夫や景気のせいにするのはもうおしまい。パート主婦が「半径1メートルの選択」をコツコツ変えて仕事を引き寄せた自立のロードマップ

「在宅ワークで自立するには、退路を断って今の仕事を辞める覚悟が必要だ」――そんな0か100かのギャンブルに走ろうとしていないだろうか。おゆわり氏は、在宅ワークが安定するまで牛丼屋のパートを辞めず、睡眠時間を削って「2本の柱」を維持する下積みを9ヶ月間も続けたという。独立後も順風満帆ではなかった彼女を救ったのは、大きな目標ではなく「自分の手が届く範囲から変える」というマインドセットだった。
本稿では、おゆわり氏が子育てと現場仕事のパズルに苦しんだパート時代から、フリーランスとして自立するまでのリアルな軌跡を徹底解説。「他責マインド」を捨ててバッターボックスに立ち続けた理由を語る。全4回の第2回。
みんかぶプレミアム連載「フリーランスの稼ぎ方大全」
目次
睡眠時間を削った「9ヶ月間」。私がパートを絶対に辞めなかった理由
1投稿300円のInstagram運用代行。ようやく「これで在宅ワークの収入が安定しそうだ」と確信を持てるようになるまで、実は「9ヶ月」という長い時間がかかりました。
世の中の器用な人なら、もっと早く、それこそオフ会や横のつながりを使ってスマートに案件を伸ばしていけるのかもしれません。でも、当時はコロナ禍の真っ只中。リアルな集まりなんて一切ありませんでした。
そもそも人脈の広げ方すらわからなかった私は、ただひたすら画面の向こうのクライアントと向き合い、失敗を重ねては改善し、コツコツ積み重ねる方法でしか進めなかったんです。
よくSNSで「在宅ワークで稼ぐために、退路を断ってパートを辞めました!」という威勢のいい発信を見かけますが、私は絶対にそんなリスクは冒しませんでした。
牛丼屋のパートはそのまま続けながら、フリーランスの副業をする。0か100かの極端な選択をするのではなく、どちらにでも動けるように「2本の柱」を維持し続けたんです。
当然、使える時間は限られていますから、日中はパートと母親業。そこから自分の睡眠時間を削って、夜中にひたすらCanvaでInstagramの投稿を作り続ける毎日でした。体力的には本当にしんどかったです。
それでも踏ん張れたのは、かつて牛丼屋のパート時代に経験した苦い記憶があったからです。私は日中、牛丼屋のシフトに入っていました。ランチピーク中のお店が一番忙しい時間、2人だけで必死に回している最中、容赦なく学校から私のスマホに電話がかかってくるんです。「お子さんの体調が悪いので迎えに来てください」って。
けれど、ピーク時の現場を放り出して「私、今から帰ります」なんて言えるわけがない。子育てと現場仕事のパズルがどうしても噛み合わないときの、胃がキリキリ痛むような申し訳なさと焦燥感は今も忘れられません。
「子どもに万が一のことがあったとき、母親である自分がすぐに動けない環境は、やっぱりリスクが高すぎる。在宅で稼げる柱を絶対に作るんだ」その一心で、淡々と作業を積み重ねていきました。
そして在宅ワークを始めて9ヶ月が経った頃、ある大きめの継続案件を獲得したことをきっかけに、半年先までの収入の保証をいただける状態になったんです。「よし、これなら在宅ワーク1本に切り替えて、さらにクライアントの柱を増やしていくべきだ」
そう確信して、私はようやく5年間勤めた牛丼屋のパートを卒業しました。
一日500通のDM送信で腱鞘炎に。「他責マインド」を捨てて手に入れた覚悟
パートを卒業して、収入源がフリーランス1本になってからも、順風満帆だったわけではありません。最初の頃はとにかく必死なので、作業の効率化なんて分からず、たった1つの簡単な作業に13時間も費やしてしまうことなんてザラにありました。
「これ、今日中に本当に終わるの?」と絶望しながら、夜が明けていくんです。
一番過酷だったのは、クライアントから依頼された「ひたすらDMを送り続ける」という作業者としてのお仕事でした。一日になんと500通。「もうこれ以上は物理的に指が動かせません」となるまでやり続け、手が腱鞘炎になってしまいました。
これほど心身を削って働いても、低単価案件なので、もらえる報酬は低かったです。「こんなに大変なのに、なんでこれしか貰えないんだろう」と、部屋で一人で思い悩むことも多かったです。
そんな私が、作業者から抜け出し、ビジネスのフェーズを一つ上げることができたのは、在宅ワークのスキルアップスクールに入ったことがきっかけです。当時はSNS運用代行を教えてくれるスクールで、私は少しでもクライアントワークに役立てられるようにと入会しました。
私はこのスクールに入り、スキル以外のマインドセットも学ぶことになります。そこで「自分の考え方の劇的な変化」を感じるようになりました。
それまでの私は、どこかで「他責」の生き方をしていたんだと思います。「世の中の景気が悪いから」「物価が上がっているから」「夫がこういう状態だから、私は我慢するしかない」って、何かしら周りのせいにしていたんです。
しかし、スクールで出会った信頼できる人たちからアドバイスを受け、お仕事のスキルだけでなく「自分の人生を自分でつくっていくための考え方」を徹底的に叩き込まれました。
まず最初に言われたことは、継続することの大切さ。「おゆわりさん、どんなに大変でも、とにかく諦めずにバッターボックスに立ち続けるんだよ」と、当時のスクール経営メンバーに言われたことを今でも覚えています。
目の前の大変な作業や、理不尽な結果に一喜一憂して「もうダメだ」とバットを置いてしまったら、そこで試合終了です。でも、1年後、3年後の先を見据えて、とにかくバッターボックスに立ち続けていれば、いつか必ずチャンスの球が巡ってくる。私はその言葉を今でもずっとお守りのように胸に抱きながら、何があっても打席に立ち続けています。