材スーパー)だった。彼らの多くは親戚中から借金を重ねて日本への留学を果たし、アルバイトで学費や生活費を工面する苦学生がほとんどだった。そうした生活の中で、故郷の食材や調味料が手に入る中華物産店は貴重な存在だったのだ。
90年代の池袋北口では、わずか数店の中華物産店を目当てに、多くの中国人留学生が訪れていたわけだが、こうした状況も2003年に始まる、当時の石原都知事による “歌舞伎町浄化作戦” で一変する。2000年代初頭、歌舞伎町では暴力団や複数の中国系マフィアによる対立が激化しており、勢力争いが繰り広げられていた。その後、浄化作戦が実行されると中国系マフィアの一部は池袋を拠点に勢力拡大を図るようになっていった。さらに、新宿からは後ろ盾を求め、中国系飲食店や娯楽施設が相次いで池袋に移転する動きも目立つようになっていった。
同時に、現在池袋と並ぶ “ガチ中華” の聖地として知られる埼玉県西川口にもこの流れは波及した。歌舞伎町浄化作戦は西川口にも広がり、西川口に多く存在した違法風俗店やキャバクラは摘発の対象となり、多くのテナントが空室となってしまった。この空室にも、新宿から流れてきた中国系飲食店やエステ店が次々と入居したのだ。池袋や西川口の中国系飲食店の主な顧客はあくまでも在日中国人で、横浜中華街とは異なり日本人の舌に忖度(そんたく)しない中国現地の料理が提供されていた。これが現在、話題となっている “ガチ中華” 誕生のきっかけとなったのだ。