ゼレンスキー、実は2回目の大統領だった…「国民のしもべ」を演じた1回目から英雄へ
戦時下において、一躍 “英雄” となったウクライナのゼレンスキー大統領。ロシアによるウクライナ侵攻が現実のものとなったとき、ゼレンスキーは国民に向けて一体どのような発信を行ったのか。ウクライナとロシアをつぶさに見てきた2人のジャーナリストが語る――。全4回中の1回目。
※本稿はレジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン著『ゼレンスキーの真実』(河出書房新社)から抜粋・編集したものです。
第2回:世界各国の首脳の心を一瞬でつかむ、ゼレンスキーの会話術…反応の鈍さ、政治的無知
第3回:俳優ゼレンスキーが仕掛けた「ショート動画戦略」…タレント業専念、選挙運動一切なしで支持率73%で大統領当選
第4回:視聴者をつかむ「ゼレンスキーの動画戦略」1.毎日投稿、2.毎日同じ服、3.市民か感じていることを代弁
戦時下の英雄の誕生
眠れない夜が明けてみると、ウクライナ国民は戦争のなかにいた。2022年2月23日の晩、多くのウクライナ国民がなかなか眠りにつけなかったのは、2日前に聞いたロシアのプーチン大統領の演説が耳に残っていたからだ。
プーチン大統領は、ロシアとウクライナの歴史とそれぞれの地理的条件について長々と自説を展開したあと、ウクライナの存在を一方的に否定するような発言をしたのである。その発言の目的は、自分が始めようとしている戦争の根拠を示すことだった。
夜ふけになって緊張が高まる。2月24日午前2時ごろ、ゼレンスキー大統領がワイシャツに黒ネクタイという姿でロシア国民にロシア語で話しかけると、メールとSNSのやりとりが一気に増えた。ゼレンスキー大統領は次のように語った。
「理性に耳を傾けてください。ウクライナ国民が望んでいるのは平和です」
そして、プーチン大統領と電話で直接話そうとした、と打ち明けた。「しかし電話に出てはもらえなかった」。彼はおごそかにふたつの国の今後に言及した。
「ウクライナは戦争を求めていない。ウクライナは攻撃はしないが、防衛はする。そして立ち向かう。背中を向けることなく、正面から立ち向かう」
その後しばらくして、プーチン大統領の夜の演説が放送される。プーチンは熱っぽい口調で、「ウクライナの非ナチ化」を目的とする「特別軍事作戦」を開始すると告げた。それが宣戦布告を意味することを、誰もがすぐに理解した。
演説が終わってから数時間後、クラマトルシク、キーウ、ハルキウに弾道ミサイルが撃ち込まれた。パニックが起こった。2月24日、朝6時を迎えるころ、ロシアがウクライナに仕掛けた戦争が始まったのだった。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは夜明けごろ、かつて大統領選をスタートさせたときやっていたように、自撮りモードにしたスマートフォンをつかんだ。襟元をゆるめたシャツの上にネクタイをしたゼレンスキーは、怒りの表情で国民に直接語りかけた。
「プーチンはウクライナに、そして民主主義の立場に立つ世界全体に宣戦布告した。この男は私の国家、私たちの国家、私たちが築き上げたものすべて、私たちが生きる目的すべてを破壊しようとしている。ウクライナ国民、とくに兵士のみなさんに言いたい、あなたがたは勇敢でタフだ。あなたがたはウクライナ人なのだ」
彼は変わりつつあった。ヴォロディミル・ゼレンスキーは、大統領として平和をもたらすと約束することによって、戦時下の国のリーダーになろうとしていた。
国内外の人々の心に訴えかける話術
芸術家やクリエーター、あるいは何にでも手を出す人間はひとりで何人分もの人生を経験するものだが、44歳になるゼレンスキーはまさにそんな人間である。コント作家、俳優、シナリオライター、プロデューサー、実業家である彼は、二度にわたってウクライナ大統領の地位についたことで有名になった。
最初は2015年、『国民のしもべ』というテレビ番組で元教師の大統領を演じ、二度目は2019年、現実の選挙で勝利して大統領になった。この成り行きはあまりに斬新で珍しかったので、投票したウクライナ国民自身、夢なのか現実なのかわからなくなるほどだった。
他のヨーロッパ諸国では、存命の戦争経験者がいなくなるにつれて、第二次世界大戦の記憶が薄れつつある。そんなとき、20世紀にもっとも痛ましく悲劇的な出来事に見舞われたウクライナで、またしても重大な戦争が始まってしまった。
