就業中に社員がキャッチボール…実家の海産卸売りをM&Aで売上高10倍にした中小企業「事業拡大術」
三戸政和氏著の『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』(講談社)が出版されたのは2018年のことだ。大企業のビジネスパーソンとして身に着けたスキルは、事業継承などにおいての大きな武器になると力説した同書は、働く人たちに新たな「選択肢」を提案し、シリーズ累計で20万部のベストセラーとなった。その一方で、素人に会社を買わせることを「詐欺的だ」と一方的に批判する声もあがった。
では実際に会社を買った人たちは今、どんな人生を歩んでいるのだろうか。
連載「300万円で小さな会社を買ったサラリーマンたち」では、事業継承者たちのその後を追う。第2回は海産物の卸売業の売上を10倍にした元精密機器メーカーの男性だ――。
*本稿は三戸政和氏監修のもと、編集部でインタビューを実施したもの。
苦しむ父を見たくない。破産寸前の稼業を継ぐ決意
M&Aによって、売上を10倍に増やす――。
そんな驚きの成長を遂げた会社がある。福岡県福岡市に拠点を置いている株式会社マルヨシだ。
1985年に創業し、海産物の輸入卸売業を展開、現在は二代目の吉塚二朗さんが社長を務めている。サラリーマンだった吉塚さんは父から会社を引き継いだ後にM&Aによって売上を約10倍にすることに成功。
一時期は傾きかけていた会社を見事に立て直した。
このような概略だけを追うと、単にM&Aによって事業を成功させた華々しい一事例としか映らないだろう。しかし吉塚さんがM&Aにたどり着くまでには一筋縄ではいかない十年を超える困難があった。
そしてその困難の中にこそ、吉塚さんの現在の成功を支える糧を見出すことができる。
二代目社長を務め会社を成功へと導いた吉塚二朗さんだが、そもそもはまったく違うキャリアを歩んでいた。
「マルヨシは私の父の会社でした。私自身は大学を卒業後、大手精密機器メーカーに就職しました。当時は父の会社を継ごうとは全く思っていませんでしたね」
吉塚さんは駐在員として海外で生活をし、稼業とは文字通り遠く離れた場所に身を置いていた。
そんな吉塚さんの転機となる出来事が駐在員生活6年目に起こる。
「当時駐在していたオランダに父を呼んで二人で話しているときに、ふと稼業のことを聞いてみたんです。父はどうにも話しにくそうに言葉を濁します。そんな父を見て何かあるのではないかと思いました」
吉塚さんの悪い予感は的中することになる。
帰国して決算書を見ると、売上金と借入金がほぼ同額。つまり、事業としては黄信号、それも限りなく赤に近い黄色という状態だった。客観的に見ると当時のマルヨシは事業を継承するメリットは非常に乏しい状態ということになる。しかしそんな状態のマルヨシだからこそ、吉塚さんの心を動かすこととなった。吉塚さんは安泰なサラリーマン生活に終止符を打ち、稼業を継ぐことを決意する。
「最大の理由は尊敬している父が苦しむ姿を見たくないということでした。自分がマルヨシの一員として働くことによって経営を立て直していけるのではないかという思いを持っていました」
火中の栗を拾うようにマルヨシで働きはじめた吉塚さん。もちろんそこからの道のりは決して簡単なものではなかった。
就業時間中、社員がキャッチボールをしていた
「当時のマルヨシは従業員が父を入れて4名ほどという小さな会社でした。私は元々一人ひとりの役割が明確に定められている大手で働いていたこともあってか最初は違いに戸惑うことが多かったです」
例えば、入社初日にはそれまでのサラリーマン生活では見たことがない衝撃的な光景を吉塚さんは目にしている。
「従業員たちが昼休みでも何でもない就業時間中にキャッチボールをしているんです。父もそれを咎めるということもない。ありていに言えば、社員も社長である父も会社を改善や向上させていくためのやる気が感じられない状態でした」
良く言えば牧歌的な古き良き日本企業とも言えるのかもしれない。
だが、経済状況は赤字である。吉塚さんは改革を打ち出し、現状を打破しようとする。しかし、当時のマルヨシの中では吉塚さんは異質と言える存在だったため、従業員と対立を深めてしまう。
「結果的に従業員は全員辞めて会社は私と父と社員1名だけになったときもありました。仕事に必要な業務を私ひとりでやっている時もありました。最初のうちは負けず嫌いな気持ちもあり、モチベーションを保っていられました。が、月日が経つにつれて『何をやっているんだろうか』と思う場面も増えていきました」
吉塚さんの給料は大手精密機器メーカーに務めている時の3分の1程度まで減少。大きな改善を成しえないままに時間だけが流れていく。
そして2012年に父が他界する。
