東大卒ニートから10億円を築いた個人投資家が語る「逆転の黄金ルート」失敗のフルコンボを乗り越えた、億超えへの3つの絶対条件
東京大学を卒業しながら「新卒ニート」を選び、家賃1万9000円のアパートで月3万5000円の生活を送った男が、純資産10億円を築き上げた。いかにして、その逆転劇は実現したのか。時給1000円の掃除バイトからキャリアをスタートし、不動産鑑定士資格の取得を経て、EYグループ、さらには投資銀行ゴールドマン・サックスのアセットマネジメント部門へと駆け上がった小原正徳氏。2016年の独立後は「不動産アカデミー」を主宰し、延べ500名以上に実践的な投資手法を指導。Amazon不動産投資部門で1位を獲得した著書でも知られる。
本稿では、わらしべ長者的なキャリア戦略で最強の融資属性を手に入れるまでの軌跡から、純資産1億円を最短で突破するポートフォリオロードマップ、プロが独占する「情報の川上」へのアクセス術、そして1億円を10億円に変える税務・負債・時間の支配術まで、ニートから10億円を実現した全知見を余すところなく語っていただいた。全4回の第1回。
みんかぶプレミアム連載「富裕層たちの黄金法則」
目次
月3万5000円の生活と、「労働」への違和感
東京大学を卒業した直後、私は周囲の同期たちが超一流企業や官公庁へ就職していくのを横目に、「新卒ニート」という道を選びました。生活の拠点は、杉並区にある家賃1万9000円、風呂なし・トイレ共同のアパートです。食費を含めても月々の生活費はわずか3万5000円で、親からの仕送り5万円があったため、毎月1万5000円が余る計算でした。その余剰資金で映画を月に20本近く観ながら、「これほど文化的な生活が送れるなら、無理に働く必要などないのではないか」と本気で考えていました。
この極限の低コスト生活が、私に一つの根本的な気づきをもたらしました。1日8時間を差し出して月20万円をもらう労働への、強烈な違和感です。資本主義の本質は、自分の時間をどう売るか、あるいは「資産にお金を産ませる」側に回れるかにある——。そう直感したのですが、当時の私にはその直感を現実に変える手段もなければ、元手もありませんでした。
ニート生活を1ヶ月で切り上げた後、最初に選んだのはタウンワークで見つけた時給1000円の掃除バイトでした。やがて正社員となり、26歳で結婚。翌年、第一子が誕生することとなります。当時は産休制度もなく、妻は出産と同時に仕事を辞めざるを得ない状況でした。しかし、私の年収はわずか300万円。家族3人を養うにはあまりに心もとない数字です。父はピーク時の年収が1000万円を超えていて、私を中学受験から東大へと進ませてくれた。しかし当時の自分には、同じ教育を我が子に与える力がまったくありませんでした。この強烈な焦燥感と不甲斐なさが、不動産投資への扉を開く引き金となりました。当時の私には資金も実績も何もない。だからこそ「銀行から最高の評価を受けられる人間になる」という逆算から動き出すことにしたのです。
「不動産鑑定士」という武器と属性のわらしべ長者戦略
私が最初に取った戦略は、未経験の20代後半が劇的に銀行評価を引き上げるためのものでした。「子持ち無職」というリスクを負ってでも、最難関の国家資格である「不動産鑑定士」を取得すること。折よく、住んでいたアパートの建て替えに伴う立退き交渉で、まとまった資金を手にする機会が巡ってきました。貯金ゼロだった私には、これが「1年半という時間を買うための軍資金」そのものです。背水の陣でその資金を生活費に充て、受験勉強に没頭しました。結果は、無事に合格。しかし、時はリーマンショック直後で、不動産鑑定業界の求人は激減していたのです。
ようやく拾ってもらったのは赤坂の不動産管理会社でしたが、ここから私のわらしべ長者的な属性強化が始まります。クレーム対応や滞納督促といった泥臭い現場経験を積んだ後、会計系コンサルファームのBig4の一角であるEYグループへ転職。さらにその後、ゴールドマン・サックスのアセットマネジメント部門へとステップアップしました。
この転職の目的は、単なる給与アップではありません。銀行から「貸したい」と思われる最強の社会的信用、すなわち「属性」を手に入れることでした。不動産投資において、融資をいかに有利な条件で引き出せるかが、資産形成のスピードを左右します。年収・勤務先・資産状況といった属性が高ければ高いほど、低金利・高額の融資が可能になる。それを意識して、投資家として参入する前に「最強の融資対象者」を目指して、キャリアアップをはかっていきました。
しかし、いくら属性を積み上げても、最初の買い方を一つ間違えれば、そこで資産形成のルートは途絶えてしまう。私はそれを、手痛い失敗という形でじきに学ぶことになります。