年商10億円超えの社長など数々の社長を輩出してきた「人生逃げ切りサロン」運営・やまもとりゅうけん氏が語る、ビジネスで大成功する人たちだけが持っている「運」の正体

「特別な才能がなければ、お金持ちにはなれない」――そんな思い込みを打ち破り、独自の戦略と行動力でビジネスインフルエンサーの頂点に登り詰めた人物がいる。「人生逃げ切りサロン」を創設し、累計4万人超の参加者を誇るやまもとりゅうけん氏だ。
「人生逃げ切りサロン」は、年商10億円を超えている知識共有プラットフォーム「Brain」の社長・迫佑樹氏などを筆頭に、数々のビジネス系インフルエンサーを輩出している実力派オンラインサロンだ。
神戸大学経営学部を卒業後、大手SIerを経て独立。ビジネス系YouTuberのパイオニアとして活躍し、現在ではeラーニングのカリキュラムが簡単に作れるWebサービス「オンクラス」の創業など、多岐にわたるビジネスを展開する同氏。
本稿では、特別なスキルも信用もなかった普通の青年が、いかにして富裕層への階段を駆け上がったのか、そのリアルな軌跡と思考法を徹底解説。借金まみれのマルチ商法時代から、月収100万円の壁の突破、そして「下りのエスカレーター」を逆走するための生存戦略まで、凡人が人生を逃げ切るためのロードマップを余すところなく語っていただいた。短期連載全2回の第1回。
みんかぶプレミアム特集「超富裕層のお金がお金を生む思考法」第3回。
目次
必要最低限の生活を求めた「足るを知る」マインドからの出発
もともと僕は、大きな目標やロマンを掲げて頑張っていくようなタイプではありませんでした。ずっと公立の学校で、周りも普通の人たちばかりという環境で育ったんです。ただ、そんな普通の環境の中で、自分だけがどうやら周りよりもお金がないぞ、という状況でした。だから、「普通でいいからまともな生活がしたい」という思いが当時は一番強かったですね。
何億、何十億と稼ぐというよりは、安定した収入が毎月あって、年収でいうと800万円から1000万円くらいあれば楽しく生きていけると思っていました。自分の欲求を小さくしていくような、割と「足るを知る」的な発想だったんです。
そんな中、マルチ商法(アムウェイ)に手を出しました。すごい人でも年収1000万円から2000万円くらいの世界でしたが、稼げて、仲間もいて、時間もあるという形が僕にとっては理想的でハマってしまったんです。それくらいの小さい成功なら僕にもできるかなと思ったんですが、現実的にはよそで1000万円稼ぐよりもアムウェイで稼ぐ方がよっぽど大変でした。結果的に借金を400万円ほど背負ってしまい、そこから手に職をつけようと独学でエンジニアになり、会社に就職して経験を積んだ後、より稼げるフリーランスエンジニアの道に進みました。
フリーランスになった当初は、まず借金から解放されることを目標に掲げていましたが、結果としてすぐに年収800万円くらいには到達しました。当時は結構それで満足してしまいまいした。
月収100万円の壁の突破と「下りのエスカレーター」理論
当時大阪に住んでいたのですが、東京よりもフリーランスエンジニアに回ってくる開発案件の単価が低かったこともあり、年収1000万円にはギリギリ届きませんでした。
そこでブログを始めたんです。マルチ商法時代は「マルチしかするな」と言われていたんですが、そのタガが外れて「何をやってもいいんだ」となりました。文章を書くのが得意だったので、「稼ぎたい」という気持ちよりも「自分の持てるスキルを全部発揮して評価されたい」という思いでブログを書きました。
結果的にブログが当たり、月40万円くらいはすぐに稼げるようになり、月収で120〜130万円くらいになりました。その時は「これでいいんじゃないか」と、また満足してしまったんです。
しかし、そこからさらに上を目指す転機がありました。僕よりもはるかにお金を持っている人たちと出会ったんです。彼らの中には、自分と同じくらいの時期にブログでの発信活動を始めたり、自分より後から始めたのにもっとはるか上の売上に到達している人たちがいました。能力的に彼らに負けているとは思わなかったので、この機会を活用しないのはもったいないと思ったんです。
さらにその後、当時流行っていたアフィリエイトで「月収100万円です」と言っていた人たちが、じわじわと売上を落として軒並みオワコン化していくのを目の当たりにしました。そこで「安定なんてないんだな」と気づいたんです。常に僕たちは「下りのエスカレーター」に乗っているようなもので、駆け上がっていってちょうどいいのだと気付き、そこからは常に上の売上を目指し続けるようになりました。月収100万円程度で安住していてはいけないなと思ったんです。