「良心の痛みは科学で消せる」という冷徹な確信…流血の惨劇すら自然の摂理と割り切る、カーネギーの「罪悪感を排除するロジック」
差別化の難しい「鉄鋼」ビジネスにおいて、アンドリュー・カーネギーが導き出した答えは単純だった。「誰よりも安く、大量につくること」。彼は中間マージンを徹底排除する「垂直統合」と、設備を限界まで酷使する「ハード・ドライビング」によって、圧倒的な価格破壊を実現していく。だが、超合理的経営がもたらした巨大な富の裏側には、現場の犠牲があった。普通の人間なら良心の呵責に潰される局面で、なぜ彼は迷うことなく突き進むことができたのか。元『プレジデント』編集長で作家の小倉健一氏が、カーネギーの冷徹な精神構造に迫る。
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目次
「良心の痛みは科学で消せる」というカーネギーの新たな確信
人は、悪いことをすれば、胸が痛む。後ろめたさを感じる。それが、人として当たり前の心の働きだ。
カーネギーがやってきたことを、もう一度思い出してほしい。彼は鉄を安くつくるために、機械を限界まで使い潰し、その機械のそばで働く人々を、危険と過酷な労働の中に置き続けた。安さの裏には、犠牲があった。
普通の人間なら、こんなことを続けていれば、いつか心が耐えられなくなる。自分のしていることは、本当に正しいのか。誰かを踏みつけにして手に入れた富に、意味があるのか。そうした問いが、夜ごと胸を締めつけるはずだ。良心の痛みというものは、それほどに重い。
ところが、カーネギーは、ここである確信にたどり着く。良心の痛みなど、「科学」の力で消し去ることができる、という確信だ。
自然界の「適者生存」を人間社会に適用する、社会進化論のロジック
彼が出会ったのは、ハーバート・スペンサーという人物の考え方だった。
スペンサーは、当時とても人気のあった思想家だ。彼は、生き物の世界で起きていることを、人間の社会にもそのまま当てはめて考えた。
自然の中では、強い生き物が生き残り、弱い生き物は滅びていく。これは、誰かが悪いわけではない。ただ、自然のなりゆきとして、そうなる。スペンサーは、人間の社会もまったく同じだと言った。競争に勝った強い者が栄え、負けた弱い者が貧しくなる。それは自然の摂理であり、むしろ、そうやって弱い者がふるい落とされていくことで、人類は少しずつ良くなっていくのだ、と。
カーネギーは、ここに目をつけた。これは、ただの慰めの言葉ではない。これは「科学」だ。生き物の世界を観察して導き出された、自然の法則だ。ならば、その法則に従って生きている自分のしていることも、科学的に正しいことになる。そして、科学的に正しいのであれば、そこに良心の痛みが入り込む余地などない。
つまり彼は、こう考えたのだ。道徳の問題で苦しむ必要はない。なぜなら、これは道徳の問題ではなく、科学の問題だからだ。科学が「正しい」と言うものを前にして、胸を痛めるのは間違っている。良心の痛みは、科学の前では消えてしまう。消えるべきものなのだ、と。