「みんなと同じことができない」子が東大へ 進研ゼミと本から見える親の教育方針

「うちの子は、東大なんて無理かもしれない」——じっと座っていられない、英才教育もさせていない。そんなわが子を前に、不安になる親は少なくないだろう。
だが、開成から東大へ進んだ小林尚(コバショー)氏も、幼稚園に忍び込んで警備員に捕まり、小学校では喧嘩が絶えない少年だった。中学受験の模試は偏差値50ちょっと、算数は50を切り、受験そのものを見送っている。
そんな彼は、どこで変わったのか。担任のひと言、小さな成功体験、そして「本なら何でも買ってあげる」という両親の方針——。個別指導塾キャストダイスの塾長を務める小林氏に、幼少期から塾に通い始めるまでを聞く。全3回の第1回。
みんかぶマガジン連載「天才たちの育ち方」
幼稚園に無断で侵入し、休日に警備員に捕まっていた園児時代
私は、幼少期から小学校の中学年くらいまでは、正直やんちゃな子どもでした。今の学校であれば「ちょっと大丈夫かな」と心配されるレベルだったと思います。幼稚園の頃は、お弁当の時間にじっと座っていられず、歩き回ってしまう。休みの日には、家の近くにあった幼稚園にこっそり入り込み、警備員に捕まる──そんなことも日常茶飯事でした。
小学校に入っても、集団行動ができず、いたずらばかりしていました。特に1、2年生の頃は同級生と喧嘩をして、学校から家に電話がかかってくることもしょっちゅうありました。「みんなと同じことができない」という子どもでしたね。気に入らないことがあると、言葉ではなく手を出してしまうことばかりでした。
そんな私を大きく変えたのは、小学校3年生のときの担任の先生です。その先生は、とても理解のある方で「何かを人に伝えたいときは、行動ではなく、言葉にすれば伝わるんだよ」ということを、私に優しく繰り返し教えてくれました。先生の教えを受けて、私は「やんちゃな子」から「穏やかな子」へと変わっていきました。
95点→110点。「勉強が得意かも」と気づいた最初の成功体験
私はやんちゃな子どもでしたが、学校の授業は真面目に受けていて、勉強面で苦労することはありませんでした。どの教科もテストの点数は高かったです。そんな私が「もしかしたら勉強が得意かもしれない」と自覚したのは、小学校2年生のときです。
当時の算数の先生が出すテストには「1つの問題に対して、複数の解法を示すと加点する」というルールがありました。あるテストで、私は1つの解法で解いて95点。一方、頭がとても良いと評判の同じクラスの子は105点を取っていました。
負けず嫌いだった私は「100点以上を取れるんだ、すごいな」と感じて、次のテストでは解法をたくさん書いて加点してもらおうと思ったのです。そして、次のテストでは見事110点を取れました。前回よりも良い点数を取るために自分で計画を立て、結果を出せたこと。この成功体験が、「勉強が得意」という自覚につながった原点です。
今でも最も影響を受けている親の教育方針
私は家庭では、いわゆる英才教育のようなものは一切受けていません。唯一やっていた学習は「進研ゼミ」で、学習を先取りしていました。