トランプ大統領のベネズエラ侵攻は「トランプ2.0」体制の必然的帰結だった…「モンロー主義トランプ補足」とリベラル根絶によって世界は生まれ変わりつつある
2026年開始早々の3日、米トランプ大統領がベネズエラの首都カラカスなどを攻撃したうえ、同国のマドゥロ大統領を拘束し、世界中を震撼させた。なぜこのような行動に及んだのか。
イスラーム法学の世界的権威で、国際秩序に詳しい元同志社大教授の中田考氏は「ベネズエラ攻撃はアメリカ大陸は米国のシマ(勢力圏)で他の何者にも邪魔させないというトランプの決意表明だ」と分析する。一体、アメリカは何を目指していて、世界はどうなってしまうのか。同氏が論じるーー。
みんかぶプレミアム連載「中田考 イスラームから見たトランプ2.0」第1回。
目次
2025年アメリカ合衆国国家安全保障戦略(NSS)
2025年11月、ホワイトハウスの名でNational Security Strategy of the United States of America(NSS)が公開された。NSSは大統領が議会へ提出する法定文書で、初版は1987年レーガン政権下で公表され制度上は「年次報告書」とされるが、実際には毎年は作成されず政権ごとに1回程度にとどまる。2017年のトランプ政権版は中国・ロシアを revisionist powers と位置づけ「大国間競争」を中心概念としたが、2022年のバイデン政権版は同盟重視と「民主主義対権威主義」の構図を前面に出していた。NSSは外交・軍事・経済を横断する総合戦略として、政権の世界観、価値観を公式に文章化する唯一の包括戦略文書であり、同盟国や議会に、各政権の基本方針を提示する“思想的・政治的戦略宣言”である[1]。
同書は肯定的にも否定的にも歴代米大統領などの過去の政治家の個人名には一切言及していないが、唯一の例外が建国の父の一人ハミルトン初代財務長官(Alexander Hamilton:1804年没)である。アメリカ外交史ではアメリカの外交を①ハミルトニアン②ジェファソニアン③ジャクソニアン④ウィルソニアンに分類することが多い。①ハミルトニアン外交とは、ビジネスこそが外交政策の存在理由であり、アメリカ外交政策の目的は世界という市場におけるアメリカの地位の向上にあるという外交思想である[2]。
筆者は外交をディールと考える「トランプ2.0」は基本的にハミルトニアン型アメリカ外交を踏襲していると考える。しかし建国期と異なり現代における世界最大最強の超大国のリーダーでありながら現行の国際秩序のルール自体の根本的変革を目指すルールチェンジャーとしての「トランプ2.0」は、第二次世界大戦後のアメリカ外交の80年の歴史を変えるバージョンアップしたハミルトニアンであり、「シン・ハミルトニアン」と呼ぶに相応しく、NSS(2025/11)はこの「シン・ハミルトニアン」外交の手引書だと考えている。
本稿はこのNSS(2025/11)を手掛かりに、イスラームから見た「トランプ2.0」の概略を描くことを目的とする。
ルールチェンジャー「トランプ2.0」とは
アメリカの政治がトランプ米大統領個人の意志と決定(気紛れ)に大きく依存している(振り回されている)のが「トランプ2.0」の基本特徴である。アメリカの政治行動がトランプの気分次第で決まり、そしてそれがトランプ本人も含めて誰にも分からず予想不能なのが「トランプ2.0」のアメリカである[3]。
それゆえもっともらしい理由をつけて「私は真実を知っている」と言ってアメリカの政治行動を「唯一のシナリオ」に落とし込んでそれに応じた政策を強要しようとする言説は立場のいかんを問わず眉に唾をつけて聞くべきポジショントークに過ぎない。
ただ一つ言えることは、「トランプ2.0」によって世界は混迷の時代に突入し、不確実な未来に対して数多くのシナリオを想定し、更にそれらの予想を超えた想定外の事態に直面しなければならないとの覚悟が我々一人一人に求められているということである。
とはいえトランプがその剛腕で自分の思い付きを他国に押し付け短期的にはみせかけの成果をあげることはできても、天然資源、科学技術的制約はもとより、政治、社会、経済の法則に反した行動は中長期的には必ず揺り戻しがある。それは二つのことを意味する。
第一に「トランプ2.0」は決してそのシナリオを実現することはできないということである。そして第二に世界の政治、経済、社会、科学技術、天然資源、文明、地政学的状況を自らの価値基準を相対化した曇りない目で客観的に把握することができれば、「トランプ2.0」は世界に混迷をもたらす撹乱要因ではあってもその撹乱が完全なカオスを生むわけではなく、結局のところ「物事の理(ことわり)によって(sachlich)」ある程度の範囲内で落ち着くべきところに着地するであろうということである。
