石丸伸二「東京都知事選に出ようと思ったのは2、3月頃」…なぜ東京都知事選で2位という快挙を実現できたのか

2024年は、政治家・石丸伸二氏が全国区の知名度を盤石なものにした1年だったとも言えるだろう。あらためて、石丸氏はなぜ東京都知事選に出馬したのか。2位という快挙についてどう思っているのかーー。みんかぶプレミアム特集「オールドメディア vs SNS」第10回。
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都知事選以降よりも、安芸高田市長時代の方が忙しかった
ーー5月の都知事選への出馬表明以降、メディアへの出演が一層増えました。2024年を振り返ると、相当忙しい1年だったのではないでしょうか。
私自身としては、忙しくなったという実感はあまりありません。ただ、多くの方がそう感じるのは、私に関する情報が増え、それがさまざまな形で拡散されるようになった結果ではないかと思います。私の主観で言えば、都知事選以前の職業人として働いていた時のほうが、むしろ忙しく大変だった時期もありました。
2024年を振り返ってみると、1月から6月までは安芸高田市長としての職務を全うしていました。その間、市長としての責任や重圧を考えると、都知事選出馬後の活動よりもはるかに大きなものだったと思います。
特に、私の任期が最終年度にあたっていたため、1月から3月はこれまでの集大成を仕上げる段階でした。この時期は、予算編成や議会対応などで非常に忙しい日々を過ごしていました。しかし、自分の任期をここで一旦終わりにしようと決めていたので、できる限りのことを全力でやり切りました。
東京都知事選に出ようと思ったのは2、3月頃
ーー市長の任期を終えることを表明されたのは5月頃だったと思いますが、その決断はいつ頃からされていたのでしょうか?
決断したのは、2月から3月頃ですね。諸々の事情はありますが、一言で言えば、「条件が揃った」のがその時期だったということです。まず、市長を続けるか否かという判断が必要でした。その際に、「安芸高田市長として、まだやるべきことがあるか」という問いを自分に投げかけました。それに対しては、先ほどお話しした2024年度の予算を編成し、政策を実現するめどが立ったことで、市長としての役割に一区切りをつけられると判断しました。
さらに、予算編成の過程で職員たちと共に仕事をする中で、彼らの働きを見て「もう大丈夫だ」という確信を持つことができました。辞職する前に職員たちには、「どんな市長が来ても、皆さんがしっかりしていれば大丈夫です」と伝えました。私は安芸高田市役所の職員を信頼していますので、全く心配していません。
都知事選で結果を出すために考えていたこと
ーー職員やチームのメンバーとの信頼関係を築く上で、大切にされていたことはありますか?
「目的意識の共有」を最も大切にしていました。そのため、飲み会などで交流を図る方法もあるとは思いますが、コロナ禍という状況もあり、そのような場を設けることはできませんでした。そこで、普段の業務の中でのやり取りや、会議での意見交換を通じて、目的意識をしっかり共有することに重点を置いていました。
目的意識が共有できていれば、指示を出した際にも、それをきちんと理解し、業務に反映してもらえます。さらには、指示を細かく伝え切らなくても、自発的に動いてくれるようになります。それは、目的意識が共有されているからこそ、次に何をすべきかを各自で考えられるようになるからです。このような状態が実現すれば、組織として非常に強い力を発揮できると思います。
ーー市長時代に培ったリーダーシップは、都知事選の選挙活動でも生かされましたか?
選挙は期間が短いため、長い時間をかけて信頼関係を築いていくといった方法を取るのは難しいと感じました。しかし、市長時代と通底しているのは、「目的意識の共有」を重視する姿勢です。特に選挙のように短期間で結果を出さなければならない場面では、「何のために今これをやるのか」という目的をどれだけ具体的かつ明確に言語化できるかが重要だと考えています。
目的意識がチーム全体で共有されていれば、指示をしなくても行動してくれるようになります。このような「以心伝心」に近い状態が、選挙活動中にも自然に起きていると感じました。それは、市長時代の経験から得たリーダーシップの基盤が、選挙活動という異なる環境でも生かされた結果だと思います。
都知事選2位の結果をどうみているか「マスメディアが最初から取り上げてくれていれば余裕で勝てた」
ーー選挙結果は2位でしたが、ご自身ではこの結果をどのように評価されていますか?