「父の他界によって覚悟が固まったという面が少なからずありました。マルヨシは自分が何とかするしかないんだという思いがより強くなりました」
そんな吉塚さんが事業改善のために打った施策がM&Aだった。
M&Aを経て売上が約10倍に
吉塚さんはなぜM&Aに踏み切ったのだろうか。狙いとしてあったのは課題の克服だった。
「それまでのマルヨシは活魚車という水が溜まっているトラックで生きた伊勢海老をお客様の元へ届けるということが事業の柱でした。この事業には二つの課題があります。ひとつは伊勢海老を仕入れて届けるだけなので付加価値が低いこと。ふたつめが商圏がトラックで鮮度を保ったまま行ける範囲だけに限定されることです」
つまり、商圏と利益の拡大が吉塚さんのM&Aの目的ということになる。
最初のM&Aがマグロの加工会社、次がふぐの加工会社、そして最後がのどぐろを輸入している会社。
それぞれのM&Aは目的達成のための道筋上のものとして見ることができる。
「最初のふたつの加工会社の設備やノウハウによって製造もできるようになりました。このことによって商品に付加価値をつけ、利益率をあげられるようになります。のどぐろを輸入している会社は全国に販路を持っている点が大きな魅力でした。商圏の課題も劇的に改善していくことが可能になりました」
吉塚さんの決断の結果は、すぐに具体的な数字として現れ始めた。
「私が会社を引き継いだ時の売上は2億弱でした。いまでは20億前後にまで伸ばすことができています」
なんと、事業は売上10倍に飛躍的に成長したのだ。マルヨシの収益の拡大という結果から、吉塚さんの決断をM&Aの成功例として見ることができる。しかし、その上で吉塚さんはM&Aの難しさも感じているという。3社のM&Aを経験した吉塚さんが感じているM&Aの難しさとはどういった点だろうか。
”買う側”と”売る側”で値段をどう決めるのか?
「3社のM&Aを経験したことで先を読むことの難しさを身を持って実感しました。
M&Aの際には企業価値算定のためにマーケットアプローチ、コストアプローチ、インカムアプローチで価値算定のシミュレーションを行っています。加えてM&A後の売上や利益のシミュレーションも行いますが、実際のM&A後にシミュレーション通りに進んでいくことの方が珍しいです」
また会社を買うことは大きな決定になる。多くの人の懸念としてあるのはやはり料金面ではないだろうか。この点についても乗り越えなければならない障壁がある。
「こちらの買いたい値段と向こうの売りたい額に乖離があることは珍しいことではありません。こちらで算定した純資産などの根拠を示して交渉しますが、買いたい側の考えている適正金額で必ずしも買えるわけではないです。会社を買うのは不動産を買うのに似ていて、最終的には(特に売り手の力が強い今は)売る側の決めた売値に近い金額になることが多いです」
費用面でも少なくない金額が必要となり、また予測通りに進まないことも珍しいことではない。
このように見るとM&Aは決してリスクの低い選択ではないだろう。その上で吉塚さんはM&Aを成功させるために最も重要な点について指摘する。
「仮に自分の思う適性金額とのギャップがあったとします。その時にギャップを気持ちでねじ伏せられるかどうかは重要かもしれません。つまり、本当に自分がその会社を買いたいと思っているのか。最終的には強い気持ちを持っているのかがその後の経営においても重要となってくるのではないでしょうか」
M&Aによって会社を見事立て直した吉塚さん。その成功の要因のひとつとして決めたことを突き進める意志の強さがあったこと、そしてその意思は幾多の困難を乗り越えることで形成されてきたことも決して見逃してはならない点だろう。
事業継承は「身売り」ではない…M&AがM&Aを呼ぶ好事例
三戸政和氏のコメント
M&Aは大企業のものだけではありません。今は、中小企業でもM&Aを活用することで、事業の拡大を図っている会社がたくさんあります。これまでと違い、「大廃業時代」を回避するため国主導でさまざまな施策が打たれ、会社を売ることが「身売り」という雰囲気が軽減されたことと、M&Aの情報がかなり流通するようになったからです。
吉塚さんのように、売上2億円の会社でもM&Aを進めて事業拡大をはかれます。自社のビジネスにおいて、必要なパーツを考え、それをパズルのようにM&Aしていけば、企業の収益力はあがります。また、一度、M&Aを経験すると、金融機関や仲介などから優先的に事業承継案件が紹介され、より自社にあった案件が持ち込まれ、条件も良くなります。企業経営の一つの手段であるM&Aを知っているかどうかで企業の成長速度は格段に変わっていきます。
M&Aに際しては、プロであってもM&A時に想定する事業計画と実際の数値は乖離しますから、一定量保守的に事業計画を見定めた上で、買収価格を決定する必要があります。