第二十話「新たな接近」連載小説「奪われるースパイ天国・日本の敗戦ー」
スパイ防止法がないこの“天国”・日本で、知らない間に国が「奪われる」──。
表向きの歴史やニュースの裏側に潜む、冷酷な国際諜報戦と、個人の運命が国家間の巨大な陰謀に巻き込まれていく壮大な安全保障サスペンス小説、ここに爆誕。
舞台は、女性初の内閣総理大臣・高地きみえが熱狂的な支持を背景に「強い日本」を目指す日本。彼女は長年の懸案である日本人拉致被害者の奪還を決意し、極秘裏に北朝鮮の金正恩総書記との会談に臨む。しかし、その外交交渉の裏側では、すでに北朝鮮の体制に「影」が差し込み、巨大な隣国・中国の思惑が絡み合っていた。
第二十話「新たな接近」
1カ月ほど後、今泉謙太郎と李麗穎は2人で関西国際空港を飛び立ち、タイ・バンコクに向かった。豪華なホテルとは距離を置き、メインストリートから1本脇に入ったビジネスマン向けの安いホテルに滞在していた。部屋の固定電話が鳴り、フロントから「来客です」と伝えられると、すぐに正装に着替えてエレベーターを降りる。エントランスのソファで待っていたのは、麗穎の父・李天佑だった。
「やぁ、よく来たね。早速、ご飯に行こうか」。天佑は娘の幸せそうな表情に満足した様子だった。バンコクにある高級中華レストランに入ると、天佑は店員に親しげに話しかけた。「娘のフィアンセだよ」。中国人の店員からテーブルに案内され、メニューを開く前に彼は言った。「何が食べたい? ここは私の知人が経営していてね」。謙太郎は「知人」という言葉に引っかかりながらも、それ以上は詮索を控えた。
料理が運ばれてくる間、天佑は2人の日常生活について質問を重ねた。麗穎が答える度に父親は満足げに頷いている。紹興酒をどれくらい飲んだだろうか。どこにでもいるような父親と娘、そして結婚を前提にした恋人という3人は幸せムードいっぱいに乾杯を続けた。だが突然、天佑の声が変わった。
「謙太郎は、中国のことについてどれくらい知っている?」
「ほとんど何も知りません」。謙太郎は率直に答えた。天佑は酒が入ったグラスを持ち上げながら言った。「最近の共産党内は非常に混乱している。毛沢東以来の大転換期かもしれないな」。彼は周りを見回してから声を落とした。麗穎が「ちょっと、お父様どうしたの?」と不安そうに見つめる。だが、天佑はまったく気にしないように続けた。「習近平主席はかつてない強大な権力を握った。だが、彼のやり方に反発する勢力も多くいる」。天佑の目がいつにも増して鋭くなった。
「中央軍事委員会のあるメンバーが密かに反習派と接触しているという噂もある。これは国家機密級の話だよ」