「機械やネットが出てきたときと今回は違う」は本当か…楽観派と懐疑派の論争から読み解く「AI雇用問題」の本当の答え

AIは本当に仕事を奪うのか。リフレ派の経済学者・田中秀臣氏が、世界的な論客たちのX上の論争を起点に、この問いに迫る。楽観派と懐疑派の対立は、実は60年前にも起きていた。歴史の教訓と最新経済学が示す、AI時代に個人と国家が取るべき備えとは何か。
目次
X上で波紋を呼んだ「ある論客」の変化
ギータ・ゴピナート教授(ハーバード大、IMF元チーフエコノミスト)がX(旧twitter)で、ウォール・ストリート・ジャーナルの特集記事「仕事の未来とAI」を引用して、「この記事では、AIが労働生産性を『意味のある形で』向上させるという点について、ほぼ満場一致の合意があるようです。ダロン・アセモグル氏もそう考えているようで、これは彼のこれまでの見解からの変化のように思えます」とポストした。
というのも、ノーベル経済学賞受賞者でもあるアセモグル教授は、AIがもたらす労働生産性の上昇はあまり大きくないという立場だったからだ。むしろ弊害も大きいと彼はしばしば発言してきた。
このゴピナート教授のポストにいち早く反応したのが、AIの生産性への寄与に積極的な評価を与えていて、またアセモグルのAI評価を批判してきた経済評論家のノア・スミス氏だった。彼は涙笑い顔の絵文字3連投で反応した。さらにこの絵文字の真意を補うように、評論家の山形浩生氏は、「彼(アセモグル)の回答の後ろには、私たちが目にする機会のなかった、大きな『ただし(BUT)』が隠れているのかもしれないね」と投稿した。
一流の論客がそろったこのX上の反応は興味深かった。特にAIがどのように雇用の場を変化させるかをめぐる議論は、賛否はあれアセモグルの意見がひとつの軸にはなっているからだ。
今のAI論争には、60年前の「前例」がある
ただこのAI論争というべきものは、若田部昌澄教授(早稲田大学)が論文『歴史――「大自動化問題」論争の教訓』(山本勲編著『人工知能と経済』勁草書房、2019年所収)で示唆したように、1960年代に主に起きた「大自動化論争」の構図に似てもいる。
当時の大自動化論争を簡単に整理すると、コンピューターの導入による自動化の進展がやはり雇用にどのような影響をもたらすかで対立が生じていた。論争には、ポール・サミュエルソン、ロバート・ソローといった経済学の権威や、また日本でも『世俗の思想家たち』の著者で経済思想史の大家としてしられるロバート・ハイルブローナーらが参戦した。
コンピューターによる大自動化は、雇用の現場を大きく変貌させ、技術的失業(大自動化が人間の労働を奪う機械が生み出す失業のこと)のリスクが大きいとハイルブローナーは警鐘を鳴らした。それに対して、サミュエルソンやソローらは、大自動化自体はそれほど大きな問題ではなく、むしろ総需要を持続的に刺激することで、構造的失業(広い意味では技術的失業も含む)と思われていたものも、実は循環的な失業と同じように低下していくと、いわゆる「高圧経済」論を展開した。
人手不足の状況がAIの使われ方を左右する
なぜ高圧経済が自動化問題で出てくるのか。それは人手不足(高圧経済)の状況下であれば、企業は労働者をクビにするためではなく、限られた人手で成果を最大化するためにAIを「人間の相棒(補完)」として投資せざるを得なくなるからだ。また論争では、最低所得保障の必要といった今日のベーシックインカムに類似した提言も行われたのである。
この「大自動化論争」は、政策提言に注目すると今日的意義はさらに明瞭になる。なぜなら今日の高市政権の政策課題と共鳴するものをもっているからだ。高圧経済論は、まさに高市政権の柱である「責任ある積極財政」そのものである。高市総理は、持続的に総需要を刺激して、景気を好転させ、企業の投資を促し、雇用を最大化するという高圧経済を実現すると主張してきた。それを具体化したのが、「責任ある積極財政」というスローガンだ。
また大自動化論争で注目された最低所得保障は、給付付き税額控除とほぼ同じ制度設計である。給付付き税額控除は、低・中所得層への恒常的な減税とまた給付金からなる。つまり一定の可処分所得の増加を保障する制度設計になる。さらに「大自動化論争」当時も、社会的インフラの整備、エネルギー問題への対応、サイバー戦略、教育の振興などが政策論の話題になっていたが、これは高市政権では成長戦略会議が担う17分野(AI関連含む)の積極財政の対象分野と似てもいる。