石油王ゲティの執念「相手は老人たちだ。私は待てる」自ら買い集めた112万株を敵側に投じられても諦めなかった

最大株主でありながら取締役を解任され、自ら買い集めた持ち株が敵側の反対票として使われる——1936年、石油王J・ポール・ゲティはタイドウォーターの買収工作で決定的な壁に直面していた。利益の再投資と借入金、実母との信託契約を組み合わせて粘り強く株式取得を続けた男は、なぜ20年もの歳月をかけて完全支配に至ったのか。元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏が、報道や裁判記録に残るデータから、大富豪の執念と資本形成のロジックを検証する。
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取締役の席を失った1936年の敗北 最大株主ゲティを阻んだ株主総会
1936年、J・ポール・ゲティは、株を買い集めた石油会社で、取締役の席を追われた。
相手はタイドウォーター。社長ウィリアム・ハンフリーらは3年の任期を得ていたが、ゲティの任期は1年だった。ゲティはこの仕組みを変えようとして敗れ、再選も逃した。最大株主でも、ほかの株主の支持を集めた経営陣には勝てなかった。
同じ年の11月、ニューヨークで開かれた子会社統合の採決でも、ゲティ側は反発した。代理人ハロルド・ローランドは、経費節減には賛成するが、経営陣に権限が集まる統合の条件には同意しないと表明。投票には加わらなかった。賛成5318107株、反対50株。ゲティ側の782328株は不投票として記録された。当時の『タイム』に残る惨敗の数字である。
閉会後、ローランドが発言の機会を与えられたことに礼を言うと、ハンフリーは「こちらについてくれず、残念だ」と返した。ゲティがタイドウォーター株を買い始めたのは1932年3月。最初の買値は1株2.50ドルだった。大恐慌で石油会社の株も売り込まれていた。原油を掘り当てるまで資金を注ぎ込むより、すでに油田を持つ会社を買う。ゲティはそちらにカネを向けた。
タイドウォーターには製油所と輸送設備があり、1200を超える給油所があった。ゲティの側には原油がある。買収が進めば、それを加工して売る仕事まで手がけられる。株価の回復を待つだけなら、経営陣とこれほど争う必要はない。彼は会社の利益をどこに使うかまで、自分で決めるつもりだった。
「無謀な経営」と見なした実母サラとの対立 父の遺産と会社の支配権を巡る身内の攻防
その買収資金には、家業の蓄えだけでなく、保有資産を売ったカネも借入金も入っていた。パシフィック・ウエスタンを傘下に収めると、同社の投資資産や石油を掘る権利の一部を売り、タイドウォーター株の購入に進んだ。利益を事業に戻すことと、資産の売却や借金で買収資金を作ることを、同時に行っていたのである。
家の中にも交渉相手がいた。母サラである。
父ジョージが1930年に死ぬと、家業を支配する株は母に渡った。ゲティは拡大を急ぎ、会社は多額の借金を抱えた。母は、夫の築いた財産を危険にさらす無謀な経営だと見ていた。後の裁判で認定された経緯には、この対立がはっきり残る。
1933年、ゲティは母を説得して持ち株を売らせた。代金は約束手形。株は動いたが、今度は母への支払いが会社の信用を圧迫し、拡大の妨げになった。ゲティは手形を譲ってほしいと求めたが、母は断った。
単なる資金調達を超えたファミリー・トラストの活用 身動きの取れない会社を再生させた構造
そこで持ち出されたのが信託だった。母の手形と息子の株をまとめて管理し、子孫へ渡す財産として保つ。1934年のクリスマスに話がまとまり、年末に文書が作られた。母は息子に財産を預かる責任を負わせ、慎重な経営をさせたかった。息子は会社を大きくする自由を求めていた。
目指す方向の違う母子が一致したのは、家業の支配権を手放さないという点である。ゲティには、信託の資産を売買し、再投資する広い権限が与えられた。翌1935年、信託の保有する手形は、石油会社の株やタイドウォーター株を買う権利へ置き換えられた。母への返済を抱えて身動きが取りにくかった会社と、支払いを待つ母。その間に信託を入れ、資産の持ち方を変えたのである。母に単にカネを出してもらうより、はるかに入り組んだ取引だった。
タイドウォーター側も手を打った。大株主のスタンダード・オイル・オブ・ニュージャージーは、同社株などをミッションという会社に移し、ミッションの株を自社の株主へ配った。ゲティは、そのミッション株まで買い始める。