お金に関する不安は「貯めるだけ」では解決しない……私たちは罪悪感や劣等感から逃れられない

人間はいつも、お金に追い詰められている。それは、たとえ「いまお金を持っている人」であっても免れない。人気ポッドキャスト番組「コテンラジオ」を手掛ける株式会社COTENにて歴史調査を担当する品川皓亮氏は、お金に追われている感覚の背後には「アンビバレントな感情がある」と話す。人類が抱いてきたお金に関する苦悩を、品川氏が紐解く。全3回中の3回目。
※本書は品川皓亮著『資本主義と、生きていく。 歴史と思想で解き明かす「構造的しんどさ」の正体』(大和書房)から抜粋、再構成したものです。
第1回:人はいつから成長に捉われるようになったのか?いまなお私たちの内面に潜むダーウィニズム
第2回:そして人間は「測りすぎ」の病にかかった……あらゆる物事が数値化される社会で必要なこととは
目次
「お金と道徳の二人三脚」という発見
人類は「お金と道徳の綱引き」を2000年以上もずっと展開してきました。その背景には、「お金を稼ぎつつ、他人からも評価され尊敬されたい」という心の声があるといってよいでしょう。
そして、人類の歴史は、この「お金と道徳の一致」を実現させようと試行錯誤してきた歴史でもあるといえます。葛藤も迷いもなく、もっとシンプルな行動原理によってお金を稼ぎたい──その願いはやがて結実し、現代の資本主義もその延長線上にあるのです。
では、この「お金と道徳の一致」は、いつ、どこで実現したのでしょうか?
これに決定的な役割を果たしたのは、アメリカの人々です。舞台をアメリカに移して、その経緯をたどってみましょう。
そもそもアメリカ合衆国は、その建国の時点から特別でした。17世紀、プロテスタントを信仰するピューリタン(清教徒)たちが、自由な信仰を求めてメイフラワー号という船に乗り込みます。そうしてアメリカに渡った彼らは、新天地を開拓しはじめます。ヨーロッパと違って貴族もいない、身分制度もない。あるのは広大な土地と無限の可能性だけでした。
そのアメリカの大地に、1706年、ベンジャミン・フランクリンが誕生します。石鹸やろうそくをつくる家で17人兄弟の15番目の子として生まれた彼は、まさに「たたき上げ」の象徴でした。彼は印刷業で成功し、アメリカ独立にも貢献しました。
彼の著作では繰り返し「勤勉に働き富を得ることは善いことであり、神の祝福につながる」ということが説かれます。こうしてアメリカでは、中世までのキリスト教社会では軽蔑された「拝金主義(マモニズム)」が、むしろ美徳として浸透していく下地が作られたのです。
そしてこの下地のもとで、アメリカ社会はそれまでの「お金と道徳の綱引き」を、「お金と道徳の二人三脚」へと転換させることに成功します。もはやお金と道徳というアンビバレントな感情に悩まされることはなくなりました。両者を一致させ、迷いなく進んでいく糸口が発見されたのです。
「金ぴか時代」に生まれた“強盗男爵”
南北戦争(1861年-1865年)が北軍の勝利で終結すると、アメリカは急速な工業化の時代を迎え、国全体の富が一気に増大していきました。この後、1880年代末までの時期は、アメリカ全体が拝金主義や俗物精神に染まった風潮を指して「金ぴか時代」(Gilded Age)と呼ばれることになります。
この時代、大陸横断鉄道の完成に伴い、蒸気機関が轟音を立て、工場の煙突が空を覆っていました。西部開拓と重なるこの時期、アメリカは荒削りな「夢と希望」で溢れていたのです。
すると何が起きたでしょうか。身分に関係なく、工場主や実業家といった「成金」が大量発生しました。血統も家柄もない新興の金持ちが、豪邸を建て、高級品を買い漁り、「俺たちこそ時代の勝者だ!」と胸を張りました。
この時代に事業を大成功させた起業家たちは、そうそうたる顔ぶれです。彼らは「強盗男爵」と呼ばれるほど容赦ないやり方で富を独占しました。
たとえば、「石油王」ジョン・D・ロックフェラー。自社の利益のためには手段を選ばなかった彼は、鉄道会社の最大の荷主である立場を利用し、運賃割引やリベートといった優遇措置を強要しました。結果的に、彼の会社であるスタンダード・グループは独占体制を築き上げ、1884年にはアメリカ全体の石油製品の販売シェアの80%以上を占めたといいます。
