炎上騒動以来、初の寄稿!ゴールデン街を村八分にされた私が、「新宿バッティングセンター」のストラックアウト王を目指したワケ

新宿バッティングセンターの2024年ストラックアウト王が誰か、皆さんはご存知だろうか?
私だ。
ストラックアウト王になった今だからこそわかることがある。ストラックアウト王になるまでの私は、先行きの見えない絶望の中を生きていた。
目次
ゴールデン街で大炎上してしまった
2024年は本当にひどい一年だった。
端くれだが作家をしている私は、2023年に新宿ゴールデン街の文壇バーで働きながら小説を出版した。その翌年である2024年には、小説を出したことで某テレビ局の番組に呼ばれ、ゴールデン街で出会った性的に奔放な女性たちの話をしたら、街の風評被害を生んでいるということで炎上した。すぐに勤めていたゴールデン街の店をやめることにした。
それと同時期に、ゴールデン街で出会った恋人にも振られた。
それでも作家なのだから文章の仕事さえあればいいのだが、仕事も大してこなかった。小説を出版してすぐに依頼の来た仕事と言えば『週刊SPA!』という雑誌の企画で「ジャンプしながら射精をすると本当に気持ちがいいかレポしてくれないか?」というものだった。小説を出した結果がこれなのか?と頭を抱えるしかなかった。しかも依頼が来たときの私は40度の熱が出る病を患っていた。意識朦朧としながら、ベッドの上からジャンプをしてなんとか空中で射精し、そのレポを書いた。
作家としての仕事は本当にそれくらいの微々たるもので、2024年はほとんど暇だった。炎上もするわ、恋人にも振られるわ、仕事もないわの三重苦で、32歳になった私の傍らに常にあったのは、暇な時間と先行きの見えない絶望だけだった。
暇な私が日々していたことと言えば、自分が住んでいる新宿の街をふらふらすることくらいだ。
ある日のこと。なんとなく新宿の街をふらふらしていたら、目の前に「新宿バッティングセンター」の看板が現れた。時間でも潰そうと、試しにバッティングをしてみることにした。1回20球で300円。3ゲーム目に差し掛かったところで、打ったボールがホームランの的に当たった。
「ウーーーーーーーーーーーッ!」
ホームランの的にボールが当たると、「ホームラン」という大看板のネオンが点滅すると同時に、大きなブザーが店内中に鳴り響いた。その音に包まれた瞬間、久しぶりに、自分のなかの何かが世界に認められたような心持ちになった。
新宿バッティングセンターの店長から言われた言葉
正直に言うと、私はすこぶる嬉しかった。あまりにも単純すぎるかもしれないが、すぐにバッティングの回数券を買うことにした。単発でやると1回300円だったが、回数券を買うと12回分の回数券を3000円で買うことができた。2ゲーム分お得になるということだ。
そしてその日は、たまたま木曜日だった。新宿バッティングセンターでは、木曜日は回数券を買った人はガラポンを1度回すことができるというキャンペーンをやっていた。私は店長に勧められるがままにガラポンを回した。すると、赤い玉が出てきた。
「えぇぇっ!!!」