なるほど「ダニーボーイ」は必然だ。3.11、能登半島、大船渡…羽生結弦の美、そして社会性の「あたたかさ」(前編)

目次
「思いやり」「忘れない」
羽生結弦の「ダニーボーイ」には社会性がある。
美と共にある、社会性。
羽生結弦というアスリートであり、アーティストであり、エンターテイナーである存在そのものが社会性を内包しているが、それ自体がそのまま作品の社会性の発露になるとは限らない。すべて創作とはそういうものだ。
だからこそ、羽生結弦の「ダニーボーイ」は貴重だ。
これまでのプログラムの中でとか、フィギュアスケート史の中で、という枠に限らず芸術史、いや人の歴史そのものにおける貴重な「美」である。その貴重性こそが社会性、ということになる。
なるほど「ダニーボーイ」は必然だ。