「1000ドルのうち950ドルは愚かに使われる」大衆を信用しない鉄鋼王……「美談の慈善」の裏でカーネギーが完遂した、死後も世界を支配するシステム
晩年、自らの莫大な富を惜しみなく社会へ還元し、「歴史上最も偉大な慈善家」と称されるアンドリュー・カーネギー。世界中に図書館や大学を遺し、「富めるまま死ぬ男は、不名誉のうちに死ぬ」と語った彼の姿は、一見すると冷酷な資本家が最後に行き着いた「美しい改心の物語」のように映る。だが、その慈善の裏側には冷徹な選別思想が隠されていた。彼は貧困層への直接給付を「無分別な慈善」として拒絶し、富の配分権を勝者が独占すべきだと本気で信じていた。元『プレジデント』編集長で作家の小倉健一氏が、カーネギーが遺した「富の本当の使い道」の正体に迫る。
みんかぶプレミアム連載「一握りの大富豪だけが知っている世界の真実」
目次
墓場まで金を持っていかないーーカーネギーの明確な富の哲学
金持ちが、自分の財産を世の中のために使う。寄付をして、人々の役に立てる。立派なことだ。誰もがそう思う。アンドリュー・カーネギーは、まさにそれをやった男だった。しかも、誰も真似できないほどの規模で。
彼は晩年、自分の築いた莫大な富を、惜しみなく社会へ返していった。世界中に図書館を建て、大学をつくり、数えきれないほどの人々に学びの場を与えた。その額は、いまの価値に直せば、想像もつかないほど大きい。これは、歴史に残るもっとも偉大な慈善のひとつとされている。そこに嘘はない。
彼は、富の使い方について、はっきりとした考えを持っていた。それを示すのが、有名なこの言葉だ。
「このようにして富めるまま死ぬ男は、不名誉のうちに死ぬ」
つまり、こういうことである。たくさんの富を抱えたまま死んでいくのは、恥ずべきことだ。財産は、生きているうちに、自分の手で世の中に返しきってこそ意味がある。墓場まで金を持っていくな、というわけだ。
「美しい改心の物語」という世間の誤解…晩年の巨額慈善の裏に一貫して存在した冷徹な視点
ここまで聞けば、カーネギーという男は、晩年になって心を入れ替えた、心優しい人物のように思える。若い頃は冷酷に富を集めたが、最後にはそれをすべて人々のために投げ出した――そんな、美しい改心の物語に。だが、この連載をここまで読んできた人なら、もう気づいているはずだ。この「慈善」の裏にも、大富豪だけの世界の見方が、しっかりと隠されている。彼は、最後の最後まで、ただの善人にはならなかった。
その見方を解く鍵は、彼が何を嫌っていたかにある。カーネギーは、貧しい人に、ただ金を手渡すことを、激しく嫌った。困っている人がいれば、いくらかの金を与える。それは、ごく当たり前の親切に思える。だが彼は、こうした親切を「無分別な慈善」と呼んで、強く否定した。
なぜか。彼の考えは、こうだ。
貧しい人に直接金を渡しても、その金の大半は、無駄に使われて消えていく。彼の言葉を借りれば、「1000ドルのうち、950ドルは愚かに使われる」。
与えた金のほとんどは、正しく使われずに溶けてなくなる、というのである。
「貧しい大衆は金を正しく使う能力がない」という本気で信じ込んだ合理主義
ここに、彼の本音が透けて見える。カーネギーの目から見れば、貧しい人々は、金を正しく使う能力を持っていない。手元に金が来ても、それを賢く役立てることができず、つまらないことに使ってしまう。だから、彼らに直接金を渡すのは、無駄なのだ。冷たい言い分だが、彼は本気でそう信じていた。
では、誰なら、金を正しく使えるのか。答えは、彼自身だ。いや、もっと正確に言えば、彼のような人間だ。厳しい競争を勝ち抜き、頂点に立った優秀な者。富を築き上げた、頭の切れる成功者。そういう人間こそが、金をどう使えば世の中のためになるかを、いちばんよく分かっている。だから富は、いったんそういう優秀な者の手に集まるべきであり、その者が自分の知恵で、どこにどう配るかを決める。それが、富のもっとも正しい使い方なのだ、と。
これが、彼の言う慈善の正体である。図書館を建てたのも、ただの親切心からではない。彼は、貧しい人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を学べる場所を与えようとした。本を読み、自分を高め、自分の力で這い上がろうとする者。そういう、見込みのある人間にだけ、機会を与える。だらしなく金を求めるだけの者には、一銭も渡さない。誰を助け、誰を助けないか。それを決めるのは、世間でも、国でもなく、カーネギー自身の考えひとつだった。