「トランプ2.0」の最大の特徴は第二次世界大戦後80年続いた「民主制」の「国際秩序」(筆者の用語では「領域国民主権国家システム」)のルール・チェンジャーであることである。そのことの意味は、「トランプ2.0」の国際社会への登場によって、「民主主義」であれ、「リベラリズム」であれ、「主権国家」であれ、「人権」であれ、「平等」であれ、「国際法」であれもはや、リベラリズムによって多様な価値観を有すると仮定されている研究者の共同体は言うまでもなく、国際機関や外交官などの国際政治の実務者の間ですら共同主観的に合意された「公理」であることを前提に行動することができなくなってしまった、ということである。
しかし「トランプ2.0」が「革新的」なルールチェンジャーであるにせよ、その統治の実態は、「ノイラート(ウィーン学団の科学哲学者1945年没)の舟」であり、既存の制度、同盟、政策枠組みを保持しつつ、運航中に手持ちの部材を鉋をかけて少し削ったり鋳直したりして継ぎ接ぎしながら使いまわして順次入れ替えていく試みとなり、変更は漸進的かつ部分的であり、改革と継続が同時に進行し、急進的な言説とは裏腹に、実際の統治は既存構造への依存の下で遂行される。
それゆえ本稿では「NSS 2025/11」を「トランプ2.0」の「ノイラートの舟」の制度設計、運行図に見立ててイスラーム的視点から「トランプ2.0」の評価を試みる。
「トランプ2.0」の世界分類
筆者は前著『タリバン復権と世界再編』(ベスト新書2024年)の第Ⅲ部第1章第3節【文明の再編の21世紀と冷戦思考からの脱却】の中で「冷戦時代のように日米同盟をナイーブに語ることは時代錯誤でしかない。 アメリカの覇権から抜け出しつつあるのは中国、ロシア、トルコ、イランだけではない。先行きは不透明であるが、私見では、かつて東欧と西欧に分かれたヨーロッパは現在、西欧が文明的に旧神聖ローマ帝国(カロリング朝フランク王国)の旧領を中心とする旧いヨーロッパ(EU)とイギリスの旧植民地アングロスフィア(英語圏)に分裂するか否かの瀬戸際にあり、EUがアングロスフィアから、中東中央アジア・イスラーム文明、ロシア東欧文明、中華文明とのユーラシア同盟に同盟関係を乗り換える可能性もある」と、「日米同盟」などもはや頼りにならないばかりか、文明論的な「欧米(西欧+アメリカ)」という「括り」(同書158頁)さえ既に再編の過程にあることを予言していた[4]。
そこでイスラームの視点から世界を考察するための準備段階として、本章では「トランプ2.0」が壊し/再編しつつある世界の実像を、イデオロギーの綺麗事に過ぎない「価値観を共にする同盟国」などという歯の浮くような外交儀礼に惑わされることなく、「伝統的な政治イデオロギーではなく、アメリカにとって何がうまくいくか、即ち《アメリカ・ファースト》の理念に基く」とのNSSの言葉に則り、政治的リアリズムの視点から考察する。
そして《アメリカ・ファースト》の観点から、「トランプ2.0」世界観の中では、世界はアメリカを中心に、①西半球、②アジア、③ヨーロッパ、④中東、⑤アフリカに分類される。
西半球とモンロー主義トランプ補足
①西半球が「モンロー主義トランプ補足」と特記されるのは「アメリカ・ファースト」のスローガンから理解される通りである。一言で纏めると、南北アメリカ大陸はアメリカ合衆国の勢力圏であるという意味である。米国が独りで「アトラスのように世界秩序全体を支える」ことはもうなく、他のいかなる国にも米国の権益に手出しさせず既存の秩序を守るのは西半球、アメリカ大陸だけである、との宣言である。確かに「トランプ2.0」も国家の「主権」にリップサービスは払う。しかしそれは国連などの国際組織による米国に対する干渉を拒絶するための口実に過ぎず[5]、米国が国益のために小国の主権を踏みにじる妨げにはならない。
「トランプ2.0」による南北アメリカのアメリカの勢力圏視は、筆者の創見ではなくアメリカの政策動向を知る上で理論と政策実務を結ぶ最高水準の学術誌と評価されている『フォーリン・アフェアーズ・リポート』誌2025年6月号に掲載された。ステイシー・E・ゴダード著「新勢力圏の形成へ― 大国間競争から大国間共謀へ(The Rise and Fall of Great-Power Competition: Trump’s New Spheres of Influence)」の立論に基づいている。
