そりゃ国民が愛想つかすよ…中道ではない、衆院選「本当の敗者」 海外と比べてもひどすぎる!焦りによる過剰演出の多用で信頼失墜
解散総選挙は高市早苗総理が率いる自民党が大勝した。その一方で中道改革連合は議席を半減させた。その一方で「本当の敗者は日本のテレビだ」と指摘する者もいる。政治やメディア問題に詳しい、元NHK党秘書でコラムニストの村上ゆかり氏だ。村上氏が解説していく――。
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報道そのものに愛想を尽かし、距離を置いた
夜、何気なくつけたテレビのニュース。選挙特番で映し出された勝利演説の映像に、どこか落ち着かない違和感を覚えた人もいるのではないだろうか。言葉は穏やかなのに、画面はわずかに傾き、光は暗く、緊張感だけが強調されている。内容そのものよりも、「空気」に心が引きずられていく感覚―
2026年2月の衆議院選挙後、多くのメディア論評が飛び交う中で、ダイヤモンド・オンラインの「そりゃ国民も呆れるわ…中道改革連合どころじゃない選挙戦の『最大の敗者』」という記事が話題になった。
敗北したのは衆院選で議席を大きく失った野党勢力だけではなく、多くの国民がマスコミ報道そのものに愛想を尽かし、距離を置いたという「現実」だ。
若年層を中心にテレビ離れは確実に加速している。
「反テレビ」になったというより、「より納得できる情報」を求めて移動
総務省の調査では、10代・20代の情報取得手段は、すでにSNSや動画配信サービスが中心となり、テレビニュースは主要な情報源ではなくなりつつある。中高年層を見ても、テレビ報道への無条件の信頼は弱まっている。「どの局も同じ論調に見える」「重要な論点が扱われない」「都合の悪い話題は避けられているのではないか」といった不満は、選挙のたびにSNS上で可視化されてきている。
多くの国民はテレビ以外の情報源を持つようになった。SNS、YouTube、個人メディア、海外報道の翻訳記事などを、自分で比較し、選び取る行動が一般化した。
視聴者は「反テレビ」になったというより、単に「より納得できる情報」を求めて移動しているだけだ。その結果、テレビは「社会の共通基盤」としての地位を失った。
かつては多くの国民が同じニュースを同じ映像で見て、その内容を疑わず、正しいものという前提を共有していた時代があった。しかし今は、メディアの多様化によりその前提そのものが崩れている。そしてメディアはその信頼性低下による焦りで、新たな問題を引き起こしている。まさに昨今、SNSの一部で話題となっている「ダッチアングル」問題だ。
強い違和感がある「ダッチアングル」の横行
ダッチアングルとは、あえてカメラを斜めに傾けて撮影し、画面内の水平を崩すことで、視聴者に心理的な不安定さや緊張感を与える映像演出の手法のことだ。
私たちの脳は、視覚情報から無意識に「水平」を探し出し、空間の安定を確認しようとする性質がある。画面が不自然に傾いていると、脳はその歪みを補正しようとして過剰な負荷がかかり、微細なストレス(不快感)を生じさせる。
認知心理学的な観点で見れば、この視覚的なストレスが、映し出されている対象、つまり政治家やニュースの内容そのものに対する「生理的な拒絶感」や「不信感」へと無意識のうちにすり替わってしまうのだ。視聴者が内容を論理的に吟味する前に、脳が「この映像(人物)は異常だ、危険だ」という負のラベルを貼ってしまう。
ここ数年、政治報道やニュース番組でもこの手法がたびたび使われるようになっている。
実例として、2026年2月9日放送のテレビ朝日系「報道ステーション」で、高市総理の衆議院選勝利演説の映像が斜めの画角で映し出された事例がSNSで大きく話題になった。ほかにも、ネット上の議論として、NHK「ニュース7」でも過去に国会議事堂や首相会見の映像がやや傾いた構図で放送されたのではないかという報告が散見されるケースがあった。
海外では「映像」も報道内容とみなされる
局の報道姿勢に虚偽や誤報があったわけではない。しかし、こうした映像演出は視聴者の認知に無意識の影響を与える。たとえば、同じ政策説明のシーンでも、水平で安定した画角で映された場合には「冷静な説明」と受け取られやすい。それが“ダッチアングル”の構図になるだけで、視聴者の無意識には「異常」「危機」「不安」といった情報が先に入る。制作者の意図がどうであれ視聴者の印象形成に強く働く。
ニュース番組におけるダッチアングルの多用は、事実上の「印象誘導」に近い性格を帯びている。
海外では、こうした非言語的演出は、言葉と同じく厳格に管理されている。
イギリスでは、BBCの編集指針や、Ofcomの放送規則において、映像表現そのものが「報道内容の一部」と明確に位置づけられる。
政治報道では、
・特定の人物を不安定に見せていないか
・編集によって評価が誘導されていないか
・視聴者の判断を歪めていないか
といった点が制度的にチェックされる。
制作者の意図よりも、「視聴者がどう受け取るか」が重視される。