「目指すのは甲子園じゃなくて神宮」常松広太郎の主体性を引き出すために両親がやったこと

慶應義塾大学卒業、TOEIC満点990点、現在はシカゴ・カブス傘下のマイナーリーガーとして活躍する常松広太郎氏。失敗を怒らず積極性を伸ばし続けた常松家の子育て哲学とは。広太郎氏と父・広一氏に話を聞いた。全4回の第4回。
※本稿では常松広太郎氏を「広太郎」、父・常松広一氏を「広一」と表記する。
みんかぶマガジン連載「天才たちの育ち方」
目次
目指すは甲子園ではなく神宮。文武両道を目指して欲しかった親の想い
——小学校からずっと野球を続けられていますが、将来の進路についてご家庭での方針はありましたか?
広一:やはり広い視野を持った大人になって欲しいと考えていたので、「野球だけ」になるのはまずいなとは思っていました。彼自身がその状態になりかねないくらいの勢いで野球が好きだったので。だから神宮に連れて行って野球を見せたりして、「目指すのは甲子園じゃなくて神宮だ」と言っていたんです。ある程度暗示にかかっていたのかもしれませんね。
広太郎:単純に慶應のユニフォームがかっこよかったというのもありますし、OBも含めて愛校心が一番日本で強い学校なんじゃないかと思うので、やっぱりかっこいいなというのはずっとありました。
グラウンドでの技術について、家で一切口出ししなかった理由
——野球の技術的な面について、厳しく指導されることはあったのですか?
広一:よく少年野球の指導をしているお父さんって、技術的なこともむちゃくちゃ怒る人とかいるじゃないですか。私はやる気を継続させるのが大事だと思っていたので、技術面については多分褒めることしかしてないと思います。「今日のあれ良かったな」と言うだけです。
当時「フライを上げずにゴロを打て」と言う指導者がいましたが、私は「つまんねえこと考えないで、どんどんホームランを狙え」と言っていました。
広太郎:自分が結果が出なかった時に不機嫌になられたりすることはないですね。
——では、どのような時に厳しく叱っていたのでしょうか。
広一:礼儀的にどうみたいなことですね。目上の人に対する態度は「あれはちょっとないんじゃないか」と言うことはありました。
広太郎:親父には、怒鳴られるというよりは、論理的に説明されて緩急を使ってくる刺さる怖さがありました。だから何回も怒鳴られるより効果的な1回で、その先の3、4ヶ月ぐらいは結構ちゃんとするみたいな感じでした。