4月、“独身税”がいよいよ開始!子ども・子育て支援金制度「一人あたりの徴収料はいくら?」…「手取りが減った」という実感だけを持つ懸念

2025年、「独身税」という言葉がSNSやメディアで話題になった。正式名称は「子ども・子育て支援金制度」であり、「独身税」は通称・俗称である。厳密には「税」ではなく「支援金」という位置づけだが、強制的に徴収されるため実質的な税としてネットで大きく議論された。この制度では、対象者は独身者を含む、すべての医療保険加入者で、2026年4月から毎月の健康保険料に上乗せされる形で徴収が開始される。減税インフルエンサーで『図解「減税のきほん」新しい日本のスタンダード』(ブックフォース)の共著者である、オオサワ・キヌヨ氏がこの制度の問題点をぶった切る――。
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「独身税」は少子化対策にはならない
「子ども・子育て支援金制度」は、独身か既婚かにかかわらず、医療保険に加入しているすべての人が支払いの対象となる一方で、実際に支援を受けられるのは子育て世帯に限られるため、子どもがいない世帯からは「自分たちは負担する独身税だ」との声も上がった。だからこそ「独身税」などと国民から呼ばれるようになった経緯がある。負担額は年収や加入している健康保険の種類によって異なるが、月額250円~1600円程度の見込みで将来的には段階的に引き上げられる可能性があると言われている。
政府が行う今回のいわゆる「独身税」は、そもそも論として誤った表現を含んでいる。今回の負担は結婚して子どももいるものの、高所得を理由に給付を制限されている世帯にとっては独身ではないのに負担だけが増えていくただの増税なのだ。今回の子育て支援制度は独身と既婚の分断だけではなく、所得による分断も起きている。
まず確認すべきなのは、今回の負担が決して小さくないという点だ。何故なら今は物価高の時代であり、前年と同じ所得であれば生活が苦しくなるという状況だ。そこにきての新たに年額2400円から最大で2万円程度の増税は、近年行われてきた民間企業による賃上げや政府による控除引き上げなどと相殺されるため、物価高に苦しむ多くの人にとっては重い負担となる。物価高時には実際の原料値上げにインフレ分の消費税も上乗せされる。つまり、政府は「減税しました」「支援を手厚くしました」と説明しながら、その裏でインフレによる消費税増収という別の形で静かに回収しているのである。これは家計の可処分所得を実質的に増やす政策ではなく、帳簿上で政策効果を演出しているにすぎない。
税や社会保険料として徴収し、バラマク
結婚や出産といった人生の大きな決断に必要なのは、一時的な給付金や名目上の控除ではなく、将来にわたって安定して残る手取りだ。
そもそもこの支援金は子育て世代が恩恵を受けるのであって、現在独身でこれから結婚しようとするカップルや単身者には全く支援になっていない。それどころか、負担増が結婚や恋愛の足かせになるのだ。これでは少子化対策どころか少子化政策である。
さらに深刻なのは、「取って配る」という政策手法そのものが、少子化対策として非効率だという点である。一度税や保険料として国民から徴収し、その一部を給付や補助金として戻す過程では、必ず行政コストが発生する。制度設計、対象判定、申請手続き、審査、人件費。それを運営管理する天下り事務局。五輪などで有名になった電通などの広告代理店やコンサル会社だけではない。ぐるなびやJTBといった企業まで霞が関の事業に張り付いている。取って配る政治というのは、必ず中抜きが発生し、その分だけ、本来届けるべき対象者へのお金や本来国民の手元に残せたはずのお金が目減りしていく。
現役世代は「手取りが減った」という実感だけを持つ
取って配る政治の問題はまだある。徴収は毎月確実に行われる一方で、給付は条件付きかつ限定的だ。結果として、多くの現役世代は「手取りが減った」という実感だけを持ち、支援の恩恵を十分に感じられない。この状態で結婚や出産への意欲が高まると考える方が不自然だろう。
