2001年、9・11同時多発テロで変貌したインドネシアの山奥にある「堕落した女たちの巣」…ビンタン島の彼女は「結婚して子供を作ろう」と私に言った
1980年代から90年代にかけて、アジアの歓楽街は熱気と混沌、そして甘美な腐臭に満ちていた。高度経済成長のあぶく銭を握りしめ、男たちは夜の底へと沈んでいった。これは、かつて暗黒街に沈み、熱気と混沌に溺れながら「愛」を探し求めた男の回想録である。
「ブラックアジア」「ダークネス」でカルト的な人気を博す作家・鈴木傾城氏による連載「アジアの暗黒街で愛を探した男」第11回――。
<前回までのあらすじ>
バブル崩壊後に相場から離れた筆者は、金融ビッグバンを機に米国株へと活路を求める一方、インドネシアのビンタン島へと向かった。山奥の集落に多様な民族の女性たちが集う「桃源郷」を見出し、新天地に没入していた矢先、2001年9月11日の同時多発テロが世界を一変させたのだった。
目次
同時多発テロによって堕落した女たちの巣も変貌した
2001年9月11日の同時多発テロ以後、世界は急激に変わりつつあった。
共産主義の総本山であったソビエト社会主義共和国連邦が1991年に崩壊して、アメリカは「敵」を見失っていた状態だった。だが、この事件でアメリカの国防は、イスラム原理主義武装組織にぴたりと焦点が合った。
同時多発テロの首謀者は、アルカイダ率いるオサマ・ビン・ラディンだった。このイスラム原理主義武装組織のアルカイダが、「反米」で世界中のイスラム教徒と広いネットワークを組むようになっていった。
2001年の後半からそうした流れが世界の裏側で地殻変動を起こし、それが東南アジア最大のイスラム国家であるインドネシアにも入ってきていたのだった。
個人的には、アルカイダに呼応する原理主義の動きは、私が沈没していたインドネシアのリアウ諸島、あるいはそれぞれの島にある「隠された売春地帯」に関係するとはまったく考えていなかった。
そもそも、インドネシアの国民の大半はイスラムと言えども穏健派だ。厳格なイスラム教徒ではない。イスラムではアルコールが禁止だが、インドネシアでは隠れてアルコールを飲んでいる男たちも大勢いた。女性もそうだ。
特に私が沈没していた山奥の集落(カンポン)は堕落した女たちの巣である。イスラム教に背いて山奥に隔離されていたわけで、そんな女たちはなおさらイスラム原理主義者とは相いれないはずだ。
たしかにインドネシアではアメリカに痛烈な打撃を与えたビン・ラディンを「同じイスラム教徒」として賛美する人たちが大勢いたのは事実である。
しかし、イスラム教の教えに背くと糾弾されて山奥に隔離されるような女性たちなので、彼女たちはきっとそんなものに興味も関心もなくて、イスラム原理主義を嫌っているのだろうと私は無意識に思っていた。
ところが、一概にそうではないというのを私は知ることになった。
国際的な世論が急速に「イスラム嫌い」になった
あるとき、山奥の隔離された集落の屋台のテーブルに座っているときに声をかけてきた女性がいた。彼女と意気投合して彼女の部屋に行ったとき、ビン・ラディンの大きなポスターが置いてあった。
「ビン・ラディンだね」
私が言うと、彼女はそれを両手いっぱいに広げて私にこう言ったのだった。
「彼は私のヒーローよ!」
イスラムの社会に排除され、隔離された集落で暮らしていた女性たちだったが、アメリカとイスラムの二者択一になると、間違いなくイスラムの方を選択するのが興味深かった。生まれ育ったイスラムの共同体から弾かれても、やはり彼女たちはイスラムの女たちだった。それを思い知った瞬間だった。
だが、基本的にリアウ諸島の山奥の村は外界と隔離されていたので、グローバル社会が騒いでいるイスラム原理主義の動きとは無縁だったとも言える。
ビン・ラディンが好きだ、アルカイダが好きだという女性がいても、別に彼女たちはイスラム原理主義に呼応しているというよりも、「同じイスラム教徒だから好き」というレベルに過ぎなかった。
ほとんどの女性は、自分が生きるのに精いっぱいで、国際政治の動きやらアメリカとイスラムの対立などは遠い世界の話だったのだ。私自身は国際政治には株式投資の観点で関心を持っていたが、宗教に関しては何の関心もなかった。私は不可知論者であり、そんなものに時間を使うつもりはなかった。
そのせいなのか、目の前の女性がどんな宗教を信じていたとしても、逆に気にならなかった。

考えてみたら、私は仏教徒の女性とも、キリスト教の女性とも、イスラム教の女性とも付き合ってきたが、彼女の宗教が何だろうと関係なかった。たぶん、彼女が何らかの邪教を信じていたとしても私は気にしなかっただろう。
その女性自身を気に入るかどうかが重要で、女性が信じている宗教や属している宗教については関心外だったのだ。
そういうスタンスもあって、国際的な世論が急速に「イスラム嫌い」になっていくのが2001年以後なのだが、私には何ら影響がなかった。むしろ、それは私には好都合だったかもしれない。
なぜなら、西洋先進国の男たちは「イスラム国家」であるインドネシアにわざわざ入ろうとしないので、その集落にやってくるのはほとんどが近場のシンガポールの男たちだけで、女性を巡る獲得競争はほとんどなかったからだ。
イスラム国家であることで外から男が来ない。山奥でアクセスが悪いのでますます男が来ない。そのために常に女性たちが大勢いて、私は関心ある女性をゆっくりと見つけて知り合うことが可能だった。