「だっこしている赤子が昨日と違う」100人中99人が「行くな」と言った”地獄の国”2000年代初頭のインド。虫の這うシャワールームを出ると物乞いの女性が…
1980年代から90年代にかけて、アジアの歓楽街は熱気と混沌、そして甘美な腐臭に満ちていた。高度経済成長のあぶく銭を握りしめ、男たちは夜の底へと沈んでいった。これは、かつて暗黒街に沈み、熱気と混沌に溺れながら「愛」を探し求めた男の回想録である。
「ブラックアジア」「ダークネス」でカルト的な人気を博す作家・鈴木傾城氏による連載「アジアの暗黒街で愛を探した男」第13回――。
<前回までのあらすじ>
貯金を食いつぶし、インドネシアの極貧売春地帯をさまよう筆者。しかし、その桃源郷はテロの猛威により一瞬で壊滅する。安住の地を失った筆者が次に向かうのは、世界で「地獄」と恐れられる国だった。破滅へのカウントダウンが今、始まる――。
目次
地獄の国へやってきた
「そこは地獄だ」というのは、他の旅人から話を聞いていた。実際、調べれば調べるほど、嫌な気持ちになった。私はどこの国でも貧困地区にしか居つかないのだが、「あの国」の貧困度は常軌を逸しているという。
先進国の人間には耐えられないほど不衛生で、治安も信じられないほど悪く、ぼったくりまみれで、女性たちの気性も荒々しくて粗雑なようだ。性病も皮膚病も蔓延している。「絶対に行かないほうがいい」と100人中99人が言う。
それが、インドの評価だった。
私がインドに関心を持ったのは、ひとえにシンガポールのゲイランで知り合ったリーパのことが頭にあったからだ。彼女はスリランカ人だったが、スリランカはまごうことなく「インド圏」である。私は彼女を通して、インド圏の女性たちにも深い関心を持つようになっていた。
当初はインド圏の女性はあまりにも文化も人種も違い過ぎて、自分が付き合える対象とは思えなかったのだが、シンガポールでリーパと出会ってからは考え方が180度変わってしまった。
インド圏の女性が素晴らしく美しいと思えるようになったし、リーパが大好きだったこともあって、インド圏の女性全体にも好感を持つようになった。そのため、次にどこかを野良犬のごとくうろつくのであれば、インドも行ってみたいという気持ちがとめられなかった。
どうするか、ずっと考えていた。心地良いゆりかごのようなインドネシアの「隠れ家」は、もはやイスラム原理主義者によって破壊されてしまった。タイの歓楽街は観光地化されて関心を失い、カンボジアにも戻る気がなかった。
行き場をなくしてしまった私には、インドしか残っていないような気がした。
インドも広いが、はじめて向かったのは東部の都市「コルカタ」だった。それまでコルカタは「カルカッタ」と呼ばれていたのだが、私がこの地に降り立った時期に改名して正式名称をコルカタに変えたばかりだった。
最初に降り立つ地をコルカタにしたのは偶然だ。バンコクの旅行代理店で聞いたら、ちょうど私の出発したい日にコルカタ行きの便が空いていた。それに飛行時間がニューデリーやムンバイよりも短い。飛行機にはあまり長い時間乗りたくないので、コルカタはちょうど良かった。
観光には関心がなかったので、ガイドブックすらも持たないでインドに向かった。ドンムアン空港からインド航空でコルカタに入ったのだが、このインド航空がとんでもない機材だったのは今も覚えている。
振動があるたびに座席うしろのトレイがバタバタと降りてきたり、座席上部の荷物入れが勝手に開いた。トイレも手入れされていない公衆トイレ並みに汚れている。「ああ、これがインド品質なのか」と妙に納得した。
コルカタのダムダム空港(ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港)も、この当時は何となく殺風景で陰気な感じだった。
そこからタクシーに乗ってサダル・ストリートに行ってもらったのだが、窓から外を眺めていると、かなりの数のホームレスが道端を埋め尽くしているのを見て、自分が想像していた10倍も20倍も貧困が極まっていることに絶句した。
東南アジアで見てきた貧困とは次元が違う
サダル・ストリートでタクシーを降りると、いきなり赤ん坊を抱えた物乞いの女性たち数人に囲まれた。赤ん坊はぐったりしていて力なく寝ており、母親が必死の形相で食べ物を買うカネをくれとジェスチャーで私に伝えた。
母親のうしろにも何人もの物乞いの子供たちがいて、私の腕や袖を引っ張って「ギブ・ミー・マネー」と言っている。
ひとまず荷物をホテルに預けたいので彼らを振り切って歩くのだが、物乞いたちが私のうしろや横にぴったりと張り付いて離れない。10メートル歩いても、20メートル歩いても、30メートル歩いても、誰ひとりとしてあきらめないでついてくる。
振り向くたびに、彼らは私を囲んで必死の形相で、カネをくれと手を差し出してくる。すさまじく執拗で、脅迫的だった。子供たちは泣きそうな顔で手を差し出している。どこの国でも物乞いはいるが、これほどまで執拗で粘着的なのは初めてだった。
しかたないので子供のひとりにポケットにあった小銭を渡した。
誰かひとりに渡したら他の物乞いはあきらめるのかと思ったら逆で、ますます多くの物乞いたちが集まって私を集団で囲み、自分にもカネをくれと次から次へと手を差し出してくる。身動きできないくらいだった。
全員にカネを出していたら、有り金すべて持っていかれそうだ。強烈だった。これまで東南アジアで見てきた貧困とは次元が異なる世界がここにあった。とにかく、カネに対する執着心が他の国の貧困層とレベルが違った。「カネをもらうまで死んでも離れない」という極限的な気迫が感じられた。
私も必死で彼らを振り切り、とにかくどこでもいいと思って適当な安ホテルに飛び込んで部屋を取ったのだが、その部屋は監獄のような空間で、床も壁も天井もすべてが薄汚れていて、ベッドも壊れそうなほど古いものだった。
「すごい国に来てしまった……」