俳優ゼレンスキーが仕掛けた「ショート動画戦略」…タレント業専念、選挙運動一切なしで支持率73%で大統領当選

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、テレビドラマで大統領役を演じたことをきっかけとして、現実の大統領の椅子を獲得した。ゼレンスキーを突き動かした原動力とは何だったのか。ウクライナ国民はなぜ、政治の知識を持たないゼレンスキーを大統領に選んだのか。ウクライナとロシアをつぶさに見てきた2人のジャーナリストが分析する――。全4回中の3回目。 

※本稿はレジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン著『ゼレンスキーの真実』(河出書房新社)から抜粋・編集したものです。 

第1回:ゼレンスキー、実は2回目の大統領だった…「国民のしもべ」を演じた1回目から英雄へ
第2回:世界各国の首脳の心を一瞬でつかむ、ゼレンスキーの会話術…反応の鈍さ、政治的無知
第4回:視聴者をつかむ「ゼレンスキーの動画戦略」1.毎日投稿、2.毎日同じ服、3.市民か感じていることを代弁

弁護士を諦めてコメディアンへ

 ウラディーミルというロシア名で呼ばれていたヴォロディミル・ゼレンスキーは、1978年1月25日、まだクリボイログという名称だった灰色の地味な街で、ユダヤ系の科学者の家庭に生まれた。 

 ウラディーミルの母親リンマ・ヴォロジミリフナ・ゼレンスカは技術者になるための教育を受けた。父親のオレキサンドル・セミョノビチ・ゼレンスキーは数学者、理学博士、 クリヴィー・リフ国立経済技術大学の情報・サイバネティクス学部教授であり学部長だった。 

 ゼレンスキーはレスリングや重量挙げなど、いろいろな活動に熱中する。また、切手を収集し、ピアノを演奏し、社交ダンスを習い、自分の身長がチームの足を引っ張る心配がないときはバスケットボールの試合に加わった。ギターも弾いた。対応順応が求められるソ連社会では、ほとんど完璧といっていい家庭である。 

 1990年代、青年ゼレンスキーは故郷のベッドタウンで暮らしながら、のし上がって世の中に出ようとしていた。工業都市として衰退期にあった故郷ではごろつきの抗争が頻発し、旧ソ連圏でもとくに治安の悪い街になっていた。 

 1994年、ゼレンスキーは友人と第11学級(日本の高校1年)の仲間を集めてアマチュア劇団を立ち上げる。ゼレンスキーと仲間たちは、自らが生まれ育った土地の名をとって、劇団を「95地区」と名付け、街の不穏な雰囲気を吹き払うため笑いのジャンルを重視した。 

 このグループのメンバーはクリヴィー・リフ大学の法学部に進学するが、法律の勉強を片手間にして自分たちの芝居の方に打ち込んだ。 

 やがて彼は新しい劇団を立ち上げてリーダーとなり、劇団にふたたび「95地区」という名をつける。「95地区」ではアイデアが次々に生まれたが、2003年になると、ロシアの組織から独立したかたちでテレビの体制が整いはじめたキーウに活動の拠点を移す。 

 キーウ行きを決めたとき、ゼレンスキーは法学の学業を終えるのを忘れていた。弁護士になる道を断った彼は、やがて実業家として恐るべき才能を発揮することになる。 

大人気ドラマで見せた「大統領」の姿 

 ゼレンスキーが出演した『国民のしもべ』は、高校で歴史を教える30代の教師ヴァシル・ゴロボロジコの物語である。教師はキーウによくあるアパートで両親と同居しており、妹とその娘と居間や台所を共有している。ソ連崩壊後の世界に多く見られる共同借家の生活である。 

 ある朝ヴァシルは、出勤時刻に間に合いそうにない状況のなか、家族に呼ばれて浴室から廊下に出る。そして、そこに立っていた現職の首相から「どうも、大統領」とあいさつされて驚く。大統領選で票の67%を獲得したというのだ。 

 話は数週間前にさかのぼる。ヴァシル・ゴロボロジコが16歳の生徒たちの10Bクラスで歴史の授業をしていると、同僚のひとりがいきなり教室に入ってくる。そして、校長の命令で、大統領選のポスターを貼る作業を手伝わせるために生徒たちを連れていってしまう。時代遅れの青い半袖シャツを着たゴロボロジコは身を震わせ、卑俗な言葉で怒りを爆発させる。 

 教室の窓辺では、劣等生のグロトフがその様子をこっそり動画に取り、YouTubeに投稿する。怒れる高校教師の動画はたちまちウクライナ全土に拡散し、再生回数は800万回に達する。生徒の親たちは、ゴロボロジコが立候補すれば彼に投票するのだが、と思う。そこで生徒たちは、この一本気な教師のために選挙資金集めを始める。 

 このように始まる『国民のしもべ』は2015年から2019年のあいだに3シーズンが放送され、視聴者数は平均800万人に上り、ウクライナのテレビ番組における最高記録となった。2016年にはシーズン2が映画化されている。その後、動画配信サービスのNetflixがこの映画の放映権を獲得する。 

