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イスラームから見た“高市極右翼賛政権”…“戦争を知らない子供たち”は経済破綻から生存圏を求め戦争をするのか?

 国民の支持を得て衆院選で圧勝した高市首相率いる自民党政権について、イスラーム法学の世界的権威である中田考氏は「日本は戦争の出来る国になってしまう」と危惧する。日本の戦後政治の不可逆的な転換点となった今回の選挙。これまでの経緯とこれから考慮すべきことについて同氏が綴るーー。

 みんかぶプレミアム連載「中田考 イスラームから見たトランプ2.0」

目次

1.“戦争を知らない子供たち”

戦争が終ってぼくらは生まれた 戦争を知らずにぼくらは育った

大人になって歩きはじめる 平和の歌をくちずさみながら

ぼくらの名前を覚えて欲しい 戦争を知らない子供たちさ

 1970/1年に流行ったジローズの「戦争を知らない子供たち」の歌詞である。1960年生まれの著者がこの歌を聞いたのは小学生の頃だ。1961年生まれの高市総理も同じ「戦争を知らない子供たち」世代である。

 戦争は昔話で、愚かで悲惨な戦争を起こしたバカな昔の大人たちのようにだけはなりなくない、と思って育った世代であり、自分たちに戦争責任がないことなどはそう意識することすらないほど当たり前のこと、常識だった。

2.山本七平/イザヤ・ベンダサンの戦争体験記

 その常識が打ち砕かれたのが、山本七平/イザヤ・ベンダサン体験だった。なにしろ学生時代のことなので、もう何の本だったのかも正確な文言も憶えていない。おぼろげに本多勝一との論争だったようにも思うのだが確信はない。私たち“日本国”の国民は自分たちが創り上げたわけではない日本の風土、国富、インフラなどを父祖たちから相続している以上、“大日本帝国”の犯した罪を償う責任も相続しなければならない、といった内容だった。

 「目から鱗が落ちる」経験だった。それから夢中で山本/ベンダサンの本を読み漁った。私の両親は戦争体験者だが、岡山県の内陸部に住んでいたので空襲も経験していなかった。ましてや海外での戦場での戦闘経験はない。「戦争を知らない子供たち」が流行った時代、もはや日本社会で本当の「戦争の記憶」は語り伝えられていなかった。

 山本が自らの軍隊経験を語った本はちょうどその頃に書かれている。山本は『私の中の日本軍』の中で「われわれの世代には、戦争に従事したという罪責がある。もちろん、個々人にはそれぞれの釈明があるであろう。しかし釈明は釈明として、もしわれわれの世代が、自らの体験をできうる限り正確に次代に伝えないならば、それは、釈明の余地なきもう一つの罪責を重ねることになるであろう。そして以上の事態は、われわれがすでに、その《もう一つの罪責》を重ねつつあることを証明しているのではないか、と私は思った。そしてこう思ったことが、本書を執筆しつづけたエネルギーの基本にあった」と述べている。

3.本当の戦争を語り続ける義務

 戦闘に従事した直接の当事者としての《罪責》を負う立場であることを認めた上で、その責任の果たし方の一つとして、本物の戦場と戦闘についての誤解、虚報、幻想、思い込みを正すことがあり、それが山本の執筆の動機であった。

 横井さんが出て来たときすぐその原因は『戦陣訓』ということになり、私自身も取材を受けたが、私は『戦陣訓』など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言ってもその人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生れで軍隊を知らないのに信用しない。また私自身、軍刀をぶら下げていた人間であり、本書に記したように、それで人体を切断した体験のある人間だが、その体験者が「百人斬り」など日本刀の強度からいってあり得ないと言っても人は信用せず、相変らず戦時中の「虚報」の「戦後版」や「戦後神話」を信じつづけているというのが、戦後の実態であった。それでいてその人は、戦争中の日本人が、大本営発表や新聞の戦意昂揚記事に、いとも簡単にだまされていたことを不思議がるのである。

  これはいったい、何としたことであろうか。このままに放置しておいてよいのであろうか。(『私の中の日本軍(上)』6頁)

 本当の戦争を知らない者が、本当の戦争を知る者を差し置いて、戦争を語り、国の進路を誤らせる。それと戦うことが日本に生を受け戦争に駆り出された一神教徒(無教会派クリスチャン)としての山本の生涯をかけた贖罪であったと筆者は信じている。

 実のところ、戦争に「本当の戦争」も「嘘の戦争」もない。「本当の戦争」とは私の言葉であり、山本が区別しているのは「戦場を殺す場所だと考えている人にとっての戦争」と「戦場を殺される場所、何とかして殺されまいと必死になってあがく場所と考える人にとっての戦争」である。

