ニューヨークで通っていた学習塾「サピックス」の環境と、常松広太郎が言語の壁を乗り越えた瞬間

慶應義塾大学卒業、TOEIC満点990点、現在はシカゴ・カブス傘下のマイナーリーガーとして活躍する常松広太郎氏。小学4年生からの3年間はニューヨークで過ごした広太郎氏が、どうやって語学力を身につけたのか。広太郎氏と父・広一氏に話を聞いた。全4回の第3回。
※本稿では常松広太郎氏を「広太郎」、父・常松広一氏を「広一」と表記する。
みんかぶマガジン連載「天才たちの育ち方」
目次
「日本人補習校」に通わなかった理由
——小学校4年生でニューヨークに行かれたとのことですが、現地の環境にはすぐに馴染めましたか?
広一:現地校に入れたのですが、あの地区には補習校という、日本人向けに毎週土曜日に1日中授業をやる学校があったんです。当たり前のように皆さんそこに行かせるのですが、彼の場合は1回も行ってないと思います。
——日本人にとって補習校は学習面でも安心感がありそうですが、なぜ通わせなかったのですか?
広一:ニューヨークの地元のリトルリーグとクラブチームの2つの野球チームに入っていたので、むちゃくちゃ忙しかったんですよ。土日はすごく忙しくて、そんな暇がなかったんです。
広太郎:うん。行ってないですね。
アメリカの小学校の「意外な算数進度」と20項目のプレゼン評価
——アメリカの小学校の授業内容で、日本との違いを感じた部分はありましたか?
広一:プレゼンの授業なんかは、話すスピードだとか声だとか、評価項目が20ぐらいあって毎回その点数が出るんです。小学校4年生、5年生、6年生にそんなことをやらせるのかとびっくりしたと同時にこれはすごいと思いました。仕事上の経験からも、これでは日本人が勝てない訳だなと納得がいきましたね。
だけど、一方で算数は遅くて。要は小学校4年生のときに、日本の小学校2年生がやるような内容を4年生にやらせていたりしていたんです。その辺はやっぱちょっと、そのままじゃまずいなっていうのはありましたね。