取って配る政治がもたらす問題は他にもある。社会の分断である。子育て世帯と独身者、低所得者と高所得者といった対立構造を、政府が公式に固定化してしまう。「結婚していない人が悪い」「子どもを持たない人が負担すべきだ」「高所得者に負担してもらおう」という空気が広がれば、結婚や出産は「祝福されるイベント」ではなく、「分断の種」へと変質してしまう。
本来、少子化は社会全体の問題であり、誰かを罰することで解決するものではない。必要なのは、特定の属性に課税することではなく、まだ結婚していない独身を含めた若い世代全体の可処分所得を底上げし、将来不安を軽減することだ。社会保険料や税負担を抑え、住宅や教育といった固定費を下げる。取って配るのではなく、最初から取らない。天下り団体も必要ない。この方が、よほど合理的で効果的である。
取って配るくらいなら、最初から取らなければいい
今回の「増税」は、「これまでの少子化対策が失敗しました」と政府が認めているのと同じだ。結婚や出産が自然に増える社会をつくる努力を放棄し、増えないことを前提に誰かに負担を押し付ける。それは少子化対策ではなく、その場しのぎの延命策にすぎない。
取って配るくらいなら、最初から取らなければいい。この当たり前の原則に立ち返らない限り、少子化は止まらず、国民の分断も深まるだけだ。
そして最大の問題は、この「増税」が単体で間違っているという点にとどまらない。より深刻なのは、日本政府がこれまで30年以上にわたり、同じような少子化対策を繰り返し失敗してきたにもかかわらず、その総括も反省もないまま、また同じ制度を打ち出している点である。
政策として完全に失敗しているという厳然たる事実
1990年代以降、日本ではエンゼルプラン、新エンゼルプラン、少子化社会対策基本法、子ども・子育て支援新制度など、数えきれないほどの少子化対策が実施されてきた。だが結果はどうだったか。出生数は一貫して減少し、合計特殊出生率も回復するどころか、過去最低を更新し続けている。これは「効果が不十分だった」というレベルの話ではない。政策として完全に失敗しているという厳然たる事実だ。それにもかかわらず、政府は「なぜ失敗したのか」を真正面から検証してこなかった。いや、正確に言えば、検証したくなかったのだろう。なぜなら、政治の責任が問われるからだ。
歴代の少子化対策は、すべて「子どもが生まれた後」の支援に偏っていた。保育所、手当、無償化。しかし最も重要な「結婚前」「出産前」の段階、すなわち若者が将来設計できるだけの手取りと安定を持てる環境づくりには、ほとんど手を付けてこなかった。その結果、「支援はあるが産めない社会」が固定化されたのである。
今回の子ども・子育て支援金制度も、この失敗の延長線上にある。独身者や子どものいない世帯を含む広範な層から強制的に徴収し、子育て世帯に配る。これは新しい発想でも、抜本策でもない。過去に失敗したモデルを、名前だけ変えて繰り返しているにすぎない。
一方、政府当局から聞こえてくるのは「危機感を持っている」「対策を強化する」という決まり文句ばかりだ。では、なぜこれまでの対策が機能しなかったのか。
これを厚顔無恥と言わずして、何と言えばいいのか
なぜ若者は結婚できなくなったのか。なぜ賃上げがあっても生活が楽にならないのか。その問いに真正面から答えないまま、また新たな負担を国民に課す。これを厚顔無恥と言わずして、何と言えばいいのか。
今やるべき少子化対策とは「新しい制度を作ること」ではない。間違った政策をやめることこそが第一歩だ。取って配る仕組みを拡大するのではなく、「取らない。奪わない」政治だ。その覚悟がない限り、どれだけ看板を掛け替えても結果は同じになる。
失敗を認めず、総括もせず、責任も取らない。そのまま次の政策に進む。これこそが、日本の少子化を30年以上放置してきた最大の原因だ。そして今回の「増税」は、その無責任体質が今なお続いていることを、はっきりと示している。