ゴダードは「中国やロシアと競争するのではなく、トランプ政権は中露と協力することを望んでいる。トランプの世界観は大国間競争ではなく、《大国間共謀(great power collusion) 」、つまり、19世紀の「ヨーロッパ協調」に似ている》と述べる[6]。
大国が世界を勢力圏に明確に区分し自由に拡大と支配する権利を持つのである。確かに大国間協調を機能させるには、他の大国の権利を踏みにじることなく、自らの野心を模索しなければならない。しかしこの大国が小国を支配する秩序を守るために必要なら、大国が自己の勢力圏のメンバー国の主権を侵すことは許容され、必要とさえみなされるのである。
2026年1月3日、ニコラス・マドゥロ大統領を麻薬、武器の密輸などの罪で米国での司法で裁くために「トランプ2.0」はベネズエラの首都カラカスでデルタフォースを投入する軍事作戦を強行し80人とも言われる犠牲者を出しながらも拘束しアメリカに連行した[7]。これは西半球(南北アメリカ)の国境地帯での犯罪組織に対する対応の抜本的見直しを宣言したNSSの以下の方針に完全に一致するものである。
「過去数十年にわたって続けられてきた犯罪組織をあくまで通常の犯罪者として扱い逮捕や起訴といった合法的な刑事手続きの枠内に対応を限定する戦略(law enforcement-only strategy)は、武装した麻薬カルテルの拡大と暴力の激化を止めることができなかった[8]。その現実を直視し、国境の安全を確保し組織犯罪を無力化するためには限定的かつ目的を絞った軍事的関与を含む対応が不可避であり必要とあらば致死的な武力行使(the use of lethal force)を排除しない」
「トランプ2.0」のモンロー主義トランプ補足(corollary)においては西半球、「南北アメリカ」は米国の「シマ(勢力圏)」である。つまり「大国間共謀」の舞台であり、そこに中国やロシアなどが手出しをすることは許さないが、東半球については中露の勢力圏には「大国間共謀」で自ら直接手を出すことはしない。ただし境界が曖昧な領域では「大国間協調」によって直接の軍事衝突に至らないように配慮しながらも、同盟国など他国を利用して中露の勢力を殺ぐように努めるということである。
デルタフォースの派遣によるベネズエラからのマドゥロ大統領の連行は「アメリカ大陸は米国のシマ(勢力圏)で他の何者にも邪魔させない」との「モンロー主義トランプ補足」が本気であることのデモンストレーションであり、同盟国にとっては「文句を言わず大人しく従え」、「大国間共謀」のパートナーである中国、ロシアには「文句は口先だけにしておき直接的軍事衝突に発展しかねない緊急武器輸出、軍事顧問団の派遣などの行動は一切慎め」との「踏み絵」である。
中露が米国のシマに手を出し大統領を失ったマドゥロ政権に公然と軍事支援をする可能性は低い。しかしベネズエラ軍事侵攻とマドゥロ拉致連行が、中露がベネズエラを米国のシマと認めて手出し(対抗軍事介入)しなければその代わりにロシア、中国の勢力圏での両国の軍事行動を容認する、というサインであったかどうかは必ずしも明らかではない。
特に台湾有事に関しては中国の中核的利益である台湾に関しては中国の軍事統一を認める、というメッセージとも考えられるが、デルタフォースによる電光石火の「斬首作戦」で問題を「解決」する能力を誇示した上での「お前たちにもできるものならやってみろ」との示威、挑発とも考えられるからである。
アジアと大国間協調
そう考えると、トランプの世界観の中で西半球の次にヨーロッパではなくアジアが来ているのかどうか、が理解できる。ここでの「アジア」とは購買力平価(PPP)ベースで世界のGDPのほぼ半分、名目GDPベースでも3分の1を占め今後も主要な経済的・地政学的戦場の一つであり続けるインド・太平洋地域であり、そこではアメリカは米中の軍事衝突を招きかねない大国間競争ではなく、自由貿易秩序を守るために大国間協調を行うのである。そこでの協調的競争において、アメリカは単独で中国に打ち勝つことはできない。それゆえに同盟国を軍事経済的に中国と張り合わせて消耗させるという同盟国を利用して中国との競争に勝つ戦略を取る以外に選択肢がない。
このアジアの枠組みで《単独の競合国(中国)による支配を防ぐという共通の利益》によって、「オーストラリア、日本、米国との4カ国協力(「クアッド」)を継続させ、インドを同盟に巻き込む必要が語られる。また米国の商業権益にとって重要な第二列島線(伊豆・小笠原諸島 から マリアナ諸島を経てパラオへ連なる弧状線)に直結する中国沿岸に近く台湾をその要衝とする第一列島線(日本列島から台湾を経てフィリピン)が中国の手に落ちないようにする必要があるが、それはアメリカ単独で中国と敵対的競争を行うのではなく、日本などの同盟国に軍事経済的競争を分担させることで経済協調的競争を制度化させるという方法によるのである。
