「自分には何もない」と悩む会社員へ。SNSで好きなことを発信し続け、会社を辞められたロードマップ

読書系インフルエンサーとして15万人のフォロワーを抱える土肥優扶馬氏。きっかけは大学院生時代に始めた「本の感想を発信する」という、収益化のあてもない個人的な習慣だった。社会人になってもこの発信を続け、最終的に会社員を辞めてフリーランスとして独立した。だが、その道のりは「バズって一気に成功した」という類の話ではない。最初の数千円を手にするまでに2〜3年、そして独立を「怖くない」と言えるようになるまでにどんな道を辿ったのか。全3回の第1回
みんかぶプレミアム連載「フリーランスの稼ぎ方大全」
目次
フォロワー15万人読書系インフルエンサーの「意外な始まり」
土肥氏はもともと教員志望で、大学院まで進んで教育を専門に学んだ。その時に始めたのが読書の発信だ。
「きっかけは、周りが社会人として頑張っているのに、自分は大学院にいるから収入がなかったことです。焦りもあって何か頑張りたいと。本が好きだったので、それを掛け合わせて本の感想をInstagramで発信し始めたんです。
当時は、1冊の本を手に持って写真を撮って、キャプションに感想を書いていただけ。これがフリーランスの仕事として成り立っていくというのは、当初は全くイメージしていませんでしたね。とりあえずアウトプットの場として始めた感じです。ただ根本には、いつかセーフティネットが欲しいという気持ちがあって。これからの時代は個人の力が必要だというのは、なんとなくわかっていたんです」
発信を続けながら大学院での生活を終える頃、土肥氏はもう1つの決断を下す。専門に学んだはずの教員という職業を、結局選ばなかったのだ。
「一対多で生徒を見ることの限界を感じたんです。それに加えて、教員という仕事自体の業務量の多さもあって」
そこから方向転換して進んだのが、障害のある人の支援を中心とした福祉系の仕事だった。読書の発信は、この会社員生活と並行して、変わらず続けられていくことになる。
2、3年かけて辿り着いた「最初の数千円」。時給換算の絶望よりも、自分の名前で稼いだ喜び
発信を始めてから実際に収益が発生するまでには、2〜3年の時間がかかった。その時のことを、土肥氏はこう振り返る。
「発信を始めて2、3年後ぐらいに、初めて収益が発生しました。本を紹介してほしいという依頼で、1冊数千円くらいのお願いでした。それでも、嬉しかったですよ。2、3年越しでやっと数千円ですから、時給で考えたら何円なんだという話ですけど、それでも自分の名前でお金が発生したっていうことが嬉しかったですね」
フリーランスとしての収益化の初期段階では、個人の発信が市場で対価に変換されるという経験そのものが、金額の大きさの何倍もの価値を持つ。
その後も、土肥氏は会社員として働きながら発信を続けていた。大学院卒業後の3年間は、社会人としての仕事と発信活動という二軸で生活を組み立てており、発信だけで生計を立てる段階には至っていなかった。会社員としての安定収入を保持したまま、もう1の収入源を育てるという、リスクを抑えた並走の形を取っていたことになる。