4.本当の戦争

 山本は最大規模で七百万と言われた日本軍の上は大将から下は二等兵までまた歩・騎・砲・工・輜重から航空兵・船舶工兵の全兵科にわたって知っているわけではなく、ましてや外国の軍隊のことなど知らないことを自覚して語っている。言い換えれば、客観的な戦争などというものはない──それは神の視点からしか見通せないから──人が語る戦争はその人の視点、立場に拘束されたものでしかない、それが山本が戦争を語る立場である。

 

 前線の兵士は、戦場の人間を二種類にわける。その一つは戦場を殺す場所だと考えている人である。三光作戦の藤田中将のように「戦争とは殲滅だ」といい、浅海特派員のように「戦場は百人斬り競争の場」だと書き、また本多氏のようにそれが、すなわち「殺人ゲーム」が戦場の事実だと主張する──この人びとは、いわば絶対安全の地帯から戦場を見ている人たちである。

 だがもう一つの人びとにとっては、戦場は殺す場所ではなく、殺される場所であり、殲滅する場所でなく殲滅される場所なのである。 その人びとはわれわれであり、前線の兵士たちである。彼らにとって戦場とは「殺される場所」以外の何ものでもない。そして何とかして殺されまいと、必死になってあがく場所なのである。(『私の中の日本軍(上)』189頁)

 山本がそれを伝えることを自らに使命として課した「戦争」とは「戦場を殺される場所、何とかして殺されまいと必死になってあがく場所と考える人」にとっての戦争である。山本は「アパリの地獄船事件」(『私の中の日本軍(上)』88頁))の「なんとかして殺されまいと必死にあがく」苛酷な戦場を砲兵少尉として体験した前線の兵士であったが、その戦いを語るのは、自分を「殺される者」の側に置くこと、今風に言うと「マウントを取る」ことではない。

 逆である。1970年代の日本で「アパリの地獄船事件」の過去の自分の体験について本を書く者はもはや「絶対安全の地帯から戦場を見ている人」であり、それをあたかも「殺される者」の代弁者のように語るのは山本が最も嫌った本多氏のようになることだからである。

 

5.被害者の代弁者からウォークの指バッシングへ

 被害者の側に立ってその代弁者として語ることは、1970年代当時の日本にあっては「富み栄えた西欧帝国主義列強による貧困に苦しむアジア・アフリカ諸国の暴力的植民地支配と搾取の真実を暴く正義の告発」という単純なナラティブにまだ綻びが目立たない程度に南北間の力の格差が圧倒的であった。しかしグローバル・サウスの台頭が顕在化した現在においてはもはやそうしたナラティブは通用しない。いや、むしろその弊害が目立っている。

 2015年以降、ITとSNSの普及により誰もが被害者の側に立ったつもりでその代弁者として振舞うことができるようになった。社会的不公平や人種差別、性差別に対して敏感であることを「ウォーク(woke):意識高い系」と言う。コロナ禍以降、日本でもネット炎上が先鋭化し些細な表現をめぐる騒動が相次いでいる。そこでは反論や文脈の検討よりも、対象を排除すること自体が目的化しやすい(キャンセルカルチャー)。

 背景にあるのは、感情的なインパクトを瞬時に拡散するソーシャルメディアの構造である。利用者の関心をひくことで広告収入によって無料でソーシャルメディアを利用できる「関心経済(アテンション・エコノミー)」のもとでは、何が社会的に重大かよりも、どれだけ注目を集められるかが優先される。

 この風潮を鋭く批判したのがバラク・オバマ前大統領であった。彼は、他者を徹底的に非難し「世の中のために良いことをした俺は気分が良くなって、あとは傍観者を決め込む。「なあ、俺ってものすごくウォークだろう?」と振る舞うが、実際に職場における不正を告発したり、社会的弱者に手を差し伸べたりといった、それ相応の関係性やコストが伴う行動主義は敬遠する態度を「こんなものは行動主義じゃない」と断じたのである。

 指先で糾弾する「指バッシング」だけでは社会は変わらない。スマホ上の「指バッシング」は社会課題そのものよりも自己確認の欲求に根ざしている。正義の遂行というよりも、承認と達成感を得る儀式になりつつあり、その過程で私たちの時間と注意力、そして地道な対話や実践の機会が奪われているのである。

 ちなみに米国の社会学者(Stony Brook University助教)ムーサー・アル=ガルビー(Anthony Adams)は、近年の「ウォーク」的言説の担い手が必ずしも社会的弱者ではなく、西欧の高学歴白人エリート、とりわけ文化資本の高い女性層が多いと論じている。彼らは差別や不平等を告発する言説を積極的に展開する一方で、その活動はしばしば自らの象徴資本や職業的地位の強化に結びついており、道徳的進歩性の表明が、制度内での優位確保と両立しているのである。アル=ガルビーは、「ウォーク」的言説が実質的な再分配や構造改革よりも言説空間での承認獲得に比重が置かれているため、「ウォーク」文化が既存エリート秩序を逆説的に再生産している、と批判している。