「G2(米中二大国による覇権競合)」の語はNSSの中で使用されてはいないが、ヨーロッパがアジアの次に置かれているのは、アジアはトランプが誇る新戦略の中核に位置付けられており、その意味で戦略的に近いアジアはトランプの《心中での距離》が《地政学的に近い》西半球に次いで《近い》からである。
ヨーロッパと地政学的「欧米」の消滅
その点においてヨーロッパの位置づけはアンビバレントであるが、概ね悲観的である。トランプの重視する経済指標において、大陸ヨーロッパが世界のGDPに占める割合は1990年の25%から現在では14%へと低下している。しかし商売人のトランプをして経済的衰退よりも深刻と言わしめるほどに、現在のヨーロッパは文明の消滅という危機に見舞われており、このままでは20年以内にヨーロッパ大陸は別物と化すというのが彼の見立てである[9]。
ヨーロッパに対するNSSの提言の核心は、アジアでアメリカが中国に対して⼤国間競争から⼤国間協調に転換したようにヨーロッパがロシアに対して⼤国間協調に転じるべきであるということである。「トランプ2.0」の観方ではヨーロッパ諸国のマジョリティーはウクライナ問題でロシアとの戦争を望んでいなかった。ところが人権や平等や自由などのイデオロギーによって戦争に対して《非現実的な期待を抱く欧州当局者》、つまり民衆を抑圧して権力を握る少数派からなる西欧の諸政権がロシアの勢力圏を犯してウクライナを軍事支援したことで、多くのヨーロッパ人がロシアを存亡の危機とみなすほどに大国ロシアとの関係が深刻に悪化したのである。
NSSの立場は明らかで、大陸ヨーロッパと米国の関係は地政学的に一体な「欧米」でもなければ歴史文明的に一体な「欧米」でもない。あくまでも大陸ヨーロッパは《ロシアとの紛争リスクを軽減し》《ユーラシア大陸全体にわたる戦略的安定の条件を再構築》するために、《米国の外交的関与が不可欠》な戦略的な同盟者に過ぎない。
パトリックが言う通り、大陸ヨーロッパとの一体感は《文明のアイデンティティ(民族の血)と有機的な場所(祖国の土)に根ざした》《共有する地理的・歴史的ルーツに基づく共通の文明(西洋)》との曖昧なものであり、共通の啓蒙主義的、自由主義的政治原則に基づく政治・軍事的統一体ではない。そしてトランプが期待をかけているのが、ヨーロッパの極右政党であり《社会問題に敏感なリベラル派》を《ロシアのウクライナ侵攻以上に欧米の自由と安全を脅かす脅威》とみなしていることからも、「トランプ2.0」の提言によって大陸ヨーロッパがかつての統一性と栄光を取り戻す可能性は限りなく低いと思われる。
中東と不合理なイスラエル支持
NSSは①中東が過去数十年にわたり世界で最も重要なエネルギー供給地であり②超大国間の競争の主要舞台でもあり③紛争が蔓延し米国にまで波及する恐れがあっため、米国は外交的に中東を最優先してきたが、アメリカが再びエネルギー純輸出国となり、超大国間の競争はアメリカが優位にある大国間の駆け引きに変わり、トランプがアラブ諸国とイスラエルとの同盟関係の再構築に成功したことによって紛争は軽減していると述べている。
このNSSの認識は米国がエネルギー純輸出国になったことで中東への依存が減ったことを除き事実とは異なっている。中東における大国間の駆け引きにおいて、経済力と軍事力で中国、天然資源と軍事力でロシアのプレゼンスが高まっており、むしろ米国の影響力は後退している。特に「トランプ2.0」のイスラエルによるガザでのジェノサイド支持は中東を超えて反米の気運醸成に拍車をかけている[10]。
ガザにおけるイスラエルのジェノサイドが深刻化する中でもトランプ政権はイスラエル向けの大規模な武器供与、売却を継続し、国連安保理での停戦要求決議を拒否権で阻止し、2025年にはイスラエルを含む同盟国に対する捜査を進めていた国際刑事裁判所(ICC)関係者に対する制裁を発動した。国連人権高等弁務官事務所の特別手続を担う専門家らは、米国の制裁を「国際司法と法の支配に対する攻撃」と明確に非難している[11]。
トランプ、NSSの世界観は「アメリカ・ファースト」であり、モンロー主義トランプ補足により西半球の権益の保持を「核心的利益」とし、その他の地域、アジア、中東もその権益の保持の視座から定義されている。ところがNSSの中東の項目では「核心的利益」が①湾岸のエネルギー供給が明白な敵の手に渡らないこと②ホルムズ海峡が開かれていること③紅海が航行可能であること④この地域がアメリカの利益やアメリカ本土に対するテロの温床や輸出地とならないことに加えて、何の説明もなく⑤イスラエルの安全の確保が挙げられている。
