田中角栄は日本を「壊した」のか? 中曽根康弘こそが真の救世主である理由…二流国への転落を止めた「民営化」と、借金の山を掃除した行政改革の衝撃
昭和に名を残す元首相・田中角栄。日本中に道路を、新幹線を作り上げてきた「実行力」を称賛する声は、令和の今も絶えない。経済誌『プレジデント』元編集長で作家の小倉健一氏は、この風潮を真っ向から否定する。角栄が残したのは、狂乱物価と膨大な借金の山。日本を真の先進国へと押し上げたのは、国民に愛された「今太閤」ではないと語る。彼が散らかした「負の遺産」を命がけで掃除し、強靭なシステムを作り上げた、“ある政治家”の功績を解説していく。
みんかぶプレミアム連載「小倉健一の新保守宣言」
目次
田中角栄の「負債」を中曽根康弘が「資産」に変えるまで
昭和の政治史を語るとき、決まって持ち上げられる名前がある。「今太閤」と呼ばれ、庶民宰相として絶大な人気を誇った田中角栄である。
彼の掲げた「日本列島改造論」は、確かに日本中に道路を通し、新幹線を走らせ、地方の風景を一変させた。多くの日本人は、この豪快なブルドーザーのような政治手法こそが、今の豊かな日本の基礎を築いたと信じている。田中角栄を「実行力の塊」として称賛する声は、令和になった今でも後を絶たない。
しかし、あえて言おう。それは、心地よいだけの「幻想」である。
田中角栄が行ったのは、後先を考えずに国の借金を増やし、コンクリートと補助金で地方を漬けにする「バラマキ」に過ぎなかった。そのツケは、狂乱物価(激しいインフレ)と財政赤字という形で、後の世代に重くのしかかった。日本経済を本当に救い、近代的な先進国へと脱皮させたのは、田中角栄ではない。
彼が散らかした莫大な借金の山を片付け、政府の贅肉を削ぎ落とし、民間の力で成長する強靭なシステムを作り上げた男。すなわち、中曽根康弘である。
「バラマキ」が招いた狂乱物価。角栄が残した莫大な借金
もし中曽根康弘という政治家がいなければ、日本は1980年代に財政破綻し、二流の社会主義国家へと転落していただろう。今こそ、「角栄神話」という色眼鏡を外し、中曽根康弘が成し遂げた「真の改革」を再評価すべき時だ。
田中角栄の手法は、シンプルで分かりやすかった。「国がお金を出して工事をすれば、みんなが豊かになる」というものだ。
彼は、ガソリン税を道路整備に使う仕組みを作り、地方に公共事業の雨を降らせた。一見すると、これは地方創生のように見える。しかし、その実態は、採算の取れない田舎に巨大なインフラを作り、その維持費を都市部の納税者に押し付ける「富の強制再分配」だった。
田中政治の本質は、社会主義に近い。
その副作用は劇的だった。1970年代、田中内閣の下で国の予算は膨張し、土地の値段は異常に上がり(列島改造ブーム)、インフレが国民生活を直撃した。彼が退陣した後に残ったのは、荒れ狂う物価と、膨れ上がった国債(借金)の山だった。
「尻拭い」を引き受けた男・中曽根康弘が止めた国家破綻へのカウントダウン
政治家が人気取りのために金をばら撒くのは簡単だ。しかし、その尻拭いをするのは、いつだって国民であり、後の時代のリーダーである。その「尻拭い」という最も困難で、痛みを伴う役割を引き受けたのが、1982年に登場した中曽根康弘だった。
中曽根康弘が首相に就任したとき、日本は「増税しなければ国が回らない」という瀬戸際に立たされていた。田中角栄らが作った「大きな政府」の維持費が、限界に達していたからだ。
普通の政治家なら、ここで安易な増税を選んだだろう。しかし、中曽根康弘は違った。「増税なき財政再建」を掲げ、政府の支出を減らすという、茨の道を選んだのだ。彼が断行したのが、「行政改革(行革)」である。
これは、肥大化した政府という患者に対する、緊急の外科手術だった。中曽根康弘は、土光敏夫という財界の重鎮を相棒に迎え、「聖域なき予算削減」をスローガンに掲げた。役人の数や給料にメスを入れ、無駄な補助金をカットした。