拳銃の代わりに「帳簿」を使い、一滴の血も流さずに市場を制圧する…米富豪ロックフェラー、世界初のエネルギー帝国を掌握した男の冷徹な知性

原油の過剰供給が招いた19世紀後半の市場パニック。自由競争というドグマを「罪」と切り捨て、圧倒的資本と合理性で世界初のエネルギー帝国を築いたのがジョン・D・ロックフェラーだ。現代の巨大テック企業にも通じる「独占による市場の秩序化」の正体とは。元『プレジデント』編集長で作家の小倉健一氏が、その冷徹な権力力学を解き明かす。
みんかぶプレミアム連載「一握りの大富豪だけが知っている世界の真実」
目次
石油という名の「単一の血管」に縛られた世界経済
最近、中東情勢の緊迫化に伴うイラン・ショックにより、原油価格が激しく乱高下し、世界中の市場がパニックに陥った光景は記憶に新しく焼き付いている。産油国の動向ひとつで、街のガソリンスタンドには夜明け前から長蛇の列ができ、あらゆる物価が跳ね上がり、国家の安全保障すら根底から揺らぐ。エネルギーを制する者が世界を制する。
AIだ、自動運転だ、などと騒ぎ、時代がいかに移り変わろうとも、現代社会を根底で動かしているのは、地中から汲み上げられる黒い液体であるという事実を、我々は嫌というほど思い知らされた。中東の砂漠で火の手が上がれば、遠く離れた異国の地で暮らす人々の財布が直接ダメージを受ける。世界の経済は、石油という太く一本の血管で繋がっており、供給が少しでも滞れば、物流は止まり、工場は沈黙し、社会全体がたちまち機能不全に陥ってしまう。
現代とは正反対の「エネルギー危機」 19世紀アメリカを襲った原油暴落の衝撃
現在進行形で起きているエネルギー危機を前にして、時間を19世紀後半のアメリカ合衆国へと巻き戻してみよう。現在とは全く逆の理由で、石油市場が未曾有の危機に瀕していた時代があった。原油が足りないのではなく、原油が異常なほど余り、価格が底なしに暴落していくという危機である。資本主義が産声を上げ、荒々しい欲望が野放しになっていた時代に、世界で初めてエネルギーという巨大な権力を完全に掌握し、人類史上初の億万長者となった人物が存在した。ジョン・D・ロックフェラーである。
1859年、ペンシルベニア州の静かな森の中で、歴史的なオイル・ブームが幕を開けた。大地から真っ黒な油が天高く噴き出す壮絶な光景は、一攫千金を夢見る無数の人々を狂気にも似た熱狂へと駆り立てた。泥深い油田地帯には、野心に満ちた荒くれ者たちや一山当てようとする事業家たちが全米から殺到し、雨後の筍のように粗末な精製所が至る所に乱立した。誰もが手当たり次第に油井を掘り、抽出した油を少しでも安く売ろうと、見境のない価格競争を繰り広げていた。
「血が流れる時こそ買い時」ロックフェラーが企図した資本による市場制圧
市場には油が溢れ返り、価格は乱高下を繰り返し、数え切れないほどの小規模業者が次々と倒産していった。街には石油の強烈な悪臭とともに、敗北した経営者たちの絶望が満ちていた。泥にまみれて懸命に汗を流し、徹夜で石油を精製しても、生み出されたわずかな利益は、終わりのない価格競争によって瞬時に消滅してしまう。無秩序な市場は、貴重な地下資源を無駄に燃やし尽くし、産業全体を破滅へと向かわせる病的な状態に陥っていた。労働者たちは劣悪な環境で油にまみれ、事業主たちは借金の返済に追われ、誰も勝者のいない不毛な泥仕合が延々と続けられていたのである。
狂騒と絶望が入り交じる無法地帯において、ただ一人、極めて静かに盤面を見つめている男がいた。激動の時代において、ロックフェラーは次のように語っている。
「血が街を流れている時こそ、買いの好機である」
市場がパニックに陥り、ライバルたちが資金繰りに苦しみ、次々と倒れていく地獄のような光景。一般の人間であれば恐怖で身をすくませる場面こそが、帝国の礎を築くための最高の舞台であった。無秩序な競争を終わらせるため、圧倒的な暴力とも言える巨大な資本の力で市場を制圧し始めた。