NSSに説明がないのは、トランプに限らずアメリカのイスラエル支援には合理的理由がないからである。そしてトランプの中東政策もまたこの非合理なイスラエル支援を続ける限り破綻せざるを得ない[12]。
本質的にどうでもよい場所アフリカ
NSSは「トランプ2.0」以前の米国がアフリカを「紐付き援助パラダイム」による援助を見返りにリベラルなイデオロギーを普及する場とみなしてきたがそれは誤りで、米国の製品・サービスへの市場開放に尽力する有能で信頼でき成長が見込まれる国々だけを選んでパートナーにして豊富な天然資源と潜在的な経済的潜在力を活用する「選択的投資パラダイム」への移行を目指すべきと述べる。要言すると、米国の権益を脅かすイスラーム武装組織の伸長の阻止のようなやむを得ない場合を除き、米国は儲け話がない限りアフリカとは関わらず、長期的な米国のプレゼンスや関与は避けるべきであるということである。
「トランプ2.0」の意義と革新性
中東にとって「トランプ2.0」の意義と革新性は、NSS第Ⅳ章【戦略】の第3節【地域】[D. 中東]項目で論じられたことではない。重要なのは第Ⅱ章【米国が何を求めるべきか】第1節【大局的に何を求めるべきか】に明記された《他の国々の異なる宗教、文化、統治体制を尊重》(4頁)と第Ⅲ章【欲しいものを得るためにアメリカが利用できる手段は何か】に記された《所謂「DEI(Diversity, Equity, and Inclusion:多様性、平等、包摂)」の根絶》(6頁)という総則をいかに具体的に運用するかを明示したことである。
それが第Ⅳ章【戦略】第1節【原則(Principles)】の第4原則「柔軟な現実主義(flexible realism)」の中の句《世界の国々と良好な関係と平和的な通商関係を築くことを目指すが、その際に各国の伝統や歴史から大きく異なる民主主義やその他の社会変革を押し付けない》(9頁)である。
この「伝統や歴史(traditions and histories)」という文化主義的(複数形表現)が用いられる場合、米国政策文書ではほぼ定型的に、湾岸王制[湾岸協力会議GCC]諸国、特にサウジアラビアの歴史的なイスラーム的伝統を指す。つまりこのNSSの文言は、価値外交の放棄を特に湾岸王制諸国を念頭に理論化したものである。
本稿では字数の限界からそこまで踏み込むことができないが、筆者は現代をニヒリズムの二世紀(20/21世紀)の後半の四半世紀がやっと過ぎた状態と考えている。即ち世界や人生が意味をもつと信じられてきたのは一定の「価値づけ」を前提してきたからであることに気付き、「なぜ生きるのか」「何のためにか」という問いに対する答えが存在しない「不条理」という事実を直視することができない精神的に未熟な状態である。
国家、民族、理性、権力、富貴、名声、恋愛などへの欲望、執着が生み出したフィクションに過ぎないものを、様々な美名を冠して価値あるものと信じ込む自己欺瞞のために、そして本当はそれが虚構の幻想でしかないことを意識下では知っているために、その幻想を信じない他者の存在が実存を不安にさせるので「普遍的人権」などと称して力尽くで自分の思い込みを他者にも強制し、従わない者は抹殺してきたのが「トランプ2.0」が批判する「リベラル」の実態である。
性差、年齢、出自に応じた役割分化を社会制度の基礎に据える非西欧世界の国々の統治体制の変革、転覆を使嗾(しそう)しないだけでなく、社会、文化レベルでも世俗主義的な「DEI」などの近代西欧的な価値を押し付ける内政干渉の停止を制度的に実行に移したことは、小さな一歩ではあるが「トランプ2.0」の大きな功績である。
問題は遅ればせながらの「トランプ2.0」の西欧中心主義、文化帝国主義からの脱却に、中東が応えることができるかである。西欧諸国はイスラーム法に忠実な政権を転覆させるために、国連や、民間の国際人権団体などを使って世俗主義近代西欧文明の価値観に照らしてムスリム諸国を「人権侵害」と批判し、国家による援助と制裁の「飴と鞭」を使い分けて、文化植民地化を進めてきた。NSSが「アフリカ」について、もはや止めて「選択的投資パラダイム」に転換すべきであると述べた「紐付き援助パラダイム」、つまり言うことを聞かなければ人権蹂躙に対する制裁を示唆し、従えば資金援助を与えてリベラルな規範を広めようとする政策は実は殆どがムスリムが多数を占める国からなる中東について最もよく当て嵌まっていた。