しかし、この強引なやり方は後に暴露され、ワールド紙からは「もっとも巨大でこの上なく冷酷で、厚かましくて無慈悲で貪欲な独占企業」と非難されました。
他にも、アンドリュー・カーネギーは貧しいスコットランド移民から全米一の富豪となり、「鉄鋼王」として名を馳せました。J・P・モルガンは「金融王」として巨大な金融帝国を築き、政府すら動かす影響力をもちました。
当時から彼らのやり方に対する批判の声はあったものの、莫大な富は、その声すらかき消していきました。このような、お金を稼ぐことと道徳(すなわち社会的な尊敬)とが一致するという価値観は、「お金と道徳の二人三脚」と呼べるものです。
18~19世紀にかけて、お金と道徳の関係は、「綱引き」から「二人三脚」へと大きな転換点を迎えたということができます。
消費が美徳になった20世紀
20世紀に入り、二つの世界大戦を経た後は、アメリカは名実ともに世界第一の経済大国となりました。特に第二次世界大戦直後の経済成長の原動力となったのが、「フォーディズム」と呼ばれる生産・経営システムです。
フォーディズムとは、「自動車王」ヘンリー・フォードが確立した革命的な生産システムです。ティラーの科学的管理法(ティラー・システム)を採用し、自動車生産にライン方式を導入することで、大量生産の新時代を切り開きました。
フォーディズムの中心にあるのは、工場の生産性向上と労働者の購買力向上を結びつける好循環です。工場の作業効率を飛躍的に高めた結果、生産コストと自動車の価格が大幅に下がりました。
さらに彼は、当時としては異例なほどに高い賃金を従業員に支払いました。日給5ドル──これは当時の相場の2倍以上でした。これにより労働者自身が自動車を購入できるようになり、需要が拡大。その需要拡大はさらなる大量生産を後押しし、価格低下と普及が進むという循環が生まれたのです。そしてこの好循環が、自動車市場を爆発的に拡大させました。
そして、フォーディズムがもたらしたのは単なる経済成長だけではありませんでした。それは1950~60年代にかけて、「アメリカ的生活様式」という新しい文明をも生み出したのです。アメリカ的生活様式とは、生産至上主義と快楽主義を旨とするモデル、つまりすべての人が消費の増加を通して幸福を追求するモデルです。
そのイメージは、次のようなものでした。郊外の一軒家、ピカピカの自動車、最新の冷蔵庫、洗濯機、テレビ……次々と新製品が登場し、「これを買えばあなたも幸せに!」というCMが溢れました。これにより、消費こそが美徳であり、節約は貧乏くさいという価値観が定着しました。すなわち、お金と道徳の二人三脚が確立したともいえるでしょう。
その上で現代に目を転じると、社会の潮流として「お金と道徳の二人三脚」という価値観が力をもっていくことへの戸惑いがあるように思います。
お金をたくさん稼ぐ人が評価される社会。裏を返すと、他人よりお金を稼げない自分は価値が認められない社会です。当分の生活には困っていないのに、自分より年収が高い人をみると劣等感を抱いてしまう感覚の背景には、こんな心理状態があるといえるでしょう。
昔からのお金と道徳を「綱引き」と考える価値観は「お金に執着するな」と囁き、それを「二人三脚」と考える価値観は「もっと稼げ」と叫びます。この両方の声に挟まれて、私たちは永遠に満足できません。どちらに転んでも罪悪感と劣等感から逃れられないのです。このような引き裂かれた状態が、逃げても逃げても追ってくる、お金という追手の正体ではないでしょうか。
だから、将来の不透明感や他人との比較から来るお金にまつわる不安は、お金を稼いで貯めるだけでは決して解決しないのです。追手の本質は、実は年収や預金残高にあるのではありません。
そうではなく、本当に大事なことにエネルギーを費やせているのかという「生き方」の問題にこそ、その本質が隠れているのだと思います。
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