 ウクライナのテレビ番組としては画期的な出来事で、このシリーズを送り出した制作会社「95地区」は大金を手にした。企画を指揮したのは、ビジネスの手腕があるコメディ俳優でテレビプロデューサーのヴォロディミル・ゼレンスキーだった。 

 ゼレンスキーはプロデューサーだけでなく、『国民のしもべ』の脚本担当のひとりでもあり、主人公も演じていた。 

 『国民のしもべ』の人気が国じゅうを席捲(せっけん)したのは、ゼレンスキー率いる脚本家と俳優のグループが、日常社会のすぐれた研究者たちだからである。物語の筋立てには、中流階級が出現しはじめた不平等な国の市民が日常的にぶつかるたくさんの困難が巧みに取り入れられている。 

 ここには、パロディとして巧みに再現されたふたつの世界がある。闇のイメージのオリガルヒの世界には政治の駆け引きに長けた嫌われ者の黒幕がいて、彼らの顔は視聴者には見えない。見えるのは黒いリムジン、貪欲に食べる口、パンの上にキャビアをのせる太い指、ストライプの入ったイタリア製ジャケットだけだ。 

 そして光のイメージとしてとらえられるウクライナ庶民の世界には、ゴロボロジコのような男がおり、家では下着のままで過ごし、少額の融資を利用し、投票に行っても願いが反映される事はなく、政治のしくみを変えたいと思っていながらそれを実現できない。 

 視聴者の心をつかんだヴォロディミル・ゼレンスキーは土曜の夜のコメディ俳優からスーパースターに変わった。選挙と理想の挫折と革命でここ数年気持ちが冷めきっていたウクライナ国民は、自分たちと似たまっとうな大統領を待望していた。 

現実よりもフィクションを選んだウクライナ国民 

 ウクライナでは、1月1日の午前0時直前に、大統領がすべてのチャンネルに顔を出して新年のあいさつをする習慣がある。しかし、2018年の大晦日では、あるチャンネルにポロシェンコ大統領(当時)は現れなかった。 

 大統領のかわりにワイシャツ姿のヴォロディミル・ゼレンスキーがカメラに歩み寄り、次のように言って視聴者の興味と当惑を誘った。 

 「さあ、私たちの前には三つの道が開けています。第一の道を選ぶ人は、ただ穏やかに暮らし、心配なしにいまの境遇にとどまってください。それはあなたの権利です。第二の道を選ぶ人は、荷物をまとめて外国へ働きに行き、稼いだお金をご家族に送ってください。それも立派なことです。 

 そして第三の道。この国の何かをあなた自身で変えてみてください。私はこの道を選びます。少し前から私はこう言われます。『やるのか、やらないのか?』あと数分で年が明ける現在、私は約束します。 

 国民のみなさん、私はウクライナ大統領選に立候補します。そして必ず大統領になります。さあ、みんなでこの選挙を戦いましょう。いい年になりますように!」 

 この動画は注目を集めたが、あまりの思いがけなさに苦笑した視聴者が多かった。ゼレンスキーがいくらスターでも、現役のタレントが権力の頂点に立つ可能性があるとは思わなかったのだ。 

 2019年1月に実施された初期の調査で、ゼレンスキーは12%の支持を集めて3位だった。1カ月後、彼の支持はポロシェンコを抜いて25%となる。 

 ゼレンスキー陣営の特徴は選挙運動をしないことにあった。彼はタレントの仕事に専念し、出演する番組でも、選挙についてごくわずかしか触れなかった。 

 ゼレンスキーの広報担当者は、SNSに短い動画を投稿することに力を注いだ。政治学者でゼレンスキーの選挙対策を担当するドミトロ・ラズムコフは次のように説明する。「私たちの狙いは、若者の意識を目覚めさせ、彼らを投票に行かせることです」 

 政治学者ミハイロ・ミナコフは言う。「東部の戦争にともなう犠牲と政治腐敗が5年に及び、ウクライナ国民の不満が高まっている。現状を受け入れることをやめた国民は、ドラマの登場人物――その名前が政治的マニュフェストになった人物――を、現在の耐えがたい現実よりも好ましい存在とみなしたのだ」 

 2019年4月21日、ヴォロディミル・ゼレンスキーは投票したウクライナ人の73%の支持を得て大統領に選ばれた。彼が演じた高校教師ヴァシル・ゴロボロジコが67%の得票率で大統領になってから4年後、現実がフィクションに追いついたのである。

レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン著『ゼレンスキーの真実』(河出書房新社)

▽プロフィール

レジス・ジャンテ
フランス人ジャーナリスト。ラジオ・フランス・アンテルナシオナル、フランス24、ル・フィガロ紙の通信員をソヴィエト時代から携わり、プーチンを20年以上追う。オレンジ革命を取材後、ジョージアに20年以上滞在してウクライナを取材。

ステファヌ・シオアン
ウクライナ人ジャーナリスト。自由のためのウクライナ、ル・タン紙、ラジオ・フランス・アンテルナシオナルなどの通信員。2013年以降、ウクライナに滞在してマイダン革命を追う。ゼレンスキーの近くで取材。

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