伝統王制諸国に対する威嚇として最も安易でよく使われたのがイスラーム法の男女の性差による責任、権利、役割分担を男女差別による人権蹂躙として糾弾し制裁をちらつかせる手口であった。そのために欧米諸国は社会正義意識高い系(woken)やフェミニストなどが主導する国際人権団体や慈善団体を言論、報道の自由などの名目で中東に潜入させ反イスラーム、反体制工作をさせてきたのであり、トランプ登場までのアメリカはそれを率先して行うリーダーであった[13]。
2026年1月4日に「トランプ2.0」が麻薬密輸の容疑で、国際法に反しベネズエラの主権を犯してデルタフォースを首都カラカスに派遣しニコラス・マドゥロ大統領夫妻を拉致、連行したようにいきなり乱暴に政権交代させることはなくとも、国際人権規約違反などの口実で制裁を示唆して、それに目を瞑ることで様々な利権を獲得してきたのはアフリカだけでなく、中東ムスリム諸国、特にサウジアラビアを筆頭とする湾岸などの伝統王制諸国であった[14]。
しかしNSSは第Ⅱ章「米国は何を求めるべきか」で「健全な子供を育てる強固で伝統的な家族の数を増やすことが不可欠」と述べていたが、「トランプ2.0」は2025年1月20〜22日に大統領令で「DEI根絶」を宣言し行政再編を指示し、2月には米国の対外援助を担当し約30.5億ドルの予算を擁する政府機関USAID(米国国際開発庁)の補助金はすべて見直され、マルコ・ルビオ国務長官はUSAIDの補助金の約92%を削減することを決定したと述べ、国務省も約4,100件の補助金を削減し、政府は総額約600億ドルの節約を主張している[15]。
サウジアラビアなど保守的伝統王制ムスリム諸国では今後リベラルの名を騙った欧米人や西洋かぶれの現地人の社会正義意識高い系(woken)やフェミニストたちによる文化侵略が減速するものと思われる。にもかかわらず「イスラーム法の男女の性差による責任、権利、役割分担」に形式的に寄せた「伝統的な家族」を復活させたり、形骸化したイスラーム法擬(もど)きのゾンビのようなイスラーム金融やハラール利権商売が蔓延することはあっても、中東におけるムスリムの脱植民地化の未来には筆者は悲観的である。
世俗主義近代西欧文明による文化侵略はフェミニズムやアイデンティティ・ポリティクスのような文化の表層のみならず、形而上学、宇宙論、自然科学、人文・社会科学、政治/経済/社会/教育/医療/行政など生活様式の隅々にまで浸透している。中東の脱植民化には総人口15~20億人とも言われながらも預言者の後継者カリフ(イマーム)の指導の下に法(シャリーア)の支配を実現する共同体に纏まることもできない烏合の衆のムスリムたちが先ず社会的に覚醒しなければならない。しかしサウジアラビアやUAEに代表される腐敗した不正な金権警察権威主義国家のカルテルに堕した中東ムスリム諸国に社会的覚醒の兆しは見られない。
トランプはアメリカは「理念ではなく野心(ambition)によって再び世界をリードする」と述べた。イスラームが世界をリードするには、人類と地球を「領域国民主権国家」の牢獄から解放するイスラームの政体「カリフ制(khilāfah)」、不正と抑圧と物神崇拝の資本主義経済を覆す真の「イスラーム経済(mu‘āmlāt)」という理念だけでなく、現在の西洋への政治・経済・軍事・科学・文化的隷属の桎梏から脱却しようとの強い「大志(ambition)」が必要である。私見では、ムスリム共同体がその大志を涵養するには迂遠ではあっても「ポストコロニアル国家批判」を通り抜ける必要がある。
そしてポストコロニアル国家批判による世界・人類の教導の大志の共同体的覚醒の仄かな兆しが見えたかに思えたのがゾフラーン・マムダニーのニューヨーク市長当選であった。しかしその仄かな種火を大炎に熾すことができる機会と場を見出せるか否かは、麃公(ひょうこう)将軍なら「なかなか見つからんのォ。この戦況の火のつけ所が」と言うところである。筆者は急速に政治情勢が流動化しつつあるインド亜大陸とユーラシアの地政学的フォルト・ライン上に位置するシン・ムガル帝国(アフガニスタンタン・イスラーム首長国:タリバン政権)に注目しているが、それについてはまた稿を改めて論じたい[16]。
脚注
[1] National Security Strategy of the United States of America 2025 Novemberはホワイトハウスの公式HPからPDFファイルがダウンロードできる。また天秤の2025年12月14日付の『note』に解説付き全訳「アメリカ合衆国の戦略:国家安全保障戦略(NSS)【2025年11月】」があり、本稿でも参照した。
[2] Cf., H.W. Brands, “The Four Schoolmasters”, The National Interest (Winter 2001/02).
