あらゆる色に象徴される存在、色に酔う心地よさ…羽生結弦『“REALIVE”an ICE STORY project』試考(1)

目次
羽生結弦の「色」
REALIVE初日、終演ーー。
つくづく羽生結弦という人は、色の人だと思う。
原色から色彩へ、色と光の三原色から色の三属性、絶対的色空間ーーいや、およそマンセル表色系のような立法的「色空間」ともいうべきその羽生結弦の、色。
フィギュアスケート、私はこれほどまでに色に象徴される人を知らない。
カタリナ・ヴィットの赤『カルメン』『花はどこへ行った』、オクサナ・バイウルの白『瀕死の白鳥』、エフゲニー・プルシェンコの黒『黒い瞳』『ゴッドファーザー』と、私の好みで挙げるが、多くはその時々の最高の瞬間に色がつく、観客の眼に焼きつく。
バイウルはSP(1994リレハンメル)の黒鳥もそうだが、エキシビションの白鳥を挙げる人もまた多い。ヴィットは言うまでもない。プルシェンコの黒は皇帝を象徴する「黒」であった。
このすべてが羽生結弦だ。言い過ぎではない。事実そうなのだ。
欧羅巴の源流から極東の青年へ、その色もまた受け継がれた。そして歴史の人になろうとしている。それが羽生結弦だ。
色に酔う心地よさ
色といえば、舞踏芸術における色の革命は20世紀初頭のバレエ団「バレエ・リュス」であった。
近代総合芸術の幕開けもまた「色」であった。「バレエ・リュス」の極彩色の舞台や衣装はクラシックからモダンへの端緒であった。
美術評論家、海野弘による『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』(パイ・インターナショナル)という大著に網羅された舞台デザイン画や衣装デザイン画の色という色に私は陶酔するしかないのだが、100年以上前の「バレエ・リュス」における色に酔う心地よさが羽生結弦の色にはある。
もちろん、その色には色香、色気、色艶もある。色白、もあるか。
そうした備わる色だけでなく、羽生結弦が意識的に、あるいは無意識に発する「色」がある。
羽生結弦はあらゆる色に象徴される存在に思う。それこそ多彩、ある意味、白に始まり白に帰結するあらゆる色、と言うべきか。『Yuzuru Hanyu“REALIVE”an ICE STORY project」(以下『REALIVE』)。
私はこの「色」を改めて意識することとなった。
2部「Prequel:Beforethe WHITE」(以下「Prequel」)はもちろんだが、1部の段階ですでにそうだった。これまでもそうだが、まさにMIKIKOと共に再生を果たした名プログラムの数々、その「色」である。
「色」への想い
私は2025年の9月から10月にかけて「私の思う羽生結弦の色」として白、赤、黒の三部作で羽生結弦の「色」を綴った。
『ココ・シャネル「傷ついた人々が偽りのない無垢と白を求めていたから」…私の思う羽生結弦の色「白」』
『「Rosso Ancora」それはグッチの原点であり赤い深淵…私の思う羽生結弦の色「赤」』
『ずばり、練習着の「黒」が好き、三毒様が好き…私の思う羽生結弦の色「黒」』
その時に触れたプログラムの白は『ダニー・ボーイ』、赤は『破滅への使者』、そして黒は『鶏と蛇と豚』だった。
その「色」への想いがさらに募る、そう、陶酔の中に再び溺れるような体験こそ『REALIVE』であった。
羽生結弦は「前日譚 : WHITEの前に」として公式サイトにこう記している。※
〈世界にはいろんな色があって、私たちは生きていく中で知っていく。それを成長と呼んだりもするのかなと、思っています。私たちが持つ、色を認識する細胞たちは、皆それぞれ違っていて、誰一人として同じ色を見ることができないのかもしれません。だからこそ世界はとても綺麗で、いろんな感情に溢れていて、それを知る喜びと、それらを共有し、分かり合える幸せもあるのではないかと思っています〉
極めて哲学的な色についての問いかけだ。アイスストーリーの第4弾『WHITE…』の前日譚であり、〈主人公が旅と出会いを通じて、少しずつ世界の色と輪郭を知っていく物語〉としている。
現状(4月時点)の「Prequel」はTELASAのアーカイブにもない。まさに哲学者ベンヤミンの「いま」「ここ」というアウラのままに羽生結弦と共にある私たちの心の中にしかない「色」だ。