第三十一話「筒抜けの会話」連載小説「奪われるースパイ天国・日本の敗戦ー」
スパイ防止法がないこの“天国”・日本で、知らない間に国が「奪われる」──。
表向きの歴史やニュースの裏側に潜む、冷酷な国際諜報戦と、個人の運命が国家間の巨大な陰謀に巻き込まれていく壮大な安全保障サスペンス小説、ここに爆誕。
舞台は、女性初の内閣総理大臣・高地きみえが熱狂的な支持を背景に「強い日本」を目指す日本。彼女は長年の懸案である日本人拉致被害者の奪還を決意し、極秘裏に北朝鮮の金正恩総書記との会談に臨む。しかし、その外交交渉の裏側では、すでに北朝鮮の体制に「影」が差し込み、巨大な隣国・中国の思惑が絡み合っていた。
第三十一話「筒抜けの会話」
翌日に金正恩総書記との2回目の首脳会談を控え、滞在するホテルに戻った高地きみえ首相ら一行は、緊張感に包まれていた。用意された夕食は取らず、日本から持ってきたオニギリを頬張る。缶詰やカップラーメンを食べる者もいた。部屋で第2ラウンドに向けた緊急会議が始まる。
「総理、金正恩の態度から察するに、彼らは明らかに何かを隠しています」。外務省の佐々木憲弘課長が米国のインテリジェンス機関などから寄せられた報告書を広げながら説明した。「会談中の目線の動きや呼吸の乱れから見ても、彼はウソをついています」。
「でも証拠がないじゃないか」。官房副長官の立崎実直が腕を組む。「あの状況じゃ何も引き出せなかった。このまま日本に帰るわけにはいかないぞ」。室内の会話が盗聴器で北朝鮮側に筒抜けになっていることは知っていた。それを前提にした話し方を全員がしている。
深夜まで続いた会議で、高地らは様々な可能性を検討した。ある者は金正恩の心理的圧迫を提案し、別の者は人道的なアプローチを主張した。そして、ついに1つの方針が固まった。首相秘書官の生田雄三が盗聴を妨害するように、部屋に置かれたテレビの音量を最大にする。「金正恩が本気で実のある回答をしないなら、日本に帰国後すぐにトランプ大統領に対して『進撃』を提案しましょう!」。高地の声が部屋中に響いた。
翌朝7時、平壌が静けさに包まれている中、高地は部屋にある鏡に向かっていた。「今日こそは、逃がさないわ」。昨夜からの疲労は残っていたが、目は鋭く光っている。今日こそは日本国民を取り戻す日だ。彼女はジャケットの襟を直し、小さく呟いた。「絶対に諦めない」。朝8時半を回った時、高地は前日に会談を行った広間に案内された。驚くべきことに、すでに金正恩が待機していた。彼は高地の姿を見ると立ち上がり、昨日よりも少しだけ柔らかな表情を見せた。
「おはようございます、高地首相。昨晩はよく眠れましたか?」。金正恩の声は意外にも穏やかだった。「おはようございます、総書記。実はほとんど眠れませんでした」。高地は率直に答えた。「拉致被害者のことで頭がいっぱいでしたから」と睨む。会談が始まるやいなや、高地は切り出した。「総書記、昨日言っていた『検討』の結果を聞かせてください」。