[3] フィッツロイ(ガメ・オベール)の2025年12月11日付の『Substack』の論考「オーソリタリアン・スタック 2 J.D.ヴァンスの役割」によると、民主制を《バグだらけの古いソフトウエア》と看做して《最早、パッチをあててのバグフィックスで問題を解決するのは無理でOSそのものを入れ換えなければならない》と考え、《古びてバグだらけ」の民主制を根底から破壊し、アメリカが戦後体制として80年をかけて築きあげたものをとにかくなにもかもぶち壊してしまおう》と考えたイーロン・マスクや元トランプの政策顧問の起業家ピーター・ティール(1967年~)や「トランプ2.0」の副大統領のJ.D.ヴァンス(1984年~)などによって、《頭が悪いコンテクストを理解できない乱暴者の壊し屋》としてトランプは権力中枢に送り込まれたという。しかし「トランプ2.0」を生み出し支えたその黒子たちさえ、なかなか死なずにフラフラヘロヘロしながら巨体の幼児のように自分たちが意図しない気まぐれな破壊を繰り返すトランプに苛立ちうんざりしている、というのがフィッツロイの見立てである。
[4] スチュワート・パトリック(カーネギー国際平和財団 シニアフェロー)も「トランプ2.0」によって地政学的「欧米」は終焉したと述べている。スチュワート・パトリック「地政学的「欧米」の終焉―― アメリカの離脱とポスト欧米世界の行方(What Happened to “the West”?: As America Drifts Away From Its Allies, a Less Peaceful World Awaits)」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』(2025年11月号)
[5] It is said that: We stand for the sovereign rights of nations, against the sovereignty-sapping incursions of the most intrusive transnational organizations… Cf., National Security Strategy of the United States of America November 2025, p.9.
[6] トランプは二度目の大統領就任演説で、アメリカは理念ではなく野心(ambition)によって再び世界をリードすると約束し、そのためには「物質的パワー」と「怒りと暴力にあふれまったく予測できない世界に新たに統一の精神をもたらす能力」が必要になると述べたが、彼が求める統一とは主に中国とロシアとの団結だった。大国間競争という枠組みでは、中露はイデオロギー的に米主導の秩序に反対する不倶戴天の敵として位置づけられていたが、大国間協調の枠組みでは、純然たる敵対勢力としてではなく、集団的利益を守るためにワシントンと協力する、潜在的なパートナーとみなされる。大国間協調のパートナーは親密な友人ではありえず大国間協調の秩序でも強国は優位を求めて競争を続ける。しかし本当の敵である秩序を混乱させる勢力に立ち向かうためには、大国間の対立を抑えなければならず、そのためには他の大国の権利を踏みにじることなく自らの野心を模索しなければならないことを米中露の其々が承知して協調行動を取るのである。
[7] 2024年のベネズエラ大統領選挙以来のアメリカとマドゥロ大統領との確執、21世紀のベネズエラと米中露の関係については、それぞれ、坂口亜紀「ノーベル平和賞受賞の栄光と米国トランプ政権の軍事圧力に揺れるベネズエラ」2025年12月『IDE スクエア』(アジア経済研究所)1-11頁、坂口亜紀「ベネズエラをめぐる大国の政策対応と思惑 -米国・中国・ロシア」『ラテンアメリカ・レポート』Vol.38、No.2、48-60頁参照。
[8] フィッツロイ(JamesJames∙)によると、国連設立後も冷戦期にはアメリカは単独で中南アメリカに侵攻してきた。①グアテマラの左翼アルベンス政権打倒支援(1954年)②キューバ・ピッグス湾攻撃支援(失敗)(1961年)③ドミニカ共和国への派兵(1965年)④ニカラグアのサンディニスタ政権に対する反政府軍「コントラ」の軍事活動支援(1980年代)⑤グレナダ侵攻(1983年)⑥パナマ派兵(1989年)。「トランプ2.0」のベネズエラ侵攻は、米国本土との核戦争能力拡充のための中国による近年の中南米諸国との国交樹立(台湾との断交:①パナマ(2017年)②ドミニカ共和国(2018年)③ニカラグア(2021年)③ホンジュラス(2023年))に対する先制攻撃であった。ガメ・オベール「進行が止まらなくなった第三次世界大戦」2026年4月1日付Substck参照。
[9] スチュワート・パトリック「地政学的「欧米」の終焉」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2025年11月号参照。
