羽生結弦とプーさん、そして私たち。それは、運命的な相愛の絆…『くまのプーさん原作100周年』(2)
プーさんはエドワードだった
羽生結弦の歴史の、氷上には必ずプーがいた。
たくさんのプーが、会場を舞った。
くまのプーさん原作100周年。その記念のメモリーブックに、羽生結弦が選ばれた。
この機会に、原題「ウィニー・ザ・プー」、日本では「くまのプーさん」(岩波など「クマのプーさん」とも)と呼ばれるクマの真実と、そして羽生結弦との相愛の必然とを、比較史において思索してみよう。
100年前、いや、じつのところプーさんは100年以上前、すでに存在していた。
プーさんのモデルはウィニーと呼ばれたロンドン動物園の子熊であった。
原題である「ウィニー・ザ・プー」のウィニーはこの名からとられている。カナダのウィニペグから来たからウィニー。
ウィニーは女性の名前で南アフリカのアパルトヘイト廃止運動の闘士、ネルソン・マンデラ大統領の妻ウィニー・マンデラの名が知られるが、動物園のクマのウィニーもまたメスである。それがプーは男の子となった。
このウィニーはロンドンの人気者で、ある男の子が自分のクマのぬいぐるみに同じウィニーと名づけた。この男の子、ロビンの父親こそプーさんの原作者、A・A・ミルンである。
1924年、ミルンはイギリスの『パンチ』という雑誌向けに『クリストファー・ロビンのうた』という詩集のもとになる『テディ・ベア(Teddy Bear)』(全44編中の38番目)という詩を書いた。
その中に出てくるクマ、エドワード・ベアがプーの原点となる。
つまりプーさんの名前は最初、エドワードだったというわけだ。
〈僕たちのテディ・ベア、背が低くてデブちんだ、運動不足で太っちゃう〉