2月24日の夜には、最初に確認された情報として、ウクライナ側に死者137人、負傷者316人が生じたと報じられた。ゼレンスキーは新たな公式声明で、それ以後のメッセージに見られるようになる、簡潔でストレートで一歩も譲らない態度、欧米の良識ある人々の耳に痛い発言もためらわない態度を見せる。
「きょう私は、ヨーロッパ27カ国の首脳に、ウクライナがNATOに加盟できるかどうか聞いた。しかし、みな返答の影響を恐れて、答えてくれなかった。だが私たちは恐れない。何者をも恐れない。国を守ることを恐れはしない。ロシアを恐れはしない」
その日、この演説の少し前、ゼレンスキーはヨーロッパ各国首脳に厳しく深刻な現実を突きつけて、彼らの心に訴えていた。
「私が生きている姿を見てもらえるのは、これが最後かもしれない」
このとき彼は、首都キーウの北西にあるホストーメリ空港に、ロシア軍が特殊部隊を投入していることを知っていた。敵が空港を掌握すれば、大型輸送機を持ち込んで、数時間のうちに特別攻撃部隊をキーウに展開させることができる。ゼレンスキーはきっぱりと言う。
「私は首都に残る。家族もウクライナにいる。子どもたちもだ。私の家族は裏切り者ではなく、ウクライナ国民だ。聞くところによると、敵は私を第一の標的に、私の家族を第二の標的にしているという。敵は国のリーダーを抹殺して、ウクライナの政治を麻痺させるつもりなのだ」
亡命を拒否し、“本物” のリーダーへ
やがて、ウクライナ国家安全保障・防衛会議長官のオレクシー・ダニーロフは、ゼレンスキーを暗殺しようとする計画が少なくとも3回あったと明かした。
ゼレンスキーに脅威が迫っていることを受けて、米国は彼にウクライナからの出国を提案する。だが、ジョー・バイデンの命を受けて説得にきた者たちに、ゼレンスキーはそっけなく答えた。
「必要なのは弾薬だ。タクシーじゃない」。歴史に残る名台詞である。
2月25日、ロシアのメディアは競うように、ウクライナの指導者たちが国を脱出したと繰り返し報じ、彼らを卑怯者扱いした。ウクライナ国民を落胆させ、抵抗する気持ちを失わせようとする戦略だが、ロシアのメディアはウクライナ国民の気質と、変わり者の大統領の気質を理解していなかった。
日が暮れるとゼレンスキーはカーキ色のTシャツで大統領公邸を出て、同じ服装をした側近たちとともに、すぐ近くのバンコワ通りに下りていった。彼は街灯のほの暗く黄色っぽい光を受けながら、ロックグループかゲリラ部隊を率いるかのように、引き連れた5人のほうへスマートフォンを向けた。
「みなさん、こんばんは。ここには議会の会派代表、大統領府長官、首相、外交顧問がいます。そして大統領がいます。私たちは全員ここにいます。わが国の軍人もいます。国民もいます。私たちはみな、独立と国家を守るためにここにいるし、それはこれからも変わりません。国を守る者に栄光あれ! ウクライナに栄光あれ!」
このシンプルな動画は、単なる声明をはるかに超えた名人芸だった。1940年にフランス人はBBCラジオが放送するドゴール将軍の呼びかけを聞いたが、2022年、1500万人の人々が、インスタグラムをはじめとするさまざまな環境でゼレンスキーの姿を目にしたのだ。
ウクライナ国民は彼が姿を現したことに励まされ、結束の固い大統領と側近たちが国民を見放すことはないとすぐに理解した。戦争前はゼレンスキーに辛口の評価を下していた評論家も、この勇敢な行為によって態度を改めた。
2021年12月、彼の支持率は38%にすぎなかった。それが、夜の野外における動画が発信された2日後には、91%のウクライナ人が大統領の行動を支持すると答えた。ゼレンスキーがこれほどの勇気を示すと思っていなかったウクライナ人は、占領者に立ち向かう意思をにわかに強めた。同じ調査によると、回答した85%の国民が、ロシアとの戦争に勝てると思うと答えている。
ウクライナ人が闘志を持っていることはすでに確かな事実である。大統領の意表をつく行動は、ゼレンスキーの気丈さと度胸にほかならない。「ウクライナの隊長」というニックネームを授けられたこの男は、またたく間に世界中の脚光を浴び、本物の政治的リーダーであることを示したのだった。
▽プロフィール
レジス・ジャンテ
フランス人ジャーナリスト。ラジオ・フランス・アンテルナシオナル、フランス24、ル・フィガロ紙の通信員をソヴィエト時代から携わり、プーチンを20年以上追う。オレンジ革命を取材後、ジョージアに20年以上滞在してウクライナを取材。
ステファヌ・シオアン
ウクライナ人ジャーナリスト。自由のためのウクライナ、ル・タン紙、ラジオ・フランス・アンテルナシオナルなどの通信員。2013年以降、ウクライナに滞在してマイダン革命を追う。ゼレンスキーの近くで取材。