シンガポール政府が認める公認の背徳区「ゲイラン」。暗黒の「ロロン20」に立つスリランカ人女性リーパ。内戦とDV、そして死刑の恐怖をメスでかき消した「反逆児」の人生
1980年代から90年代にかけて、アジアの歓楽街は熱気と混沌、そして甘美な腐臭に満ちていた。高度経済成長のあぶく銭を握りしめ、男たちは夜の底へと沈んでいった。これは、かつて暗黒街に沈み、熱気と混沌に溺れながら「愛」を探し求めた男の回想録である。
「ブラックアジア」「ダークネス」でカルト的な人気を博す作家・鈴木傾城氏による連載「アジアの暗黒街で愛を探した男」第9回――。
<前回までのあらすじ>
プノンペンのスラムで貧しい女性たちと過ごした日々。劣悪な環境や腐敗した警察に翻弄されつつも、筆者は泥の匂いのする彼女たちに惹かれていく。しかし最愛の女性トゥとの交流を通じ、教育を受けられず貧困から抜け出せない構造的な絶望を痛感した。社会の不条理を背負う彼女たちの将来を案じ、筆者は断腸の思いで帰国した。次に向かう先は――。
目次
カンボジアの暗黒街にNGOが乗り込んできた
2000年に入るとカンボジアにやってくる日本人が増えた。さらに欧米からも売春地帯に関心を持った男たちが大勢やってくるようになった。そのせいで、カンボジアの暗黒の世界が国際的な社会問題となってクローズアップされることになった。
闇が表社会でクローズアップされたら、ロクなことにならない。
案の定、売名して寄付金を稼ぎたい薄気味悪いNGO団体がいくつもカンボジアに入り込み、彼らが言うところの「不良外国人」を監視し、カンボジア当局に「これを放置するな」と密告するようになっていった。
実のところ、その頃のカンボジアで最悪に腐敗しているのは警察と政府高官一族だったのだが、そっちのほうはNGO団体には都合良く見えなかったらしい。
カンボジアはこの頃から平和を享受する普通の女性たちも、ファッションを楽しんでミニスカートで歩いたりするようになっていた。フン・セン首相はそういうのが「風紀の乱れ」と思ったようで、カンボジア当局に風紀の引き締めと摘発を強化するように命じたのだった。
このような社会情勢があって、この国は裏の世界で生きる男たちには居心地の悪い場所になっていった。
シンガポール政府が認める公認の「背徳区」
スラムでひっそりと過ごし、貧しい女たちと時間をつぶすのが好きだった私も、空気の変化を感じた。大好きな国だったが、環境が悪くなりすぎた。そろそろ潮時だった。後ろ髪が引かれたが、もうカンボジアに行くのはやめることにした。それが2001年2月のことだった。
そのあと、やることもないので隣国タイの首都バンコクの歓楽地であるナナプラザのオープンバーでだらだらと女性たちと過ごしていると、たまたま隣に人懐っこいシンガポール人が座っていて、彼と話す機会があった。
私が「シンガポールには行ったことがない」と言ったら、「ゲイランという場所があるから、行ってみてくれ。路上にいろんな国の女たちが立っているんだよ。気に入ると思うよ」というような話をして私にニヤリとした。
ゲイランは噂には聞いたことがあった。そこはシンガポール政府が認める公認の「背徳区」なのだが、路上にも置屋(ブロッセル)とは無関係の女性が立っているというのは知らなかった。
「シンガポール人の女性が立っているのか?」
「いや、外国人の女性だよ。マレーシア人、タイ人、大陸(メインランド・チャイニーズ)、インドネシア人、インド人……」
「インド人も?」
「そうなんだ」
いろんな国の女性たちが一つのエリアに立っているというのは興味深い。シンガポールはブランドの店が並ぶショッピング国みたいなイメージしかなかったので無視していたのだが、裏の世界は意外にディープなものがあるようだ。
そして彼はこのようにも言った。
「インドネシアも面白いと思う。インドネシアには山の中に女たちの村があって、そこが赤線地帯(レッドライト・エリア)になってるんだ」
「山の中に?」
「うん。たぶん社会から捨てられたんだと思う」
そのシンガポール人は、私にそう説明した。女たちを山に捨てるとは、いったいどういうことなのだろうかと私はいぶかった。インドネシアでは「何か」が起きているようだ。何か、深い深淵がそこにあるのだろう。それに興奮した。
その女たちが捨てられている島は、シンガポールから近いインドネシアのリアウ諸島にあるらしい。日本に戻ってゲイランやインドネシアを調べたが、そうしているうちに、ますます興味が膨れ上がった。
ちょうどカンボジアに行くのをやめたばかりだ。タイの歓楽街にも、もう関心は失っていた。それで、次の拠点はシンガポールとインドネシア・リアウ諸島に決めた。
ゲイランはひたすら暗黒(ダーク)な世界だった
2001年4月。私は成田からそのまま直行便でシンガポールに降り立っていた。チャンギ国際空港に着いたのは夜だった。観光地にはまったく関心がないし、高級ショッピング街にも興味がない私は、そのままゲイランに直行した。
シンガポールはゴミを捨てたら罰金、ガムを噛んだら罰金、電車やバスでモノを食べたら罰金、道路を無理に横切ったら罰金、唾を吐いたら罰金……と罰金だらけの国だと聞いているので緊張したが、タクシーを降りたら安堵した。
真夜中のゲイランには南アジアの労働者がたむろしている場所があった。そこで降りたのだが、男たちはシャツ一枚でタバコを吸っているし、そこらに唾を吐いている男もいた。それに排水路はゴミまみれでネズミが走り回っていた。

クリーンで清潔な国というイメージが一瞬にして崩れた。「なんだ、他の国と変わらないじゃないか……」と思わずにいられなかった。
ゲイランは、タイの歓楽地に慣れているとひどく薄暗くて陰気だった。ゴーゴーバーもオープンバーもなく、置屋は固くドアが閉じられて呼び込みもない。大音響の音楽もない。屋台もなく、タイではどこでも見かける白人(ファラン)も皆無だ。ひたすら暗黒(ダーク)な世界だった。
適当なホテルに部屋を取って、すぐに手ぶらで外をうろつくと、特定のストリートに女性たちが立っているのが見えた。壁に並んで立っていた。声をかけるとタイ人だった。タイの女性はこんなところまで出稼ぎ売春をしているのかと感慨深く思った。ラオス人がいるのも確認した。
そうした女たちを横目にずっと歩いていくと、今度はインドネシア人の女性たちが固まっているロロン(通り)に出た。
表通りに面したところには食堂があった。その裏はロロン20と呼ばれる小道だったが、そこは街灯がなかった。そのため、目が慣れるまでほぼ何も見えない。だが目を凝らすと、女性たちがびっしりと立っているのに気づいたーー。