「私自身は何も持っていない」大阪大に入っても消えなかった焦り…20歳の福田恵里を変えた“同世代の姿”
やりたいことも、武器と呼べるものもない。そんな状態から女性向けプログラミングスクールを立ち上げたのは、現在女性向けキャリア支援を手がけるSHE株式会社の代表取締役CEO/CCO・福田恵里氏だ。その起点にあったのは、意外にも「自分は何も持っていない」という一人の大学生の焦りだった。全4回の第1回。
みんかぶプレミアム連載「バリキャリ女性社長のワークライフ・ルール」
無意識のうちに経営者に囲まれていた少女時代
「私は滋賀の田舎、田んぼに囲まれたところで育ちました。父方も母方も自営業で、製造業と着物の卸をやっていたんです。今思えば、経営者たちに囲まれて過ごしていたのかなと思います」
福田氏の実家は、代々事業を営む一族だった。雇われて働く大人よりも、自分で商売を回す大人が身近にいた。会社員を経て起業を選ぶ下地は、この環境で静かに敷かれていたことになる。
もっとも、学生時代の本人にその自覚はない。幼少期は絵本の主人公と自分を重ねるほど自信に溢れる子どもだったが、小学校でいじめを受けて一変。人に合わせることを覚え、中学・高校は『Popteen』全盛のギャル文化に憧れながら過ごした。
「田舎なのでパギャルでした。半端なギャルですね。渋谷にいるガングロギャルとか、雑誌に出てくる読者モデル的な本物のギャルに憧れながら、ガングロメイクをやってみたり、ルーズソックスを履いてみたりする、まねっこギャルでした。ただ、ギャルをやるだけだとよくないなと思っていたので、結果を出すギャルになろうと、勉強はちゃんと頑張っていました」
今を楽しみながらも、先を見据える目は失っていなかったらしい。その結果、関西屈指の難関国立大学である大阪大学に進学している。
猛烈な嫉妬から始まった10ヶ月。サンフランシスコで出会った”同い年の起業家”
ところが志望した大学に入った途端、福田氏は行き先を見失う。
「偏差値の高い大学に行くということを目標にやってきてしまった結果、大学に入ったあとにやりたいことが見つからなくなってしまって。周りを見渡すと、学生団体をやっていたり、NPOをやっていたり、起業していたり、いろんな活動をされている方がいる中で、私自身は何も持っていないなとモヤモヤしていました。
そのときに読んだ大前研一さんの本に、『人が変わるには3つしかない、時間配分を変えるか、住む場所を変えるか、付き合う人を変えるかだ』と書いてあって。自分を変えるために住む場所を変えてみようということで、アメリカのサンフランシスコに留学を決めました」
渡航先はITスタートアップが集積する地域だ。語学留学のつもりだった福田氏は、想定外の光景に出くわす。
「同じ20歳の子が、パソコン1台でスタンフォードの大学生にユーザーテストをしている姿を見たんです。ただ英語を学びに来ている自分と、その英語を駆使して世界を変えようとしている彼らとの間に、すごいギャップを感じて。その方々に猛烈な嫉妬とか悔しさを抱きました」
ユーザーテストとは、開発中のサービスを実際の利用者に触ってもらい、反応を見て改善する手法だ。教科書で学ぶのではなく、英語を使って現場を回る。それを同い年が当たり前にやっていた。
悔しさは行動に直結する。プログラミングとデザインを自分で学ぼうと決めた福田氏は、第二言語で新しいスキルを習得するのは効率が悪いと判断し、1年の予定を10ヶ月で切り上げて帰国した。