[10] 例えば中露はイランと共に2025年まで5年連続でオマーン湾での合同海軍演習を実施している。Cf., “Iran, Russia, China conduct joint naval drills in Gulf of Oman”, 2025/3/12, ALJAZEERA.アンドレア・ケンドール=テイラー「強大化する反欧米枢軸― 中露・イラン・北朝鮮の目的は何か」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』(2024年6月号)参照。特に《情報領域で[枢軸国:中露イラン北朝鮮は]ガザ戦争を利用して、ワシントンのことを「世界を不安定化させる傲慢な大国」として描きこのイメージはアフリカ、アジア、ラテンアメリカ、中東で広く受け入れられている》と言われる。また玉置敦彦によると《東南アジアでイスラーム教徒が多数を占める諸国を中心にガザ紛争におけるアメリカのイスラエル支援に対する強い反発が存在する。例えば2024年4月2日にシンガポールのユソフ・イシャク研究所が発表した東南アジア諸国エリート層への意識調査では米中いずれか一国を選ぶとしたらどちらかとの質問に対して50.5%が中国と答え49.5%のアメリカを上回った。とりわけイスラーム教徒が多数を占めるインドネシア、マレーシア、ブルネイでは中国との回答が70%を超えて前年の50%強から大幅な上昇を示している。同調査のサーベイ期間がガザ紛争の衝撃冷めやらぬ2024年1月から2月であったことからもその影響は明らか》であった。この反米感情はトランプが2025年2月にイスラエルのネタニヤフ首相との首脳会談の記者会見でガザからパレスチナ人を退去させ米国がガザを所有し地中海のリビエラのようなリゾート地として再開発するとの構想発言に対して民族浄化との批判が高まって以来更に悪化している。玉置敦彦「アメリカとアジア 西側の黄昏」『アジア動向年報』(2025年)13頁、17頁参照。
[11] Cf., Humeyra Pamuk & Stephanie van den Berg, “Trump administration imposes sanctions on two more ICC judges”, Reuters, 2025/12/19., UN experts, “US sanctions on Special Rapporteur Francesca Albanese threaten human rights system”, Statement of United Nations Human Rights Office of the High Commissioner, 2025/8/8.
[12] 勿論こじつけの理由ならいくらでもあげられる。ガザでのイスラエルによるジェノサイド以前にもっともらしい説明として罷り通っていたのは、中東で唯一アメリカと価値観を共にする「自由民主主義国家」である、とのものであった。しかしこのこじつけの国際政治学的説明もイスラエルのジェノサイドの数々の所業がSNS上でリアルタイムで拡散されたことで説得力を失った。なによりもトランプ自身が「自由民主主義」の価値を冷笑している以上、そもそも説明にならない。
「非合理的」説明としては「キリスト教シオニスト」への迎合が挙げられる。キリスト教シオニズムは神学的に①契約主義的プレミレニアリズム ②メシヤニック・ディスペンセーション主義③黙示的ディスペンセーション主義④政治的ディスペンセーション主義」に大別される。本書はそれを詳論する場ではないため其々の特徴的な要素のみを取り上げておく。①「契約主義的プレミレニアリズム」はユダヤ人に対する「伝道」とパレスチナへの「帰還」、②「メシヤニック・ディスペンセーション主義」はユダヤ人に対する「伝道」に加え「神殿における実践」「ユダヤ教的礼拝の復活」、③「黙示的ディスペンセーション主義」はハルマゲドンの熱望の「終末預言」と「中東の平和に関する悲観主義」の強い傾向、④「政治的ディスペンセーション主義」は米国のイスラエルとの「軍事的かつ政治的結びつき」の強化と楽観的な終末論によって他と区別される。安黒務『ディスペンセーション主義キリスト教シオニズムズ』Kindle版(2021年10月28日)15-16頁参照。
[13] 中田考(訳・解説)『ターリバーンの政治思想と制度』現代政治経済研究社(2018年9月)70-73頁参照。
[14] たとえばドイツの人権団体Fair Planetはシャリーア(≒イスラーム法)の適応が女性に対して最も過酷な3カ国としてサウジアラビア、イラン、アフガニスタンを挙げている。Cf., Nour Ghantous, “3 Countries where Sharia law is hardest on women”, Fair Planet, 2024/11/06
[15] Cf., Fatma Tanis, Frank Langfitt, “The Trump administration kills nearly all USAID programs”, 2025/2/26, Houston Public Media.
[16] シン・ムガル帝国については、拙著『宗教地政学で読み解くタリバン復権と世界再編』ベスト新書(2024年10月)218-222、231-234頁参照。