「私たちも普通の日本国民」その訴えをそのまま信じていいのか…鈴木エイトが暴く統一教会2世会見の裏側
連載「鈴木エイトが読む、日本社会の“静かな違和感”」。第3回は、ついに下された統一教会に対する「解散命令」決定の舞台裏で起きた、奇妙な出来事の正体を明かす。教団本部は「パソコンが使えない」という呆れた理由で会見を中止する一方、カメラの前で涙を流したのは30人の「2世信者」たちだった。メディアはその悲痛な訴えをそのまま報じたが、そこには巧妙な仕掛けがあったという。エイト氏が今回持ち出すのは、教団の内部文書『TM特別報告』。そこには、2世を「義人(正義の味方)」として仕立て上げ、世論を操ろうとする冷徹な戦略が記されていた。彼らの涙は、純粋な信仰心ゆえか、それとも教団の「広報戦略」なのか。メディアが陥った「同情の罠」と、2世を盾にして逃げ隠れする教団の無責任な体質を、徹底的に解剖する。
目次
解散決定の日に露呈した教団本部の“機能不全”
3月4日、統一教会(世界平和統一家庭連合)に宗教法人としての解散命令の決定が下された。東京高裁が昨年3月の東京地裁による解散命令に対する教団サイドの即時抗告を棄却したものだ。解散決定に際し、教団として会見などを開いて、対外的な発表を行うと見られていた。なぜなら教団はこれまで事あるごとに会見を開き、対外的な社会へのアピールや内部統制の手段として信者へのアピールを続けてきたからだ。
ところが、教団本部は顧問弁護士や役員らが解散命令の抗告棄却の決定文書の受け取りに来たあとに、高裁前で囲み取材を受けたのみで、会見を開かなかった。対外的には教団サイトに短く、解散決定に抗議する的外れなコメントを掲載しただけだった(夕方に出すと言っていた正式なコメント発表や信者へ向けた配信は、清算人が教団本部への立ち入りを禁ずる措置を講じたため、本部内のPCを使うことができず、取りやめになったという)。
「普通の日本国民」を強調する2世たちの正体。会見を主導した“教団職員”という肩書き
その一方、現役の2世信者たちが裁判所近くの貸会議室で記者会見を開いた。会見には30人の2世信者が顔出しで登壇し、オンライン参加を含めて約370人の2世が結果を見守っていた。解散決定が判明した午前11時過ぎに「結果、負けました。不当裁判です」と伝えられると一様に落胆し、なかには涙を流す2世信者もいた。
会見での発言を拾ってみると…
現役2世信者女性(30)(「信者の人権を守る二世の会」の代表/教団本部職員)
「率直な気持ちとして本当に悲しく残念に思っています。いま現在も300人を超える2世たちが、仕事を休んでこの日、駆けつけて見守っていたなかで、結果以上に、私たちの教会がどうなってしまうのか、たくさんの信者たちがこれからどうなっていくのか、どのようにして信仰を続けていくのか、悩ましい思いや不安な思いでいっぱいです」
「生まれた時からずっと信じているものを、なかったかのように生きるのはすごくつらい。信仰を持つからこそ生きづらい状況ではあるけど、手放すという選択肢はないです。これから、解散してしまった宗教団体の子どもと、このレッテルを背負って私たちは死ぬまで生きていくことになります。どうか、私たちも普通の人間なんだと、日本で生きる普通の日本国民なんだということを少しでも理解していただきたい」
「解散になったとしても信仰がなくなるわけではありませんし、私たちが社会から認められる、そのような時が来るまで改革を頑張ってまいりたい」
「二世の会としての活動は続ける。社会から認められる時が来るまで改革に取り組みたい」
「宗教とは何か、信仰とは何かを伝えていく責任がある」
現役2世信者女性(22)
「現在大学4年生で、祖父母から信仰が続く家庭連合の信教2世です。私たちの心の居場所がなくなってしまうことは、私たちが生きる価値さえも失ってしまうことと同じです」
現役2世信者男性(30)
「人生そのものが本当に否定されて、非常に胸が痛く、衝撃も大きく、まだ受け止めきれない」
「育ってきた居場所が社会からなかったものになったことが受け止められない。今、全国でどれだけの2世が涙しているかと思うと胸が痛い」
「宗教を信じているというだけで社会から排除されないかが一番心配です」
「信教の自由が守られ、私たちも一国民、一社会人として普通に生きていける社会であってほしい」
現役2世信者男性(30)(教団職員)
「決定を真摯に受け止めたい」「収入や家計を考えると、経済的な不安も否めない」
如何だろうか。これらのコメントを読んで、「認識がズレている」と感じることのできた人は限られるだろう。会見した2世信者たちを単に現役信者としか紹介していないメディアもあったが、主だった会見者として発言していたのはただの現役2世信者ではなく、実は教団職員や関連団体の職員であったりする。またほとんど全員が祝福2世という「神の子」、つまり両親が合同結婚式でマッチングされた2世であり、自分の存在自体が教団とその教義なしには存在しえなかった。教団の教義の否定は、自身のアイデンティティの喪失につながるという構造上の問題自体を生まれながらに背負わされた2世たちである。そのことも伝えるべきである。なぜならその構造自体が、統一教会問題の本質にあるからだ。祝福2世は、教団内ではある種のエリートである。信仰2世という、自分が生まれてから親が入信した2世とは“格”が異なる。その格差や、統一教会2世特有のアイデンティティを前提事項として共有する必要がある。