「事件が起きるまで、誰も見向きしなかった」旧統一教会を追い続けた鈴木エイト氏が語る“オールドメディアの責任と未来”

旧統一教会と政治の「癒着」を長年にわたり追い続けてきたジャーナリスト・鈴木エイト氏。その取材姿勢と執念が広く知られるようになったのは、2022年の安倍晋三元首相銃撃事件以降だった。事件をきっかけに、氏のもとには一気に「オールドメディア」と言われる媒体からの取材依頼が殺到し、結果的に大勢に変化が訪れた。鈴木氏は、なぜ“大手メディア”から長らく距離を置かれていたのか。そして、「事件後」に何が変わったのかを振り返りつつ、いま報道に求められる役割について書いてくれた。みんかぶプレミアム特集「オールドメディアの黄昏」の第3回。
目次
長年「大手メディア」とは縁がなかった
昨今、「オールドメディア」というワードが侮蔑的な意味合いで使われている。本来はインターネットを介した様々な情報伝達媒体としてのデジタルプラットフォームの総称である「ニューメディア」との対比で使われてきた用語だ。揶揄的にオールドメディアと呼称する場合の対比としてのニューメディアには、YouTubeやSNSなどを指しているケースがほとんどである。その上で人々がどちらに重きを置き、信頼を抱いているのかといった論考が盛んに行われている。
テレビ、新聞、ラジオ、雑誌といった伝統的なオールドメディアを私の関係性で振り返れば、一部の週刊誌や月刊誌には寄稿をしてきたので「雑誌」ジャンルとの付き合いはあった。だが、そのほかの主要なテレビ局や新聞といった大手メディアとは単発的な取材協力といった程度の接点に過ぎなかった。
長年、統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題や同教団と政界の「癒着」を追及してきた私にとって、いわゆる大手メディアとはほとんど縁がなかったことになる。今のように、主要なテレビ番組やラジオ番組にゲストとして出演するようになるまでは、ニッチなトピックに詳しい無名のジャーナリスト、という位置づけだった。
統一教会自体も「オワコン」扱いされていた
私が問題視し追及してきたことは、一般のメディアが率先して取り上げたいと思うようなトピックではなかったのだろう。こちらから企画を持ち込んでも、実現しないことが常だった。特に政権中枢と統一教会との間に「歪な共存関係」があったことについては「なぜこんな重要なトピックに大手のメディアがまったく関心を持ってくれないのだろう」という思いはあった。
確かに私が追っていた問題の深刻さや重要性に比して、各メディアの関心の薄さへのジレンマはあった。だが、その一方で大手メディアがほとんど興味を示さなかったことについては、統一教会自体がいわゆる「オワコン」扱いされていたことを肌で感じていたので、私自身も各メディアの対応を仕方のないこととして見ていた部分もある。
安倍元首相銃撃事件から問い合わせが殺到
ところが、そんな状況が続くなかで結果として元首相銃撃という社会を震撼させる重大事件へと発展した。これは私を含む“メディアの敗北”に他ならない。敢えて“敗北”というワードを使ったのは、重大な事件が起こってしまう前に社会へ問題性を適切に提示することができなかったことへの自戒の念を込めたからだ。
重大な事件が起こってようやく大手メディアは事件の背景を探るため、一斉に取材を始めた。その過程で、「この問題に最も詳しいジャーナリストがいる」「様々な証拠となるデータを持っているらしい」といった情報が駆け巡り、取材依頼や問い合わせが殺到した。
私は一切の出し惜しみをせず、自分が蓄積してきた取材データを提供した。様々なメディア、報道機関で総合的に取材をしてほしいと思ったからである。私は自分の調査報道の取材方法として、大きなパズルのピースを埋める作業に例えている。様々な証拠を得るたびに、ピースを嵌めてきたが、自分では埋めきれないピースが多々あった。そんなピースを〝チームジャパン〟として、すべてのメディアで追及してほしいと思った。実際に、私の提供したデータによって、ベースとしてのファクトベースが整った。その上で各報道機関がそれぞれ取材に動き、健全なスクープ合戦が繰り広げられた。結果としてどんどんピースが埋まっていった。