6.「虚報」から「フェイクニュース」へ

 その場にいる者にしか理解できない殺されまいと必死にあがく最前線の兵士が戦う過酷な本当の戦争について、絶対に死ぬ危険がない安全地帯から代弁者として語ることを山本七平は何よりも嫌った。しかし道義的嫌悪は二次的なものであり、彼が最前線の兵士が殺され、殺されまいと必死にあがく場における本当の戦争、戦闘の実態について執拗に語り伝えたのは、「本当の戦争、戦闘の実態」を伝えるためではない。そうではなく、「本当の戦争」の実態は、たとえ過去にその場で戦い生き残った者(山本自身)でさえももはや再現前させることができないこと、それゆえ出来ることは、分かった気になって代弁者になって妄想で虚報をでっちあげないことだけなのを伝えることであった。

 そしてその自覚がないと、知りもしないにもかかわらず殺される側に寄り添っているので自分が代弁する資格があると錯覚して、自分が勝手に妄想した「本当の戦争」の虚像に照らして、地獄の戦場の前線に送り込まれ生き残った者の言葉さえも嘘だと否定する倒錯が生ずる。それが山本が「虚報」をどうしても放置できなかった理由であり、その倒錯を許すと、それがいずれまた妄想で美化された戦争を煽り人々を戦争に送り殺すことになると知っていたからである。

 真に恥ずべきことがあるとしたら、それは、銃弾の飛来する砲側にいたような噓八百を並べることである。一体なぜそういうことになるのか。これがすなわち、当時いたる所に蟠踞していた人間の一つの見本であって、何かを報道するのでなく、自分を誇示し、前線で「軍人以上に軍人らしく振舞っていた」ように自分を見せようという欲求しかない人間の姿なのである。そしてこういう人間が、自己顕示のため噓の報告をする人間が、何百万という同胞を殺した元凶の一人だ(山本『私の中の日本軍(上)』187頁)

 前節で述べたように、利用者の関心によって広告収入によって無料でソーシャルメディアを利用できる「関心経済(アテンション・エコノミー)」の下では何が社会的に重大かよりもどれだけ注目を集められるかが優先される。2015年以降、ITとSNSの技術の進化により、ソーシャルメディアによって感情的なインパクトが世界レベルで瞬時に拡散されるようになると、ソーシャルメディアは米中露のような超大国、巨大テック企業GAFAMなどによる情報戦、認知戦の舞台になり、フェイクニュースが世界を席巻するようになった。ポスト・トゥルース(post-truth)の時代の到来である。

 現在の「フェイクニュース」は量的にも質的にもかつての「虚報」とはもはや別物である。しかしそれによって「虚報」の放置による真実の歪曲と隠蔽のメカニズムを解明しそれに歯止めをかけようとした山本の苦闘が時代遅れの廃物になったわけではない。このポスト・トゥルースの時代を「正しく」生き抜くための道標として山本の遺産は再評価されるべきであると著者は信じている。

7.戦争ができる国へ…戦後政治は終わりを告げた

 「戦争を知らない子供たち」の高市政権の支持者たちにとっての正義は、日本を戦争ができる国に作り替えることである。日本の軍備を最初から絶対悪として扱い反戦平和主義を唱え『憲法9条を守れ』と主張するのは、良識的な見解としては当然だと、かつての日本では見做されてきた。

 ところがこの絶対平和主義の言論空間の中に、オールドメディアを含めた左派勢力は今なお留まっているが、中国の常識外れの横暴を前に、国民の大半はこの考えをおかしいと考えるようになってしまった。今回の選挙を通じて、日本国民の思想状況が一変していることが可視化された。現在の安全保障環境にあっては、国防力の増強は避けられず、そのためには憲法改正も必要だし、集団的自衛権に対する制約ももっとなくすべきだと、多くの国民は考えていることが明らかになった。国民は戦後思想から脱却しており、その結果として戦後政治は終わりを告げたのである。

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この記事の著者
中田考

1960年生まれ。83年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。東京大学文学部宗教学宗教史学科(イスラーム学専攻)卒業。カイロ大学博士(哲学)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、同志社大学神学部教授などを歴任。著書に『みんなちがって、みんなダメ 身の程を知る劇薬人生論』(ベストセラーズ)、『宗教地政学から読み解くロシア原論』(イースト・プレス)、『13歳からの世界征服』『70歳からの世界征服』(共に百万年書房)などがある。

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