「赤字の雰囲気ない」「天国」ツイッター元スタッフが愛したツイッターJPの実態
ツイッター社の買収以降、多くの社員がツイッターを去った。しかし、なぜかツイッターのタイムラインでは、哀れむ声は少なかった。どうして、ツイッターの運営はここまでユーザーに嫌われてしまったのか。みんかぶプレミアム特集「ツイッターの真実」第8回では、元スタッフの証言から、プラットフォーム運営の運営の難しさをルポライターの日野百草が分析する――。
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積もり積もった罵詈雑言を浴びたツイッターの運営
程度の差はあれど、プラットフォーム運営がいわゆる「愛されキャラ」になるのは至難の技である。
私は出版メディアの経験でしか語れないが、編集者という立場もまた、あくまで裏方。ごく一部にタレント性によってファンを獲得する者もあるが、それはあくまで編集者としての人気ではなく、その人個人の人となりによるものである。とくに一般読者(ユーザー)と近い読者コーナーの担当や読者イベントの運営などで一時ちやほやされ、うっかり「編集の俺って人気がある」と勘違いした編集者がしくじる姿は何度も見てきている。とくに趣味系の専門誌やオタクメディアに顕著なのだが、「こちらは仕事」でも「ユーザーはあくまで娯楽」、あるいは「気晴らし」という立ち位置のメディアは、一般ユーザーとの距離はもちろん収益化、また見られ方(セルフプロデュースとでも言おうか)に対する気遣いが本当に難しい。こう書いただけでおそらくは「メディア側の傲慢」「偉そうに」という意見があることは経験上も容易に想像できる。先のような「一般読者」という書き方も「何様だよ」となる。実際、TwitterJP社員もまた「何様」どころか「特権的支配層」とまで言及するユーザーもある。
今回のイーロン・マスクによるTwitter社の買収およびTwitter、TwitterJP社員らの人員整理において「#OneTeam」とハッシュタグで連帯を呼びかけたにもかかわらず、自分たちが運営するプラットフォーム上のユーザーのほとんどから支持を得られなかったどころか、積もり積もった罵詈雑言(ばりぞうごん)まで浴びせられてしまった事態は、その難しさを改めて再確認させられる。ましてや筆者のこの運営側を慮(おもんぱか)った意見すら、一般ユーザーにすれば「どうでもいいこと」であろうし、ネットミーム(ネットやSNSで人々が “ネタ” にして模倣、拡散したもの)で言うなら「全員どうでもいい人間だし 大袈裟に言おうがお前らが死んでもなんとも思わん」であることもまた現実だろう。これはメディアに限らず「仕事」という立場に立ち、赤の他人の一般消費者と対峙する労働者すべてに言える「難しさ」かもしれない。
Twitterに限らず、FacebookであれInstagram、YouTubeやニコニコ動画のようなメジャーサービス、メジャープラットフォームの歴史は、匿名掲示板による文化を下地とした「愚行権」(後述)との対峙、あるいは折り合いにあったように思う。かつてネットゲームの運営に携わっていた経営幹部もこう語る。