だから早慶は“準一流”大学…結局、どこまでが一流なのか「阪大、東北大はボーダー」経済誌元編集長が重視する「国際基準」

普段の会話やメディアでも「一流大学」という言葉が使われる。しかし、この一流大学が具体的にどの大学をさすのか、その定義は曖昧である。もちろん人によって一流の定義は違うので、正しい答えはないだろう。そんな中で経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は「阪大、東北大はボーダー」「早稲田、慶應は準一流」と話す。それは一体どういう根拠のもとそう考えるのか。詳しく解説していくーー。
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日本人の多くがイメージする「一流の大学像」
自分の行っている大学が一流かどうかというのは、そもそも「一流」とはなんぞやという定義を考えなくてはならず、それは人それぞれであるのは自明だ。よって、どこまでが一流大学なのかという問いに明確な答えを出すことは容易ではない。けれども、実証的な研究に基づけば、ある程度の基準を設けることはできるのではないか。
近年では、大学の質を測る上で三つの要素が重視されているようだ。
第一は研究成果の量と質、第二は入学時の学生の学力、第三は学生の社会経済的背景である。これら三つの要素は、互いに結びつきながら、大学の評価を形づくっている。
ヴィッキー・ボリヴァーが2015年に発表した論文「イギリスにおける大学の地位の階層構造についての実証分析」では、イギリス国内の大学には明確な地位の差が存在すると結論づけられている。研究の水準が高く、入学時の学力が高く、裕福な家庭出身の学生が多く集まる大学は、他の大学よりも一段上の層に分類されていた。
これらの条件がそろうことで、大学は社会の上層を再生産する役割を果たすようになる。偏差値や合格倍率などの学力指標は、教育への投資が可能な家庭に有利に働く。結果として、進学校出身であり教育環境に恵まれた学生が集中し、学力の高い集団が形成される。このような学生が集まることで、大学全体の学習水準も高まり、研究力にも影響が及ぶ。これは日本人の多くがイメージする「一流の大学像」にも重なる部分があるのではないだろうか。